Mostrar todos empezando con los mas recientes

Tema

宗教勧誘

Preocupaciones / Consulta
#1
  • しつこくて困ってます
  • 2005/10/20 11:24

びびなびサイト内にも色々と情報が載っているようですが、去年もやっていたアズサの方で行われる、日本人留学生対象という謳い文句でやっているイベント。そのリーダー格の人からしょっちゅう電話がかかってきてちょっと困っています。
最初はオモシロそうと思って興味を示したんだけど、話を聞いていると最終的には教会とかに誘われていることが分かってきて、ちょっと怖くなってきています。べつに教会とか宗教には嫌なイメージはないのですが、あんなにがっついて誘われると・・・。
でも電話に出ないと長いメッセージが残されるし、(しかも結構何を言っているかわからないときが多い)その後も何度もかかってくる。だからと言ってハッキリやめてとも言いづらい・・・。こんな時、みなさんならどうしますか?教えてください。

#2
  • コバルト
  • 2005/10/20 (Thu) 14:32
  • Informe

相手が迷惑しているにもかかわらず、しつこく勧誘する宗教なんて、まともな宗教ではありませんよね。
 なぜはっきり断わらないのでしょうか?「迷惑ですから辞めて下さい」「興味ありません」と言いましょう。
 単にイベントに興味があるなら行けばいいし、その後教会へ行くのがイヤなら行かなければいい。あなたの自由にしたらいいんです。
 特に宗教の場合は、スーパーでパンを買うような気軽に決めるものではありませんから、安易に入ってゆくのは危険です。イヤならイヤときっぱり拒否する姿勢が必要です。相手を否定するのではなく、自分に興味がないことをはっきり伝えて下さい。

#3
  • momota
  • 2005/10/20 (Thu) 15:22
  • Informe

「興味が無いのでこれ以上電話をかけてこないでください」と思い切っていってしまいましょう。悪質な宗教勧誘の皆さんは拒否されるのも慣れていると思います。はっきり言わないで損するのはトピ主さんのほうですから。一度はっきり拒んだ後しつこくかけてくるようならハラスメントになる可能性もあります。(宗教団体側もバカではありませんから、法律に引っかからない頻度で電話してきていると思いますけど)でも警察に訴えても「番号変えなさい」といわれる可能性が大です。

なので電話番号を変える、というのも手ですよ。無料かもしくはそんなにお金がかからず簡単に変えられますよ。契約している電話会社に聞いてみてください。

#4
  • いかボクサー01
  • 2005/10/20 (Thu) 15:55
  • Informe

トピ主さんは10代の方でしょうか。相手がどういう人間か理解しないうちに安易に電話番号を教えてしまったあなたの行動は軽率だったと言わざるをえません。だいたい宗教だろうが何だろうが勧誘なんてしつこいに決まっているじゃないですか。ある意味自業自得だと思います。

ここはアメリカ、日本の常識は通用しません。「暗に言う」「女だから言い難い」は通用しません。「ハッキリやめてとも言いづらい」はこの国では優柔不断な行為です。軽率な行動のツケだと思って、はっきり言うしかないと思います。

#5
  • 鬼机
  • 2005/10/20 (Thu) 16:44
  • Informe

<ここはアメリカ、日本の常識は通用しません。「暗に言う」「女だから言い難い」は通用しません。「ハッキリやめてとも言いづらい」はこの国では優柔不断な行為です。軽率な行動のツケだと思って、はっきり言うしかないと思います>

電話番号を教えたあなたの行為が軽率だったかどうかはともかく、はっきり断わらない=拒否していないと言う意味ととる人もいるので、ハッキリ拒否しないと警察もとりあってくれません。この国ではハッキリやめてと言わないのは悪い事なのですから。

#7

サンタモニカのプロムナードで、高い声で「質問させてください!」と英語で言ってくるあの日本人達は何ですか?私は何度も言われた事がありますが、あれはどうも日系人らしい人には絶対話し掛けてくる感じがします。でも同じ女の人に、ビバリーセンターで違う事(今度は子供への募金)で話し掛けられた事もあります。どなたかご存知でしょうか?

#6

私はそのイベントに関わってる者ですが、トピ主さんが今迷惑してしまっているならごめんなさい。もし本当に嫌なら、電話やメールなどで、誘っている本人にきちんと言ってください。それで本人との関係が気まずくなったり、ましてや逆ギレみたいなことはないと思います。多分誘っている本人も、なるべくたくさんの人に来てほしい!って思いで、悪気があって誘っているんじゃないんです。分かってあげてください。でも、それによってトピ主さんがすごく不快な気持ちを抱いてしまっているのも事実なので、関係者としてお詫びします。すみません。
ひとつ分かって頂きたいのは、私たちは悪質な宗教団体ではありません。みなさんからお金を取ったり、ましてや強引に教会に誘ったりなんてしません。イベントにせよ、何にせよ、行くか行かないかを決めるのはトピ主さん本人ですから、大丈夫ですよ。

#8
  • ぶんぶん丸
  • 2005/10/20 (Thu) 17:34
  • Informe

そういや俺もコミカレ時代、やっとできた友達に誘われたホームパーティーにて、主催者のおっさんにいきなりア○ウェイビジネスの素晴らしさについて語られたときは背筋が寒くなりました。。。

トピ主さん、とにかく一言「興味がない」ときっぱり断りましょう。ある意味恋愛と一緒で、興味のない相手に言い寄られているときはきっぱりお断りすることがお互いのためです。

#10

MあんどMさん、
「逆ギレみたいなことはないと<思います>」って....オイッ!!

#9

「はっきり断ってない」のに「しつこい」という言い方は変だと思います。宗教関係の方が暴力をふるうとは思えません。「しつこい」と感じるのは「はっきり言わない」トピ主さん本人にも原因があると思います。逆に相手の方に失礼ですよ。

#11
  • コバルト
  • 2005/10/20 (Thu) 20:30
  • Informe

『「はっきり断ってない」のに「しつこい」という言い方は変だと思います』
 そうでしょうか?はっきり断れないトピ主さんは、これからこういう場合にははっきり断わったほうがいいことを学んでもらえればいいことですが、誘う側にも、トピ主さんが積極的ではないことは分かるはずです。押し売りではないのだから(押し売りするような宗教なら邪教ですが)。特に宗教のような「生き方を左右する」ような大事なものは、誘う側も「断わってないのだから肯定している」と決めてかかって欲しくないですね。そういう謙虚さがない宗教には疑問を感じてしまいます。
 特に新興宗教には「信者を増やす」ことが命題になっている団体が多いので、ついそれが加熱して、一般人に迷惑、イヤな思いをかけることがあります。どの宗教に限らず、本当に相手が興味があることを確認して、話をして頂きたいです。
 その意味では同じイベントに関わっていらっしゃる#6 MあんどMさんのレスは、ニュートラルで良いと思います。ありがとうございます。
 ただし、キツイ言い方で恐縮ですが、『私たちは悪質な宗教団体ではありません』とおっしゃいますが、それは、どの宗教団体の方もそう言われます。自ら自分達を悪質だなんて誰も言いませんよね。ですから、内部の人によるその言葉には、僕は個人的にあまり説得力を感じません。悪く思わないで下さい。
 求める人にとっては、宗教は非情に有り難いものです。救われることも少なくありません。しかし、宗教であれば何でも良いというものでもなく、ですから今関わろうという人がいたら、よくよく考えてから参加して下さい。話せる人が周りにいたら相談して下さい。考えて迷うなら、辞めたほうが良いです。

#12
  • やわら
  • 2005/10/21 (Fri) 00:49
  • Informe

私は行った事はないですがあれは普通のクリスチャンの若い人たちが中心になっているイベントでクリスチャンじゃない人もいっぱい参加していると聞いたことあります。新興宗教ではないですよ。
教会もクリスチャンの教会で怖い思いさせられるとかではないので教会に嫌なイメージがないのなら一度くらい行ってもいいかもしれないですよ。ただ電話がしつこくて嫌ならそういえばいいです。
言わないと遠慮してるのかなとか思っているだけかもしれません。
もちろんそれでも興味なければ断れば言いと思いますが。
私が以前行っていたクリスチャンの教会ではおばあちゃんたちがおいしい日本食を作ってきてくれていてそれを目当てに
来てた学生さんたちもいましたよ。
食べにおいで、とおばあちゃんたちも言ってましたが。電話番号変えるなってそんなことする必要ないと思います。
やんわり今は教会に行ったりする気はないけどお誘いありがとう、くらいでいいと思います。クリスマスイベントとか
コンサートとか色々楽しいイベントもあると思うのでそういうのには声かけてね。とか。私たちには自由意志がありますから。一度その若者のグループのリーダーがスピーチするのを聞いたことあります。すごいな、頑張ってるな、若いのにって感心しました。

#17
  • コバルト
  • 2005/10/21 (Fri) 10:41
  • Informe

↑やわらさんのレスを読むと、素敵な話なんですが、それならなぜトピ主さんはこのスレを作るほど困ってたんでしょうかね?被害妄想?過敏?
 はっきり断わらないのも良くはないですが、#1を読むに「まったく問題のない普通のクリスチャン」とは思えないのですが。

 僕も昔サンファナンドの日系教会へ通っていたことがあります。はっきりいって御飯目当てでしたが、おじいちゃん、おばあちゃんと接していると、日本の田舎に帰ったような気がしてとても楽しかったですね。あれで「信仰」が関係なかったら、もっといいんだけど。思想や宗教に関係なく、日本人の老若男女が集まる場所ってないのかな?県人会とかでもなくて。笑

 日本にいた頃は、渋谷の駅前で○×教とかに勧誘されたこともあるけれど、実際周りで宗教を熱心に信仰している友人知人って、あまりいなかった。いても表に出さなかったって人もいるだろうけど。
 でもアメリカに来てから、積極的に宗教と関わっている日本人によく会うようになりました。勧誘されるされないは別に。

 これはやはり異国での暮らす中で、寂しさや不安な気持ちから宗教を拠り所にする人が多いのでしょうね。僕も関心はあるので、いろいろ見学させてもらいましたが、どの(日系の)宗教も女性信者が多いんです。集まりに参加すると、だいたい7割前後が女性。独身の人もいれば主婦も多い。で、男性が見学に行くと、結構喜ばれる。たぶん男性信者が少ないから。どこでも歓迎されます(もちろん女性でもね)。

 ただ、トピ主さんではありませんが、あまり積極的に誘われると、引きますね。興味はあっても自由にしておいて欲しいので、「門は開いてます。でも御自由に」というスタンスが望ましいです。
 しかし、信者を増やしたいところはあの手この手で誘ってきます。「自己開発セミナー」「これからのビジネスを考える会」などなど。「とてもためになる話があるから聞きに来ない?」と誘われて、行ったら教祖のビデオテープを見せられたなんてケースも珍しくないです。先方も、初めから「宗教です!」といってしまうと敬遠されるからいろいろ頭をひねって企画し、とりあえず参加させたいんでしょうね。
 でも商売じゃない。宗教ですからね。本当に素晴らしい宗教ならそんな誘いをしなくても人は来るでしょ?しつこく誘う必要ないでしょ?何かイベントを開催して参加者が少なくたってそれは失敗じゃないでしょ?数で勝負じゃないんだから。

 興味のある人が、本当に必要と思った時に、自分の意志で訪れる。宗教側はいつでもいらっしゃいと常に門を開けておく。そんな感じがいいと思うんでうけどね。
 リトル東京界隈の仏教寺院なんかは、そんな感じ、ですよ。もう何年も行ってないけど。

#16

「逆切れみたいなことはないと思います」

彼らは信じているんです。こんなに素晴らしいものはないと思っているんです。そんな素晴らしいものならみんなにも教えてあげようと思っているんです。
その彼らの「親切」というか「優しさ」と言うか、を我々は断るわけです。

だから「逆切れみたいなこと」あるんです。
宗教信じてるから「逆切れみたいなこと」しないとは限らないんです。

トピ主さんを怖がらせようと思ってるわけではありません。すみません。でもそう言い切ったのを信じて何か後で起こっても恐いと思ったので。

やはり、嫌なものは断りましょう。
最後に「誘って下さってありがとうございました」の一言もつければ、そんなに感じ悪くならないのでは。

#15

私もそのイベント行ったことがあります。幹部の人も知っています。彼らにとっては伝道活動の1つで、彼らは多くの人に心の底からこの神様を信じて、天国に行って欲しいと祈ってくれているだけなのです。信じない人にとっては背筋が寒くなりますが、彼らは真剣なんです。彼らにとっては神様の為に働いているに過ぎないんです。

 そんなに勧誘されたら、その宗教のこと嫌いになりそうだよと言って、自然に距離を置くのがいいと思いますよ。

#14
  • しつこくて困ってます
  • 2005/10/21 (Fri) 10:41
  • Informe
  • Borrar

皆さん、アドバイスをしてくれてありがとうございます。私がはっきりと断らないのがいけないんですね。
皆さんの書き込みを読みながら、私が嫌だったのはその宗教に対してではなくそのNって人のしつこさが嫌だったのかもと思いました。同じ学校の子が以前1度「ちょっと忙しいから参加できない」と伝えたにも関わらず、1度興味を示してしまったせいか彼女にも未だに電話がかかってくるそうです。彼女と2人で今度頑張ってはっきり言おうと思います。応援していてください!

#13

#9愚黎嬢 さんはここの宗教関係者かもしくはなんかの宗教に入っているのかな
> 宗教関係の方が暴力をふるうとは思えません
というのは。

ブッシュもキリスト教だしイラクやアフガニスタンの紛争も宗教がらみ、オウム真理教もそうだし、暴行とかで刑務所にいる人の大半はなんらかの宗教を信じているって警察の発表する統計に毎年載ってるし。

誤解しないでね。宗教を信じる人が暴力を振るうわけではないよ。でも宗教関係の人だから暴力を振るうと思えない、というのはどう考えても違う気がする。

>逆に相手の方に失礼ですよ。
というコメントからあなたが宗教関係者なのかな?と想像。

>「はっきり断ってない」のに「しつこい」という言い方は変だと思います。。「しつこい」と感じるのは「はっきり言わない」トピ主さん本人にも原因があると思います。

これには全くもって同感。

#18
  • parado24
  • 2005/10/21 (Fri) 10:49
  • Informe

私もトピ主さんがはっきり自分の気持ちを伝えれば大丈夫と思います。#12さんが言っているように変な新興宗教ではなくごく普通のクリスチャンの若者が中心になっているイベントなのではっきり言ってそれでもしつこく勧誘するとはあまり思わないのですが。。。イベントをやる人はたくさんの人に来てもらえたらいいと思っているんだと思います。私はまったくの無宗教ですがこの間クリスチャンのグループが主催するイベントに行きました。普通に楽しかったしみんないい人でまた教会にもよかったら来てねーって軽くは言われたけどしつこくもないしそんな重荷に感じる事ないと思いますよ!ちなみにその時そのイベントの紹介もありスタッフにもお会いしましたがしつこく誘われるなんてありませんでした。イベントが面白そうだなあって思えば行けばいいし行ったからってクリスチャンにならないといけないとかはまったくないと思いますよ!いつも自分の気持ちに正直に言えばいいと思います。やっぱち他人なんだから口にして伝えないと伝わらないし(^−^)

#19

#11コバルトさん
そうでしょうか?このような場合、鬼机さんも言われたようにハッキリ拒否しないのは悪い事だと思います。
「これからこういう場合にははっきり断わったほうがいいことを学んでもらえればいいことです」そういう事は親元を離れる前に勉強しておく事ではないでしょうか。
冷たい言い方ですが、同世代の女として見ると、トピ主さんには自己防御意識が薄いような気がします。自己防御意識があるならひと通りの拒否行動をとってから書き込んでいると思います。

#20
  • やわら
  • 2005/10/21 (Fri) 14:03
  • Informe

コバルトさん、なぜトピをたてるほど困っているのか?トピはお金かかるわけでもないし、ちょっと聞きたいかもって時にも立てられません?

ご飯目当てでもおばあちゃんたちは喜んでくれてたと思います。おそらく信仰をお持ちの方たちだからできたことかもしれませんよ。初めての人にも喜んで
無償でランチにいらっしゃいって。なかなかできません。

素晴らしい宗教なら誘わなくても人は来るでしょ?ということですが種まきは必要かナと思います。素晴らしい物だって
分かる分からないはおいておいて情報を
与えることが大事なんです。数で勝負をしているわけじゃなくてなるべくこの救いの素晴らしさを分かち合いたいって思っているだけだと思います。

もちろん門はいつでもオープンだけど
ただオープンにしておくだけじゃなくて
どうぞ、よかったら、って一声かけておく。信じている人はきっとそうするでしょうね。もちろん迷惑がられていたらそれ以上はやめるべきです。でも迷惑に思われているって知らないとそのまま声をかけてしまうでしょうね。
トピ主さん、やんわりとでも言ったほうがいいですよ。

教祖とかのビデオとかは新興宗教ですけどアズサのイベントはクリスチャンの若者が中心のものであってそういうものとは違います。

知っている牧師の奥さんがその方が救われたときあの時誘ってくれてありがとうってよく後から感謝されるって言っていました。そういうこともありますよ。

#21
  • コバルト
  • 2005/10/21 (Fri) 14:09
  • Informe

『「これからこういう場合にははっきり断わったほうがいいことを学んでもらえればいいことです」そういう事は親元を離れる前に勉強しておく事ではないでしょうか』
 そうですね。それは理想的です。でも現実的にはトピ主さんはそうでなかったのだから、これを機会に理解してくれたらいいと思いますよ。
 僕が言いたいのは、どっちが悪いというのではなく、宗教側にももっと配慮が必要でしょうということ。
 例えて言えば、愚黎嬢さんが「そういう事は親元を離れる前に勉強しておく事」とトピ主さんに求めるのなら、僕は宗教団体に対し「勧誘する際は無理をせず、相手の気持ちに配慮をして下さい」と言いたい。そんな感じです。ご理解いただければうれしいです。

#22
  • コバルト
  • 2005/10/21 (Fri) 15:09
  • Informe

やわらさん、どうもです。
 あなたのレスの大部分において、肯定します。ありがとう。
 ただ『なるべくこの救いの素晴らしさを分かち合いたいって思っているだけだと思います』について、
 気持ちは分かるんですが、その教えが素晴らしいとか正しいとかって言うのは、信者側の話なんです。
「このケーキすごく美味しいから食べて!食べて!」って勧めても、相手がケーキに興味がなかったり、甘いものが嫌いなら、それは迷惑になる。でも勧める人が「こんなに美味しいのになんであの人は食べてくれないんだろう?」って思ったら。
 宗教は、信者からすれば「唯ひとつ正しい教え」であり、そう信じることは間違いではありませんが、世間にはケーキが嫌いだったり、ケーキに興味がない人もいるわけです。少しでも過剰な勧誘があるとしたら、それは自粛していかなければいけません。数を目的としないなら、最低限の伝達をもって地道に活動していけばいいこと。
 確認しますが、僕は今回のキリスト教会ひとつを名指ししているのではありませんので誤解しないで下さいね。宗教と名のつく団体や組織の中には気を付けたほうがいいものが少ないので、僕は何か誘われた時に、お気軽に参加して欲しくないと思っているだけです。

『知っている牧師の奥さんがその方が救われたときあの時誘ってくれてありがとうってよく後から感謝されるって言っていました。そういうこともありますよ』
 はい。それも否定しません。でも、ネガティブな考えかもしれませんが、その逆の話もあり得るんです。
 辞めて下さい、というのではなく、注意して下さい。それだけです。

#23
  • roseland
  • 2005/10/23 (Sun) 07:48
  • Informe

ケーキと宗教を一緒にしてしまうとは天晴れですね。
まあ、キリスト教に関しては、これ得だから試してみて、みたいな単純な話じゃなくて、今これこれをしないと将来苦しみますよといった警告なんです。つまり人の命がかかってる。自分は助かる方法を知ってるのに他人に秘密しとくのは人殺しだ、見たいな考えなんですよ。だから、勧誘する、説得する。あらゆる手を尽くしてその人が救われるようにする。そうしないと自分が救済されない可能性が出てくる。だから皆必死なんですよ、勧誘する人は。
ただその辺、布教活動している人の魂胆みたいなものをあなたにわかってもらいたい。コバルトさん。でも、なにするんでも人に不快感を与えてはならない。僕も同意ですよ。

#24
  • コバルト
  • 2005/10/23 (Sun) 08:13
  • Informe

roselandさん、はい、理解しています。僕も信者ならそうしているかもしれないし。
 でも外から観てるとおかしくてならないんです。キリスト教系以外でも、布教(説伏とか)に熱心な宗教もありますが、どの宗教(信者)も、自分の信仰が正しいと思って活動されますよね。それは当たり前ですから。
 でも第三者としてみると、みんな正しいといいながら、みんなバラバラで、互いを否定しあってる。もしかしたら自分は間違いで向こうが正しいのかも、なんて考える人は少ない。盲目的。それがおかしくてならないんです。
『自分は助かる方法を知ってるのに他人に秘密しとくのは人殺しだ、見たいな考えなんですよ』
 分かるのですが、それだけが正しいかどうかは、誰にも分かりませんからね。

 その意味では、きっとみんな、死んだら分かると思うんです。死後の世界があるのか、審判はあるのか、輪廻転生するか、楽園があるのか、死んだら無になるのか、魂とは、霊とは...。
 今死にたくはありませんが、いつか死ぬなら、それは楽しみです。その時、何が正しいか分かるでしょうからね。

#25
  • momota
  • 2005/10/23 (Sun) 10:49
  • Informe

>ただその辺、布教活動している人の魂胆みたいなものをあなたにわかってもらいたい。

roselandさんは信者・布教する側の立場から見た見解ですよね。でも、コバルトさんのケーキの話は興味がないのに勧誘を受ける人の立場だと思います。なので、コバルトさんはケーキと信者の布教活動の気持ちを一緒のしてるわけではなく、ケーキの話しはトピ主さんの気持ちだの例えだと思いますよ。

布教する側が、相手の「甘い物食べられないから、どんなにあなたが美味しいと思うケーキを勧められてもいらないんだけど・・・いらないって言ってるのにそれでも勧められるとちょっと迷惑だな・・・」という気持ちを理解して簡単に引き下がることができるのでしょうか。布教する側も、相手に不快感を与える気は毛頭無いでしょうが、「甘いの嫌いでも体にいいんだから。興味なくてもとりあえず食べてみてよ。私はあなたのためを思って言ってるの」という善意の気持ちからの行動でしょうから、なかなか厄介です。

日本での話しですが、実は以前実家にエ○バの信者さんが何度も布教(勧誘?)にいらしたことがあります。その方は、こちらがいくら「興味ない」や「信じていません」「迷惑です」といくら言っても聖書を開き教えの箇所を指して「幸福になるのだから一度教会にきても損はしない」と引き下がる様子が無かったです。ある日、「お話は聞きました。その上で何度もお断りしています。これ以上来られると迷惑行為防止条例の第11条に反する行為になりますよ。」と言ったらそれ以来来なくなりました。そんなに悪質じゃなかったのでホントは法的措置が取れたわけじゃないんですけど、これぐら言わないと「迷惑してる」ことが理解してもらえない場合もあるのかなー、と思いました。

誤解されないよう念のため。これでも一応キリスト教系の学校に行っていたので、キリスト教系の人みんながみんなしつこい勧誘をするわけではないのは理解してますよ。

#26
  • コバルト
  • 2005/10/23 (Sun) 11:50
  • Informe

「興味ない」や「信じていません」「迷惑です」といくら言っても聞いてくれなかった相手が、何度も通って心を尽くした結果、聞いてくれるようになって、今では感謝されている。そういうこともあるので、皆さん、あきらめずに伝道を続けましょう、的な話がその宗教の集まりで話されることがあるそうですから、「間に合ってまぁ〜す」では引き下がらないんでしょうね。

 momotaさん、ご説明感謝します。その通りです。厄介です。

#27
  • damn
  • 2005/10/23 (Sun) 12:45
  • Informe

あら、こっちでもお会いしました。 
俺が立てたスレも盛り上げてもらってありがとー(ととりあえず礼を言っとく) > momotaさん
トピ主さんのお悩みに一発回答!ってsuperなアイデアはないんだけど、同情っつーか、共感っつーか、そーゆーのはある。
俺も高校の時にチャリでモル○×に追い掛け回されたことあるし、エ△バに何度も自宅訪問されたことあるし(ここまでは日本での体験)、今はキリスト教関係の人が1〜2週間ごとに自宅訪問して来る。 
よほどカルトな宗教でひどく強引だったりすると、こっちも強硬に出たりするんだろーけど、たいがいは腰が低かったりするから断り辛いんだよね。
あとコバルトさんが#24で言ってるのもすごい分かる。
そーなんですよ、みんな自分の宗教がこの世で唯一無二の真実だと思ってて、他の宗教を認めようとしない。
あんまり露骨に批判すると自分が非難されるの分かってるから最初はオブラートにつつんでるけど、違う宗教を少しの間誉め続けたりすると、本性現してメチャメチャ攻撃的になったり。(不謹慎と知りつつ俺は笑ってしまう)
日本の神道では家や木や水や、たいがいのものには神が宿ってて、何百っていう数の神様がいることになってる。
キリストやイスラム教では神は唯一絶対無二の創造主で、2人以上いるなんて絶対に認めない。
仏教だと、どーなんだろ? 死ぬとみんな仏になって、輪廻転生する間にたくさんの徳を積むと死後の世界で徳の高い仏さんになれるってことかな? 
でも輪廻転生って、よく考えると、帳尻が合わなくないですか?
有史以来人口は増えつづけ、今60億人もいるんですよ。 
でも10万年前って何人いたんですかね? 1億人すら居なかったのでは?
輪廻転生だと説明つかないっすよね?
前世ではヘビだったのが人間になった、とか言う人も居るけど、生命体の数だって何十億年という地球の歴史の中では爆発的に増えたり減ったりしてると思うんです。
そーすると輪廻転生する魂はいつ、どーして存在し始めたの?ってことになる。
オー○心理教の言ってたマルハゲドンはどこいっちゃったわけ? 
なにも起こらず21世紀に入って、もうすぐ5年が終わろーとしてる。
まだ信じてる人たちは、この矛盾を何て説明するんだろーか?
ジョージフォアマンとか、けっこう経験なクリスチャンのボクサーって多いけど、右の頬を殴られた後で左の頬を差し出してるのも見たことがない。 っつーか殴り返してるし。(ゴメン、ちょっと悪ふざけ過ぎたか?)
だから・・・なんだろ?
よく考えると宗教って矛盾が一杯のように思えるんです。
その矛盾って最後はマリックのハンドパワーみたいに人間には理解できない神の思し召しっていう一言で済ませるしかないんでしょーけど。
信じる自由はあるけど、信じない自由もある。
やっぱりmomotaさんみたいに勇気を出して強気に断るしかないじゃないのかな?

#28
  • コバルト
  • 2005/10/23 (Sun) 15:47
  • Informe

『よく考えると宗教って矛盾が一杯のように思えるんです。
その矛盾って最後はマリックのハンドパワーみたいに人間には理解できない神の思し召しっていう一言で済ませるしかないんでしょーけど』
 そうですよね。宗教家の方に「疑問があったら何でも聞いて下さい」って言われても、質問の答が「それは神の為せる業です」っていわれると、それはズルイ!って思えるよね。何でもそれで済ましてしまうの?って。すると、「あなたも信仰をもてば理解できます」と返ってくる。悟りを開くような人にはそうなのかもしれないけど、凡人にはもっと理屈ってか、「なるほど」って答が欲しくなる。
 でも信仰をもたない限りその宗教を理解することは出来ないのだから、一般人が信者の信仰心を理解するのは無理なこと。できるのはお互いの自由を尊重し、干渉しないこと。
 だから、
『信じる自由はあるけど、信じない自由もある』
 名言ですね。というか、みんなきっと何かを信じてるんだろうけど、それが他人と同じである必要はないわけで。宗教なんて、所詮自分がどう納得するかの世界。だから外から観たら矛盾だらけ。だけどその人が満足しているならそれでいい。人に迷惑をかけない限り。でも、世間の常識や一般的な理性よりも、教義のほうが優先順位が上になってしまうと、「信仰のためなら何をしてもいい」となる。ジハード(聖戦)ほどのレベルまで行かなくてもね。でも恐いことです。自分は洗脳なんてされていないと思っても、人間なんて弱いものですから。
 第三者の声も素直に聞ける信仰心、理想的ですが、出来そうで、出来ないような...。「あなたの信仰は間違ってるかもしれない」と言われて、素直に耳を傾ける人は少ないでしょう?むしろそういう声からは身を遠ざけようとする人のほうが多い。でも(なのに)無信仰の人へは声をかける。ここにまた矛盾...。

#29
  • momota
  • 2005/10/23 (Sun) 17:43
  • Informe

#27damnさん
こちらこそ「お坊ちゃまトピ」では勝手に流れを変えてしまって申し訳なく思っております。

2日前にお返事として色々書いたんですが、ホールドされた書き込みがまだ掲載されず・・・。

宗教哲学のクラスで仏教や輪廻転生の話になったんですけど、人口増加にならない理由は、「命はリサイクル」されてるから。簡単に言うと新しく生まれた命は何かの生まれ変わりなわけです。カルマです。よく考えたもんだ、と思いましたけど。

でもそう簡単には「仏」になれない。日本は古来からの先祖崇拝と仏教が混ざっちゃって死んだらみんな仏にしちゃうけど、インドやチベットではブッダの本来の教え通り全ての欲(食欲、物欲、性欲)を絶ち、山や寺にこもって修行をしてます。食欲を絶ったら死んじゃうじゃないか、と突っ込みを入れてみたら「自分から望んで食べたらダメだけど、人から恵んでもらうのはOK」なんだそうです。

お坊ちゃまにしてもしつこい宗教にしても、単に拒絶し批判するのではなく、知らないことを理解することは、「傾向と対策」が考えるのに必要と思っています。そうじゃなければ今でもエ○バの勧誘の人と「結構です!興味ありません」「いやいや、そんな事言わずに・・・」を永遠と繰り返していたかもしれません。

#30
  • Great Expectation
  • 2005/10/23 (Sun) 19:49
  • Informe

私もそのイベントに何回も参加したことがあります。彼らの通う教会にも何度か行ったことがあります。その当時は、隣のシトラスカレッジに通っていたので、彼らがよく誘いに来ていました。日本食が食べられるとか、フリーの英会話の練習、スポーツを楽しもう、など最初はクリスチャンのイベントであることは隠しています。根はとてもいい人たちなのですが、宗教のことになると熱く、自分達の考えがいつも正しくて、他人の意見が見えなくなっているようでした。関係者の人が言っているように、悪質なイベントではありませんよ。ただの隣の大学の学生さんたちです。ただ1つ、このイベントに行こうかな〜って考えてる人にアドバイスを。私の友達の多くは結局はクリスチャンになりました。私にはクリスチャンにはなれない理由があったのでなりませんてしたが、軽い気持ちで日本食が食べれるからとかいう理由では行かない方が良いかもしれません。強い信念をもっていないと誘いに乗ってしまうかも。実際、友達の多くは、心の状態が良くない時にクリスチャンになっていました。そういう辛い時期に宗教の勧誘は手を差し伸べてくるんですね。これを信じれば救われますよ、というふうに。宗教を信じるのが悪いことって言っているのではありません。本人が本気で信じているなら結構です。ただ私の友達に関しては、まんまと乗せられてしまった感があったので。

#31
  • コバルト
  • 2005/10/23 (Sun) 21:42
  • Informe

#30 Great Expectationさん、はじめまして。
『実際、友達の多くは、心の状態が良くない時にクリスチャンになっていました。そういう辛い時期に宗教の勧誘は手を差し伸べてくるんですね。これを信じれば救われますよ、というふうに』
 そうですね。何か悩みがあって、救いを求めて入信する人は少なくないでしょう。だから忙しくしてて、生活や人生も充実してる人が、自ら求めて信仰に入ることは少ないでしょう。各団体を訪れても、バリバリのビジネスマンみたいな信者さんは少ないですから。
 言わば、心の病院みたいなものですかね。各病院独特の治療法(教義)によって心の病から救ってくれます。でも、この病院、入院は出来ても退院は出来ないんですね(通院は出来ます)。病院を変わることはゆるしてくれないどころか、他の病院へゆけば悪くなる!って言われるかも。で、ずっと病院との縁は切れなくて、元の病気は治っても、新たな病気(信仰)をもらったまま、それはけして治らない。親兄弟や子供まで感染することもあります。これじゃ病院じゃなくって、病因ですね。あはははは。
 ちょっと度が過ぎました。宗教関係者の皆さん、ごめんなさい。信仰は病ではありませんね。

#29 momotaさん、毎度です。
『宗教哲学のクラスで仏教や輪廻転生の話になったんですけど、人口増加にならない理由は、「命はリサイクル」されてるから。簡単に言うと新しく生まれた命は何かの生まれ変わりなわけです。カルマです。よく考えたもんだ、と思いましたけど』なんですが、
 これが#27 damnさんへの答なら、damnさんは
『でも輪廻転生って、よく考えると、帳尻が合わなくないですか?
有史以来人口は増えつづけ、今60億人もいるんですよ。 
でも10万年前って何人いたんですかね? 1億人すら居なかったのでは?
輪廻転生だと説明つかないっすよね?』と聞かれています。
「人口増加にならない理由」ではなく、「輪廻転生なら魂の数は変わらないはずなのに、人間の数は増えてきたのはなぜ?魂が増えたの?」と。

 僕個人的な信仰(発展途上です)で言えば、大きな意味ですべての人間の魂は繋がっていてひとつであり、ひとりひとりの魂はその端末のようなものと観ています。ですから数の増減は矛盾するものではないと。ただ、人間から動物、動物から人間への輪廻転生はないと、今の所感じています。信念と言うほどの強いものではありませんし、なぜと聞かれても困ります。勝手に思っている、そんな感じです。

 という具合に、僕はとてもとても宗教に関心がありながら、とてもとても宗教が嫌いです。変ですね。笑

#32
  • momota
  • 2005/10/23 (Sun) 22:38
  • Informe

コバルトさんご指摘どうもです。damnさんお詫びと訂正です。

「人口増加」という言葉は不適切でしたね。あまり考えず使ってしまいました。輪廻転生のリサイクルシステム(?)には人間だけでなく昆虫から雑草から命あるもの全てを含むので、各生き物が平等に一定の数で転生しなくてもいいわけです。なので「生命の数の増加=魂の増加」は基本的に起こらないわけです。

人間が増えた理由として、「何種類もの生き物が絶滅の危機またはすでに絶滅した。それらが今人間として生まれ変わっている」と言う方もいます。チベットかどこかのある位の高い僧侶は、『人間の一生は厳しく苦そのものなので今の世の中は過去の罪を償っている「生き物」が多いということだ』と言ったとか。前世が昆虫だった人もいれば前世も人間だった人もいる。死後、また人間に生まれ変わる人もいれば、植物や昆虫に生まれ変わる人もいる。与えられた人生そのつどの行い次第で次の人生が決まります。

仏教によると(私のクラスではチベット仏教が主だったので地域による違いがあるかもしれませんが)、人間のみが仏になるチャンスがあるがほとんどの人は仏になれず死んで「次回頑張りましょう」となるそうです。仏になる(リインカネーション)には全ての欲を捨てなければいけません。それには性欲も含まれます。でもみんなが性欲をなくしたら子孫が残らないじゃないか、と思ったんですが、性欲をなくすことは容易ではないのですからその心配はないみたいです。ちなみに性欲に一度でも駆られた人は、今回は仏になれません。残念でした。仏教哲学を考えるたび手塚治のシュールな火の鳥シリーズを思い出します。ちなみに、たとえ過酷な修行僧の人生を選んで性欲、物欲、食欲全てを捨て修行の道に励んでも仏になれる保証はないです。仏の道は険しいです。

テスト勉強は一夜漬けだったので、かろうじて覚えていることはこれぐらいです。間違っていたらどなたかご指摘ください。

#34

私は非常に迷惑な宗教に悩ませられた経験があります。

その人達は日本人居住者のリストを持ってるらしく、日本人が住んでる家々をDoor to Doorで廻っています。

週末で人がゆっくり自宅で休息を楽しんでるところに、いきなりピンポーン。
誰かな?と思って出ると、Bookletみたいな物を差し出し、取り合えず読んでくれと頼みます。
興味がない事を伝えて帰って貰いましたが、あとでドアを開けるとそのBookletが玄関マットの上に置いてありました。
頭にきたのでそんな物は読まずにゴミ箱に捨ててやりましたが、なんとも気分が悪く、折角の週末が台無し。

数ヵ月後の週末、またやってきて誘うので、迷惑だから追い返し、ウチの住所をオタクのデータベースから消してくれるように頼みました。

また数ヵ月後、犬と散歩してると「あら可愛いワンちゃんね」と歩み寄って「この犬は何の種類?」とかいろいろ質問してきて会話がなんとなくノッてきた矢先に「ところで・・・」。

いつも違う人で(同じだと気付かれるからかも?)教会か集会の帰りなのか正装、もしくは小奇麗な格好でたまに、小学生位の子供にも正装をさせてを連れている場合もあります。

そのオバさんには、今迄のいきさつを話し、何故ウチの住所がまだ消されてないか、それに訪問販売(勧誘)みたいなことは迷惑だから止めるように言いますと、「別に法に触れるようなことはやってませんけど?」と反論。
これにはさすがにキレて
「冗談じゃない、これは立派なDisturbingだ、警察にファイルしてやるから一緒に来い!」。
オバさん小走りで子供の手を引っ張りながら車に乗って消えました。
その日一日気分の悪かったことは言うまでもありません。
あとで落ち着いて考えてみると、だいたいの宗教は人や自分の幸せが目的ですよね。
この日は僕だけじゃなく、そのオバさんも気分が悪かったはず、この宗教の目的は何なんだろう?って考えさせられました。
ちょっとしつこいのも限度をこしてますよね?。

実はまだこの話の続きもあるんですが、一宗教を非難すると、びびなびの管理人に消されてしまうおそれがありますので、取り合えずここで話を切っておきます。

予告編ですが、話の続きというのは、その宗教が薦める考えや行為によって、人の命が助かるかどうか、というみなさんや未来ある子供達にとって非常に大切な事なんで、是非是非話しておきたい事なんです。ちなみにこの宗教は、またこのあともウチに来たのです。勧誘者をアメリカ人に代えて。なかなか懲りない人たちでしょ。

もう分ってる方もいるかもしれませんね。

書き込みのガイドラインはどういう設定なんですか?
誰か教えてください。

#33

#13さん
私は女の子なので「しつこく誘われる」とかゆわれるとどうしてもストーカーとゆう事を考えてしまいます。私も被害を受けたことがあるのですが、その逆の観点から考えて「逆に相手の方に失礼ですよ」と書きました。
トピ主さん頑張ってください。応援しています。

#35
  • コバルト
  • 2005/10/24 (Mon) 16:50
  • Informe

#34 ある宗教の被害者さん、
『その人達は日本人居住者のリストを持ってるらしく、』
 電話帳から日本人らしき名前を抜き出されてるようですね。

『折角の週末が台無し』
『その日一日気分の悪かったことは言うまでもありません』
 以前ウチにも何度か来られましたが、ただブックレットをもらって帰ってもらいました。そこまで不快感はありませんでしたが、#34さんは、よほどイヤだったんですね。

『あとで落ち着いて考えてみると、だいたいの宗教は人や自分の幸せが目的ですよね。
この日は僕だけじゃなく、そのオバさんも気分が悪かったはず、この宗教の目的は何なんだろう?って考えさせられました』
 ひとりでも多くの人を救済したい気持ちなんでしょうし、なかなか人が話を聞いてくれなかったり、嫌がられるのは、神が与えた試練的に捉えてるんでしょう。

 momotaさんも例に出されてましたが、「この宗教」、数ある新興宗教の中でも「嫌がられてる宗教」としてよく話題に揚がります。やはり各家を回るので、接触が多いからでしょうか。ちなみに訪問の際に正装なのは集会の帰りのせいではなく、神の言葉を述べ伝える際には正装すべきだからだそうです。

『話の続きというのは、その宗教が薦める考えや行為によって、人の命が助かるかどうか、というみなさんや未来ある子供達にとって非常に大切な事なんで、是非是非話しておきたい事なんです』 
 輸血の件とかですか?一般人から見れば、輸血すれば助かる命を見放すなんて非道ですが、彼等にとってはたとえ自分自身の血でも一度外に出したものを身体に戻すことは神の教えに背くことであり、輸血しなくても治るケースも多く、万一それが理由で亡くなっても、神の道に従うものは楽園での復活がある、という教えの元に生きてますから、僕らがここでそれはおかしいと言ったところでどうなるものでもないんですね。逆に輸血や淫行、同性愛みたいなことをするからエイズのような病気が生まれたのだと切り返されます。一理ありますが。

 それより僕が疑問なのは、「その宗教」に限らず、夫婦、家族が同じ信仰(特に新興宗教)をもつ場合、その家に生まれた子供は当然その宗教に染まりますよね。大人は自分の意志で選んだ宗教でも、子供は親の信仰に習ってしまって、自分が選択することが出来ない。宗教家の皆さんは「選択の自由はある」と言われますが、でも白紙の状態で選べませんよね。「私達(親)はこの宗教を信じているけれども、君は信じる必要はない。自由に選択していい」とは言わないでしょう。実際、お母さんが熱心にその宗教を信仰されていて、お子さんも染まってゆくケースを何人も見ています。それって、ホントにいいのかな?という疑問をいつも感じてしまいます。

『書き込みのガイドラインはどういう設定なんですか?』
 よく分かりません。どこがイケナイのかさっぱり分からないのに、差し止められるケースは珍しくありません。そういうもんだと諦めるしかないようです。

#36
  • roseland
  • 2005/10/24 (Mon) 17:07
  • Informe

コバルトさん
僕も同じ疑問がありますね。両方の親が信者だったりすると、その信仰に染まる。わたしも小学生くらいの子供が活動をしているのを見たことがあるので。同時に、ある歳に達したら、きっぱりやめちゃう人も居るんでしょうね。
日本みたいに、全体的に宗教に熱心じゃないお国柄だからこういう疑問があるんでしょうね。だって、ヒンズー教とかイスラム教に生まれたインドや中東の人は「俺は小さいころに自由選択を与えられなかった!」なんて怒る姿が想像出来ないし。
結局、思うのはどんなに親が熱心な信者でも本人は辞めるときにはやめると思うんですよ。なんかこう、信者の親から「お前がこれを信じないなら絶縁だっ。」とかいわない限り。
どうかな、コバルトさん?

#37
  • コバルト
  • 2005/10/24 (Mon) 18:48
  • Informe

#36 roselandさん、どうもです。
『日本みたいに、全体的に宗教に熱心じゃないお国柄だからこういう疑問があるんでしょうね。だって、ヒンズー教とかイスラム教に生まれたインドや中東の人は「俺は小さいころに自由選択を与えられなかった!」なんて怒る姿が想像出来ないし』
 そうですね。全員(ほぼ全員)が一色なら、他の色があること自体想像できないから、そういう想像は自然じゃないでしょう。僕の疑問は平和ボケの日本ならではかもしれません。笑

『結局、思うのはどんなに親が熱心な信者でも本人は辞めるときにはやめると思うんですよ。なんかこう、信者の親から「お前がこれを信じないなら絶縁だっ。」とかいわない限り』
 子供が大人になった時に広い視野をもって判断できればいいけれど、幼少の頃から刷り込まれてきたものに疑問が持てるかどうかですよね。親から強要されなくても、疑問も感じずにそのまま行く人もいるかもしれないでしょ?狭い日本の中でさえ、地域差はあるかもしれませんが。

 信仰がすべての人間に必要かどうかについては疑問を感じますが、必要な人には尊いもの。何より大切なものでしょう。そういう敬虔な信者の隣に、その教えにはかすりもしないような俗人がいて、でも彼は幸せな人生を送っている。どれが本当の幸せか、誰にも分からない、よね。

#38
  • roseland
  • 2005/10/24 (Mon) 21:31
  • Informe

そうだね。わからないね。

#41

子供が出たので最近のニュースから一つ。

まるでオルセン双子の再来のようにかわいい13才の双子がナチ賛美の歌を歌っていました。
彼女らは白人至上主義の母親に自宅学習で育てられ(その母親も同じ環境で育ったらしい)今に至っているそうです。

#40

ある人が言ってたんですが、

「どんな宗教でも、宗教があるから人間は理性や道徳がある、宗教がこの世から消えてしまったら、人類はきっと滅亡するよ。」

私はみなさんほど宗教について興味はないし、知識もありません。
でもこの一言は「なるほどなあ」って思いました。

私の父は浄土真宗の坊主で、寺の住職をやってました。
参考までに。

#39

私が前の書き込みをしたのは、たしか金曜日の夜だったと思います。
随分時間がかかるんですね。
その間に他の人にどんどん先を越され、僕の気の遣いすぎだということがわかりました。

コバルトさんのおかげで少し彼らの事が理解できましたが、いくら神が与えた試練かなんか知りませんけど、やっぱり嫌がってる人間にしつこくすることは許せませんね。

それと、輸血の件ですが、信者やその家族が神の教えで拒否するのは勝手ですが、そういう信者を増やそうとしてる行動は、いわば献血者、骨隋ドナー、臓器ドナーを減らしてることになりませんか?
人の命が救われる可能性を減らそうとしてることは、人道上許せません。
極論を言うと間接的な殺人行為だと思います。

私はそのことを皆さんに訴えたかったのです。

私は3年前、大量の輸血を必要とする大手術を受けました。
結果的に輸血によって助けられましたが、助かったのは私だけではありません。
私の妻、その時9ヶ月だった娘、私の20人の従業員の生活。
もし、私がその宗教の信者だったら、みんないったいどうなってたんでしょうね?

血液ドナー、骨隋ドナー、臓器ドナーを減らす行為は絶対に許せません。

ちなみに、私は日本から来られる、心臓移植の子供さんをヘルプするボランティアーもやってます。
死にそうだった子供が元気になって帰国して行くのを何回も見てます。
何回みても感動しますよ。
****ちゃん元気になってよかったねー、って。

みんなドナーさんのおかげです。

#42
  • コバルト
  • 2005/10/25 (Tue) 10:44
  • Informe

#39 ある宗教の被害者さん、
『私が前の書き込みをしたのは、たしか金曜日の夜だったと思います。随分時間がかかるんですね』
 ハンドルネームを登録されてないと結構掲載まで時間がかかるようです。登録していればすぐ載りますが、それでも時間がかかる場合もあります。でも、登録していないと、他人にハンドルネームを悪用される可能性もありますから、登録されることを勧めます。

『いくら神が与えた試練かなんか知りませんけど、やっぱり嫌がってる人間にしつこくすることは許せませんね』
 はい、同意します。

『信者やその家族が神の教えで拒否するのは勝手ですが、そういう信者を増やそうとしてる行動は、いわば献血者、骨隋ドナー、臓器ドナーを減らしてることになりませんか?
人の命が救われる可能性を減らそうとしてることは、人道上許せません』
 その信者が1万人増えれば献血者や骨髄ドナーが1万人減ることになりますが、献血や骨髄を求める人も1万人減ることになりますよね。神の教えによる輸血の是非についての疑問はありますが、宗教に関わらなくても献血や臓器提供を拒否する方もいるでしょうし、拒否する人=人道的でないとも言えないわけで、これは難しいですよね。自分が輸血を拒否したことで誰かが死んだら...。それは、罪なんでしょうか。

『極論を言うと間接的な殺人行為だと思います。
私はそのことを皆さんに訴えたかったのです。
私は3年前、大量の輸血を必要とする大手術を受けました。
結果的に輸血によって助けられましたが、助かったのは私だけではありません』
 その時輸血用の血液が用意できなかった場合、それが宗教上の理由で集められなかったら許せないけど、他の理由で集まらなかったら、納得できますか?
 ちなみに僕も約20年前に輸血を伴う手術を経験しましたが、輸血を受けてしまうと、逆に人への輸血が出来なくなりますよね。
 今度、例えばあなたのお嬢さんが輸血を必要とした場合、あなたが輸血された経験があるが為にお嬢さんへの輸血が出来ないとしたら、あなたは自分を責めますか?それは宗教上の理由ではないから、私は輸血できないが、まったく悪くはないのだと納得できますか?

『血液ドナー、骨隋ドナー、臓器ドナーを減らす行為は絶対に許せません。
ちなみに、私は日本から来られる、心臓移植の子供さんをヘルプするボランティアーもやってます。
死にそうだった子供が元気になって帰国して行くのを何回も見てます。
何回みても感動しますよ』
 命が救われることは、なのものにも代えがたい感動がありますよね。
 ただ、輸血を伴う手術をもって命が救われるなら当然すべきという、私達の常識の外に棲む人々に、その感動を見せても彼等は喜びません。こちらから見ればそれは非道ですが、でも、彼等にとっても僕らを理解してもらうためには、僕らも彼等がその枠からはみ出さない限り、理解しなければいけないでしょうね。
 でないとそれは、その宗教を否定することになります。信仰の自由は認めるが干渉はしないで欲しい、というレベルではなくなります。その信者が増えることでドナーが減ったとしても、最終的にそれは入信したひとりひとりの判断です。その人の信仰の自由を妨げることは出来ません。

#40 ある宗教の被害者さん、
『ある人が言ってたんですが、
「どんな宗教でも、宗教があるから人間は理性や道徳がある、宗教がこの世から消えてしまったら、人類はきっと滅亡するよ。」
私はみなさんほど宗教について興味はないし、知識もありません。
でもこの一言は「なるほどなあ」って思いました』
 そんなことありませんよ。宗教なんてなくたって、人間の理性や良心、道徳感や倫理感は存在します。
 その場合、宗教とは何か?って定義も問題ではありますが、少なくとも今世界に氾濫している宗教であるなら、どれひとつとっても、なくてはならない宗教なんてありません。宗教とは、あってもいいが、なくてはならないものではないんです。僕はそう思います。

#41 みいみいさん、
『まるでオルセン双子の再来のようにかわいい13才の双子がナチ賛美の歌を歌っていました。
彼女らは白人至上主義の母親に自宅学習で育てられ...』
 洗脳ってことですよね。このような例だと、外から見れば染まり具合が明白にわかりますが、自由民主主義の日本でさえも、宗教によって洗脳されてゆくケースは珍しくありません。宗教は、思想をも超えた生き方を左右するもの。だからこそ、対応は慎重に。

#43

コバルトさん。
あなたが反論するとなんだか納得してしまうから不思議です。

で、もっと納得させて欲しいんですが、
>その信者が1万人増えれば献血者や骨髄ドナーが1万人減ることになりますが、献血や骨髄を求める人も1万人減ることになりますよね。

う〜ん、よく分らない。

献血や骨髄を求める人は病気の人ですよね。
健康な人より病気の人の方がはるかに多いと思うのですが。
一方では、確かにドナー不足で困ってますよね。
でも、その信者になってしまうと確実にドナーにはならないわけでしょ。
そのへんの数のバランスがよく分りません。

私が人道上許せないって言ったのは、彼らの勧誘がドナーを確実に減らす行為だからで、個人が自分の意思でドナーになるか、ならないかは別問題だと思うんですが。

>その時輸血用の血液が用意できなかった場合、それが宗教上の理由で集められなかったら許せないけど、他の理由で集まらなかったら、納得できますか?

納得できます。
しょうがないですよね。
でも、血液が足らないのは、その宗教による人為的行為によるものだとしたら、絶対に納得できませんね。

>あなたが輸血された経験があるが為にお嬢さんへの輸血が出来ないとしたら、あなたは自分を責めますか?それは宗教上の理由ではないから、私は輸血できないが、まったく悪くはないのだと納得できますか?

これはコバルトさんにしては意味不可解の例で、よく理解できません。
すみません。
ところで一度輸血を受けたら献血できないって、ホント?
知らなかった。
でも何故なんだろう?

>輸血を伴う手術をもって命が救われるなら当然すべきという、私達の常識の外に棲む人々に、その感動を見せても彼等は喜びません。

よかった、あなたと私が同じ常識で。

>どんな宗教でも、宗教があるから人間は理性や道徳がある、宗教がこの世から消えてしまったら、人類はきっと滅亡するよ。

言葉が足りませんでしたがこの話をしたときは、彼女に宗教戦争のことを説明してもらってるときで、彼女の言ってる意味は「宗教があるにもかかわらず、よく世界中で紛争がおきているけど、もし無かったら人類は滅亡してるよ」
彼女は宗教というのは人間の最低限の秩序を保つ法律みたいなモノって言いたかったんですよ。

彼女っていうのは、私のワイフです。

#44
  • コバルト
  • 2005/10/25 (Tue) 15:25
  • Informe

#43 ある宗教の被害者さん、
 こういった掲示板では、血の通わない「文字」だけでキャッチボールをするので、なかなかスムースにやり取りが進まないことも多いのですが、きっと年代も近いと思われ、僕が向こう側の人間ではなく、また、あなたが分かろうと努める態度で接して頂いているので、僕の話に付き合っていただけているのだと思います。感謝します。

『献血や骨髄を求める人は病気の人ですよね。
健康な人より病気の人の方がはるかに多いと思うのですが。
一方では、確かにドナー不足で困ってますよね。
でも、その信者になってしまうと確実にドナーにはならないわけでしょ。
そのへんの数のバランスがよく分りません』
 僕の書き方がよくありませんでした。すみません。『献血や骨髄を求める人も1万人減ることになりますよね』ではなく、『献血や骨髄を求める「可能性がある」人も1万人減ることになりますよね』ということです。
 入信した信者はドナーを拒否するでしょうが、逆に自分がドナーを必要とする病気になったとしても、ドナーを求めないわけです。
 もちろん病人とドナーのバランスは崩れるでしょう。ドナー減となり、それで何人かの病人が提供を受けられずにしに至る可能性もあるでしょうね。
 
『私が人道上許せないって言ったのは、彼らの勧誘がドナーを確実に減らす行為だからで、個人が自分の意思でドナーになるか、ならないかは別問題だと思うんですが』
 逆ではないでしょうか?あなたはきっと、そのボランティアに携わってらっしゃるので、ドナーを減らす行為を行なっているその宗教が許せないのでしょうが、その宗教は、ドナーを減らすことを目的として伝道されてるわけではないはず。それは教えの中の一部であり、「ドナーを減らして、助かる見込みのある病人を死へ至らしめよう」というのではなく、神が説く血の誤用を辞めようとする教義に沿った生き方をしているだけです。そして新しい信者は、その教義に沿わない限り入信できないわけで、入信する=個人の決断=結果的にドナーにならないことを選んでいるわけです。
 でも、世間は、この宗教に関わらず、カルト、異端、と見ると、その「おかしな部分」だけを取り上げて叩きます。「輸血をさせずに子供を殺す宗教!」のように。それではその宗教との共存は出来ません。魔女狩りではありませんが、潰すしかなくなってしまいます。それでいいのでしょうか?

『でも、血液が足らないのは、その宗教による人為的行為によるものだとしたら、絶対に納得できませんね』
 でも結果的には、あなたの御家族が、20名の従業員さんが路頭に迷っていたかもしれません。その時、その結果の理由が、宗教上の理由で血液が集まらなかったのか否かは、問題になりますか?宗教上の理由でなかったなら、従業員の皆さんは路頭に迷っても「しょうがない」で済むでしょうか。

『これはコバルトさんにしては意味不可解の例で、よく理解できません。すみません。
ところで一度輸血を受けたら献血できないって、ホント?』
 少なくとも僕の個人的事例でいえば、手術後、何度か輸血や骨髄ドナーのチャンスがあったのでしようとしたのですが、いずれも「過去に輸血の経験あり」と言ったら、ドナーにはなれませんでした。
 僕は医学者ではありませんから分かりませんが、やはり輸血で混ざってしまった血液は、何か問題が発生する可能性が純血(?)よりも高いのでしょうね。

『「宗教があるにもかかわらず、よく世界中で紛争がおきているけど、もし無かったら人類は滅亡してるよ」
彼女は宗教というのは人間の最低限の秩序を保つ法律みたいなモノって言いたかったんですよ』
 それでも僕の答はノーです。
 もし宗教というものが、人間の良心の延長にあるものなら、国籍や人種、習慣が違っても、お互いを理解し、尊重し、助け合うことができるでしょう。
 しかし今ある宗教は、その小さな枠の中にいるものだけにとって幸福であるように作られているものばかりです。枠の外とのつき合方がまったく出来ていません。だからユダヤとイスラム、キリスト、仏教等の間に、お互い譲らないことでの争いが生じます。聖戦と言えば聞こえがいいですが、それは自らのエゴのために、自分と違う教えのものを殺す行為です。ありえません。
 それでも宗教があるから、まだ今の状態があるのであって、なければもっと酷くなっているという意味でしょうが、僕はただ頷くことは出来ません。人間社会に必要な秩序は、現存の宗教でなければならなかったのでしょうか。

 キリスト、釈迦、マホメット、孔子、孟子、老子...、多くの聖人が悟り、教えを説いたことは正しいことですが、みな気付かなかったのは、世界にはその聖人以外にも多くの人間がその地域地域で教えを広めている(いた)ということ。それらと共存することはあっても、敵対してはならない。それを説かなかったことだと思います。
 そして群れてはならないこと。宗教という人を救い、導く教えは大切でも、その教えを守るために組織を作ってしまうと、その時から自と他が生まれます。私はイスラム教、あなたはユダヤ教、というように。教えよりも、組織を守ることが大事になってしまったら、それはもう宗教じゃありません。僕はそう思います。

#46

みなさんへ

いわゆる、私がその今回の宗教勧誘??をしている当事者の一人です。
クリスチャンとして生きることに恥ずかしくないので?正々堂々??というかなんというか・・・隠すことなく書かせていただきます。
私は、つかさと申しまして、元シトラスカレッジに通っていたものです。
今はクリスチャンで隣のAPUという大学に通っています。

1.皆さん、宗教系嫌い?なのにもかかわらず、私達のせいでココまで皆さんの貴重なお時間をとらせてしまったようで申し訳ありませんという気持ちと同時に、ありがとうございます。という感謝の気持ちもあるのも正直な意見です。

2.最初に投稿してくださった方へ、私達のクリスチャンの一人が、しつこくってごめんなさい>_<
その人は、一生懸命になったがゆえに、“されたほうがどう思うか”というとてもすごく大切な事を忘れていたのかもしれません。私も、本当に必死になって、ついついその人と同じ行動をしていたかもしれません。だから、そのメンバーの一人として、謝らせてください。本当にごめんなさい。。と心から言いたいです。。。

3.Great Expectationさん、キット私は確実にあなたにお会いした事がありますね。コバルトさんも☆年代とか色々から逆算しても、確実にお会いしています。お久しぶりです^^。このような形でお会いできます事が残念?のようで嬉しく??!複雑な心境ですが、これも一つのすばらしい機会ですので、心より感謝の意を表します★おひさしぶりです。
ちなみに、Great Expectationさんがおっしゃっているように、シトラスカレッジではタクサンの学生がクリスチャンになりました。(たくさんといっても、ほんの数えるほどですが・・・)しかし、正直いって、なっていない学生の方がはるか〜〜に多いです。それを覚えててくださいましたらありがたいです・・・・。
実は、Great Expectationさんがめんしょんしてくださいましたことは、私どもフライデースタッフの間でも、何度も出てきている話題であります。“ビラをまく時は、きちんと自分達の招待を話すように?!!みたいな??”と心がけているのですが、それが伝わらなかったり、“ついつい”そのときに言い忘れたり・・・というクリスチャンが居まして(私もたまにやってしまう)、そのような事実に発展しているのだと思います。
人を誘っているのですから、“ついつい”なんて事があってはいけないですよね。本当にごめんなさい。
気分を害している事を本当に本当に申し訳なく思っていますし、今回のこの件を私達も真剣に受け止め、今後ミーティングに持ち帰って話し合って参ります。
ご忠告、本当に本当にありがとうございます。

3.ということで、今回のこの件に関しての投稿、私達クリスチャンに対してすごく必要な忠告だったのだと心より思います。

最初に勇気を出して投稿してくださった方々を始め、それ以外にもレスをしてくださった一人一人に感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございます。



これを読んでくださった皆様、もしクリスチャンの思いという物を聞く?見る?事にご興味がありましたら、以下の文をお読み下さい。
それ以外の方、お忙しい中お時間を割いて読んでいただきありがとうございました。

ここに、メールアドレスを残すので、何かご意見があります方はご連絡下さい。

*あと、ココでの私の発言が気に食わなかった、クリスチャンの方、ノンクリスチャンの方ごめんなさい。 これらはすべて私の個人的な意見です。

★皆さんのアメリカでの生活が幸せに満ちる事を信じ、お祈り申し上げます★





私は、いちクリスチャンとして、何が一番悲しいかってゆうと、私達の不外なさがゆえに、皆にキリスト教のことが変に伝わるのが、何よりも心が痛いです。
ごめんなさい。

ちなみに、私はどうしてクリスチャンになったかと言うと、なった時ORそれ以前には、皆さんがおっしゃるように“弱いから、頼るものが欲しいから”と言った思いは、一度タリトモ持った事はありませんでした。(これ本当)
だから、私がクリスチャンになった時、本当に本当に驚かれました。はい・・・。

私がazusaでアメリカ人クリスチャンと日本人クリスチャンに出会った後で、
私のクリスチャンに対するイメージは、すごい勢いで変わっていきました。

アメリカ人クリスチャン。
気持ち悪いどころか、弱いどころか、そりゃーいろんな意味でかっこよかったです!!
日本人クリスチャン。 
一本の指が先を向いている時は、3本の指が自分達を向いている事を誰よりも理解していた彼ら、本当に本当に彼らからは多くのことを学びました。



私はノンクリスチャンとして色々なイベントに行き続けました。
そう、自分に対する自信があったので、120%クリスチャンにならない確信もあったためです。
それに、人間的にみても、すっごい役に立つことばっかりいつも話すんです。
人間が成長するのに、確実に必要な事をたっくさん話してくれてたから、いっつも色んな所ついてまわってました。

結局その後、色々あり、私はクリスチャンになったわけですが
今でも、クリスチャンになった事に対する後悔はまったくもってありません。

宗教=弱い。
そう思ってくださって、ぜんぜん結構です。でも、それだけで皆さんが真理を追い求める作業を終わりにする事はすごくもったいないと思います。


なんて長々と書いてごめんなさい。
話のしめが思い当たらないのでこの辺で・・・。

どら猫さんにタッチの差?!でやられた私より。

皆さん一人一人に真の平安がありますように

#47
  • どら猫
  • 2005/10/27 (Thu) 02:30
  • Informe

どうも、一応ぎりぎりクリスチャンで〜〜〜す。
さっき、このスレの事を聞いて全部読んだ所で、「あ、書かなきゃって」思って、大急ぎで登録して書き込んでる所です。
色々とみんな何か話してるけど、一応スレ立てした人に一言だけ。

ごめんなさい、「しつこくて困ってます」さん。きっと彼(?)も悪気は無かったんですよ。でもね、基本的にはそういうのを常識知らずと言うと思います。でも、クリスチャンといわれる人たちがね、みんながみんな常識知らずでは無い(はず)事は覚えて老いてくれたら嬉しいです。
きっとね、そういうのは一般社会にも居ると思います。だから、どっちにしてもこれからは気をつけてね。
でもさ、やっぱり「いやな事」は「いや」って言うのも重要なのも事実だと思います。
日本人にとっては「いや」って言うの難しいかもしれないけど、これからはがんばってね!少しずつ前進してください。

本当にネ色んな所で、クリスチャンから被害を受けたって思ってる人も居ると思うんだ。もしも特に「しつこくて困ってます」さんと、同じイベントの勧誘で不快な思いをした人が居るんだったら、それについては私は謝罪しますね。私も一応参加してますから。

それと追伸・・・
最初に言ったけど、一応だけど、私もねクリスチャンなんだ。それで、同じクリスチャンの人もこのスレを見てたと思うんだ。
でもね、今まで一人しか謝ってないってどういう事なんですか?そっちのほうが気になりました。
特に、そのイベントの責任者が誰も謝ってないって、おかしくないですか?
だって、人の気分を害したんだよ、謝るのが大切な事だと思うよ。
イベントに関ってる人でリーダーとかの事を知ってたら、教えてあげようよ。そしたらきっと謝ると思うよ。
それでも謝らなかったら、きっと本当に常識知らずって言われると思うよ。
人の気分を害したのに、「相手がわかってくれなかったからだよ。伝道って言うのは難しいね。」じゃ、すまないよ。
これからは気をつけようって、それはもちろん大切だと思います。でもね、謝るって言うのも大切だと思うよ。
電話じゃなくって、ほかの方法でね。
すでに、電話は嫌がられてるんだからさ。

#48
  • どら猫
  • 2005/10/27 (Thu) 02:48
  • Informe

追伸・・・
書き直したら、つかさが投稿してた。
ごめんね、つかさ☆

#49
  • damnでし
  • 2005/10/27 (Thu) 10:56
  • Informe

また来ました。
トピ主さんのお悩み相談にはならない話なんでトピずれになるかも知れないけど。
ゴメンね、少しだけスペース貸して!

誰に教わったわけでもない俺なりの理解だと、宗教ってのは、ほとんど例外無く生命体にとって避けることのできない「死」をどう捕らえるか、ということが最大の焦点だと思うんですよ。
人間もそうだけど、どんな下等で原始的な生命体でも天敵に襲われれば逃げたり隠れたりするし、本能的に死を避ける防衛行動をとる。
生命体にとって死とは恐怖するべきものなんだと思う。
人間だけじゃなくてね。
そんで人間の場合は脳みそが発達してるし言語というものを持ってるから理論的に考えちゃう。
どーやって死を理解すれば、死の恐怖から逃れられるかってね。

キリスト教や仏教、イスラム教、その他メジャーになった宗教ってのは死後、人の魂がどうなるかってのをうまく説明してくれてるんだと思う。
つまり「死=再生することの無い虚無」では無い、なぜなら・・・
この「なぜなら」の後の部分の説明がうまくできてるんだと思う。
だから死への恐怖にかられる人間はワラをもすがる思いで信じるんだろーね。

別に宗教を悪く言ってるわけじゃないから誤解しないでね。
だって街中の人たちが死に怯えながら生きてるのって怖いでしょ?
精神安定剤になる宗教なら必要なんじゃないかな?と思う。
それと仏教でもキリスト教でも、罪と罰とか、秩序について考えてる。
自由を勘違いする人間は、いつの時代にもいるけど、宗教を信じることで自由を手に入れるための代償というものも学ぶのかも知れない。
規律や常識(=共通の価値観)やルールや法律etc.。
そーゆーものをrespectして、他人に迷惑を掛けず、自立してはじめて自由を手にできるって学べるのかな?

宗教の問題はね、コバルトさんとかも言ってた通り、自分の信じる教義がこの世で唯一無二の真実だと思ってること。
それならそれでも良い。
でも、違う宗教を信じる人たちや無宗教の人たちに攻撃的な姿勢になるとしたら、何か違う気がする。
テロのことでイスラム教を怖がる人が増えたと思うけど、もともとの経典を曲解した一部の過激派がやってることで、大多数のイスラム教徒は異教徒との共存だってできるくらいの度量は持ってると思う。
エ○バの輸血拒否ってのもそうでしょ?
あれも聖書のどこかに血を混ぜちゃいけない、みたいな表現があって、その解釈だって何通りもあるって聞いたし。
エ○バの人たちは「輸血=神の教えに逆らう行為」と解釈したけど、他大多数のクリスチャンは、違う解釈をしてる。
マイルドになってくれれば、違和感無くお友達になれるかも知れないけど、あまり極端な話をされると拒絶反応が出るよね、普通の人は。

#51
  • コバルト
  • 2005/10/27 (Thu) 13:06
  • Informe

 aputsukasaさんやどら猫さんのレス、読ませて頂きました。
 このトピのお悩みとは少し逸れてしまった宗教論や一部の新興宗教の話が展開してしまいましたが、今回のイベントを企画されたキリスト教については、その誘われた方が少々熱心すぎたことと、トピ主さんも、いやならはっきり断わりましょう、ということで、トピの役割は完結したと思います。しかし、蛇足を長々と付けてしまってすみませんでした。

#46 aputsukaさん、
 僕をご存知とのことですが、つかささんというお名前に記憶がなく、申し訳ありません。以前トーランスの日本人教会の日曜礼拝へお邪魔させて頂いたことがありますが、その時お会いしたのかもしれませんね。違ったらごめんなさい。いずれにせよ、おひさしぶりです。

『ちなみに、私はどうしてクリスチャンになったかと言うと、なった時ORそれ以前には、皆さんがおっしゃるように“弱いから、頼るものが欲しいから”と言った思いは、一度タリトモ持った事はありませんでした。(これ本当)
だから、私がクリスチャンになった時、本当に本当に驚かれました。はい・・・』
 そうですか。それはよかった。あなたが驚かれたというように、一般的にはクリスチャンに限らず、日本やアメリカのように一応物理的に満ち足りた社会において、宗教に走る場合、何か精神的に弱い部分からの解放を求めるケースが多いですよね。だからそうでなく、心身共に健常であって、なおかつ求めて辿り着く人は少ないと思います。

『私はノンクリスチャンとして色々なイベントに行き続けました。
そう、自分に対する自信があったので、120%クリスチャンにならない確信もあったためです』
 そうですか。では、あなたがクリスチャンになった理由はなんでしょうか?
 苦しみからではなく、それまでの生活でも一応満ち足りていたであろう貴方が信心しようと決めたのはなぜですか?批判ではなく、とても興味があります。それがキリスト教でなければならなかった理由、またはその教義の中に、貴方の目を開かせたものがあるなら、ぜひ教えて下さい。

『宗教=弱い。
そう思ってくださって、ぜんぜん結構です。でも、それだけで皆さんが真理を追い求める作業を終わりにする事はすごくもったいないと思います』
 宗教が弱いとは思いません。ただ、心理を求める作業を終わりにすることはすごく勿体無いことだと感じるのは、信心していない僕から見た皆さん信者側にもあるのです。
 一度信心した宗教に対し、「本当にこれでいいのか?」という再確認をされる人は少ないですよね。より信仰を深めようとする人のほうが多いでしょう。信仰を続ける中で、問題点を見つけたならそこで疑問を感じるかもしれませんが、満足していながら、これよりもっといいものがあるかもしれないと、信仰を続けながら他の門を叩く人はいないでしょう。
 それをいけないというのではありませんが、それはつまり「貴方にあった信仰を貴方が見つけた」ということであって、同時に他の人が他の宗教において貴方と同じく「真理を見つけた!」とするならば、それもまた真。であれば、その人その人にあった様々な宗教が存在して然りです。無論、「宗教」以外に真理を見つけることも可なり。しかし、一度中に入ってしまうと「これのみが正しく、他は間違いである」と信じてしまうからおかしくなります。

『皆さん一人一人に真の平安がありますように』
 そのとおりですね。でも、真の平安とは、キリストの教えにのみある、とは貴方は思っていませんか?

#47 どら猫さん、はじめまして。
『クリスチャンといわれる人たちがね、みんながみんな常識知らずでは無い(はず)事は覚えて老いてくれたら嬉しいです』
 そうは思っていません。クリスチャンに限らず、信仰を持つ人は、心優しく、暖かく、思いやりのある人が多いように思います。今までいろいろな宗教の集まりに参加しましたが、その教義は別として、参加されている皆さんはどこへいってもいい方ばかりでした。親切で、明るくて。

『最初に言ったけど、一応だけど、私もねクリスチャンなんだ。それで、同じクリスチャンの人もこのスレを見てたと思うんだ。
でもね、今まで一人しか謝ってないってどういう事なんですか?そっちのほうが気になりました。
特に、そのイベントの責任者が誰も謝ってないって、おかしくないですか?
だって、人の気分を害したんだよ、謝るのが大切な事だと思うよ』
 この言葉に好感を抱きました。宗教云々の前に「人として」ということですよね。僕も同感です。

#49 damnでしさん、どうもです。
『誰に教わったわけでもない俺なりの理解だと、宗教ってのは、ほとんど例外無く生命体にとって避けることのできない「死」をどう捕らえるか、ということが最大の焦点だと思うんですよ』
 そうですね。人間にとって体験したことのない世界はまさに恐怖です。その恐怖からの救済が宗教といってもいいでしょう。

『生命体にとって死とは恐怖するべきものなんだと思う。
人間だけじゃなくてね』
 人間以外の動植物がどう思っているかは、僕には分かりませんが、それはきっと恐怖というより、「死か生であれば、生を選ぶ」というものではないでしょうか。とにかく生きようとすること。死はやがてやってくるけれど、生きようとすること。人にとっても大事ですよね。

『キリスト教や仏教、イスラム教、その他メジャーになった宗教ってのは死後、人の魂がどうなるかってのをうまく説明してくれてるんだと思う。
つまり「死=再生することの無い虚無」では無い、なぜなら・・・
この「なぜなら」の後の部分の説明がうまくできてるんだと思う』
 そうですね。その「なぜなら」をいろいろ説いています。楽園、輪廻、復活...。でも、信仰すれば、の話。

『精神安定剤になる宗教なら必要なんじゃないかな?と思う』
 そうですよね。ただ、死への恐怖に限らずとも、宗教に入信しなくても解決する道もあると思います。事実、死ぬ過程への恐怖はあっても、死後の世界への不安はまったく持っていない、そういう人も少なくない。僕もそうですよ。
 一宗教のみが答ではなく、様々な宗教が共存し、さらに宗教以外にも答はある、そんな柔軟な見方ができれば素晴らしいでしょうね。

『違う宗教を信じる人たちや無宗教の人たちに攻撃的な姿勢になるとしたら、何か違う気がする』
 僕もそのとおりだと思います。

#52
  • Great Expectation
  • 2005/10/27 (Thu) 19:21
  • Informe

aputsukaさん
お久しぶりです。こんな所で再開するのも変な感じがしますね。ミーティングでこの件を取り上げてくださると約束してくださり、ありがとうございました。

「私はノンクリスチャンとして色々なイベントに行き続けました。
そう、自分に対する自信があったので、120%クリスチャンにならない確信もあったためです。
それに、人間的にみても、すっごい役に立つことばっかりいつも話すんです。
人間が成長するのに、確実に必要な事をたっくさん話してくれてたから、いっつも色んな所ついてまわってました。」

そうですね。あなたがまだクリスチャンでない頃、教会でメモを取りながら牧師さんの話を聞いていた姿を覚えています。そのときあなたは、「すごくためになるお話だけど、結局最後に結論を神様にもっていくのが理解できない」と、腑に落ちないようでしたね。クリスチャンとなった今、その問題は解決されましたか?1度ゆっくりキリスト教についてお話できれば、いいですね。

#54
  • momota
  • 2005/10/28 (Fri) 00:27
  • Informe

死という言葉を聞く度、解剖学者養老孟司 の「死の壁」という本を思い出します。以下抜粋です(一部修正をくわえたところもあります)。

「人は自分のことを死なないと勘違いするようになりました。そんなことはない、と仰るかもしれません。(中略)人間が死ぬということが知識としてはわかっていても、実際にはわかっていないのです。」

「現代人はともすれば、とにかく明文化すること、言いかえれば意識化することそれ自体が人間のためである、進歩であると考えます。(中略)そもそも言葉というものは人間が持っている機能のごく一部に過ぎません。にもかかわらず、言葉によって全てを規定しようというのは何か無理があるのではないでしょうか。」

「都市は人間の意識が構造物になったもので、自然を排除してつくられる。その意識とは、自分の思い通りになることが一番価値のあることだという人間中心主義の思想の産物で、身体という自然を遠ざける形で、いつしか死を忘れ、意識がすべてで、自分は死なないと思ってしまっている。その、なんでも思いどおりにならないと気にすまない意識にとって、実は「死」だけが、唯一、思いどおりにならないものなのだ」

「人は自分のことを死なないと勘違いするようになりました。(中略)「俺は俺」「私は私」で不変の意識であるはずだ。不変だとすれば、どうしてそれが消えなくてはいけないのか。なんで死ななきゃならねえんだという疑問です。(中略)だから「魂」という概念を作り出した。そして自分が消えても意識は残るはずだ、ということを「魂が残る」というように考えて、納得していたのでしょう。「死後の魂」を必要としているのは、自分を不変だと思いたがっている「意識」なのです。」

「(中略)しかし、だからといって死んだらどうなるかということで悩んでも仕方がないのも確かです。そんなのは考えても答えがあるものではない。したがって「死の恐怖をいかに克服するか」などと言ったところでどうしようもない。極端に言えば、自分にとって死は無いという言い方が出来るのです。そうすると「(自分の)死とは何か」というのは、理屈の上だけで発生した問題、悩みと言えるかもしれません。」

「死というのは勝手に訪れてくるのであって、自分がどうこうするようなものではない。そんなわけで私自身は、自分の死で悩んだことがありません。死への恐怖も感じない。無駄だからです。「死んだら仕方ない」というふうに考えるのは大切なのです。(中略)人間の力の及ばぬところで出てきた結果は、仕方がないと思うしかない。私はさんざん一元論、原理主義を批判していますが、ある意味で神様っていいな、と思うこともあるのです。それは「結局神の思し召しだから、仕方がない」と考えることに役立つからです。」

「死というのは忌むべきことではなく、人生のなかで経験せざるをえないことなのです。それがあるほうが、人間、さまざまなことについて、もちろん自分についての理解も深まるのです。だから死について考えることは大切なのです。その前提のうえで、「生きるとはどういうことか」という話も出来るからです。」

別の章では例を挙げて現代社会の生死観に触れています。「現代社会は死を排泄物と同じように、見えないところ、考えないところへ追い出しているという。人間の致死率は100%であるにも関わらず、都会生活では死や死体は隠される。人は生き続けるもの、人命尊重、救命医療、人の命は地球より重い、というタテマエが絶対視されていく。」その結果、人命尊重至上命題のあてはまらない例として「アメリカでコースト・ガードの制度を作ったことがありました。海岸で溺れた人の救命作業をする専門家を置いたわけです。その結果、どうなったかといえば、脳に障害を負った人が増えた。溺れかけて途中で蘇生したものの、脳に重い障害が残ったわけです。そうすると介護をする人が非常に増えた。社会的コストがはあがってしまった」

「安楽死とエリート」という章では、重症サリドマイド児の死亡率のはなしをしています。日本は75%、欧米は25%。一方、日本の幼児の死亡率と平均寿命は最高レベルにある。つまり、人命尊重と言いつつも日本では、見えないどこかで今もなお「間引き」が行われているのでは?」と。

賛否両論あると思いますが、興味があれば是非読んでみてください。他にも唯脳論、バカの壁もおすすめです。

#55
  • damnでし
  • 2005/10/28 (Fri) 09:03
  • Informe

俺、ぜんぜんお悩み相談に答えてないよね。
トピ主さん、トピずれで盛り上がっちゃって、ほんとゴメン。
神様、あと少しだけ・・・
momotaさん、まいど。
養老孟司の本の抜粋、ある意味リアルで印象に残る表現が多いっすね。
そうそう、自分だけは死なないって信じたい人間は多い。
俺だって、可能ならそうありたいと思う。
ちょっと古いけどボヘミアン・ラプソティーって歌があるでしょ?
あの歌の中でもママァ〜・・・I don't want to die!って叫びがある。
肉体が滅びるのは理解しても、魂(意識)まで永遠に消えて無くなるというのは怖いことですよ。
友人で物理を専攻した無神論者がいるんだけど、彼はこう言ってた。
”人間が死ぬと肉体は朽ち果て、分解されて行く。
小さな微粒子や時には原子レベルにまで小さく小さくなって行く。
そこに私自身としての意識は存在し得ないが、私の身体を構成する原子レベルのエネルギーが消えることは無い。
したがって、原子レベルに分散したエネルギーは、(全てでは無いが)やがて何らカの形で生命体の中に取り込まれ、一部は別の生命体になって再生する。”
これは理屈で理解できる。
宗教ってのは、この物理の話を超えて、魂は不滅という立場に立ってる。
それを支えるのは、やっぱり死(=再生することの無い意識の虚無)への恐怖だと思う。
時々、腹が立つことがある。
この純粋な恐怖や人間が自然に持ち合わせる弱さを商売に利用する宗教があること。
莫大なお布施や法外な値段で売買される商品。
信仰しない=あの世で地獄を見る(或いは悲惨な来世を迎える、又は来世など無くなり永遠に成仏できない)という教義で恐怖心を煽る。
信者たちのナケナシの金を掻き集めたトップのヤツらは、思い切り贅沢三昧の煩悩垂れ流し放題。
そーゆー人の弱みに付け込む宗教って、ほんと腹立たしいよね。

#56
  • コバルト
  • 2005/10/28 (Fri) 15:32
  • Informe

↑正解!
 だから、立派な(立派すぎる)寺院があったり、教祖がキンキラの服装をして威張っていたり、何かものを買わせたり、戒律があったり、そして上下関係のある組織があったりする宗教は、古かろうが新しかろうが、ロクなもんじゃない。
 宗教なんてもんは、所詮神や仏と自分との付き合いであって、組織に入ったり、何かの教えを厳しく守ったり、何かを買ったりとかの「〜しなければならない」なんてものは一切ないと思うんです。いろいろ学ぶことはあっても、ひとりで出来ます。

 イエスが荒野を歩いて教えを説いていた時、釈迦が衆人を集めてお話をされた時、その話を聞いて、自分なりに受け入れた部分を生活に取り入れていけばそれでよかったんです。
 それをきっちり教典としてまとめ、組織だってガチガチに固めて守ってゆくなんてナンセンス。
 ましてや勘違いの新興宗教はエゴの固まりだし。ホント腹立たしい。

#57
  • damnでし
  • 2005/10/28 (Fri) 16:50
  • Informe

トピ主さんにお叱りを受けないのをいいことに、トピずれ調子に乗らして頂きます。
まいど、コバルトさん!
宗教ってのはさ、やっぱ集団心理も絡んで来るよね。
たとえば普通の人100人の中で浅原△×一人にオー○心理教を説かれても、多分、すぐ信者になるのは1人とか2人とか、そんなものでしょ?
或いはゼロとかさ。
でも100人の信者に囲まれて教義を説かれると、「そうかな?」なんて思っちゃうんじゃない?
「アノ人もコノ人もみんな信じてるんだから」みたいな。
宗教と政治を一緒にするのは不謹慎としかられるかも知れないけど、北朝鮮から戻った拉致被害者達だってそうじゃない?
金○△将軍様の信者に囲まれている内は将軍様が絶対君主だったわけでしょ?
でも将軍様の力の及ばない日本人に囲まれて、数ヶ月経つ内に、段々と周りが見えて来た。
どんな集団の中で過ごすかによって、人間の気持ちって物凄く左右されるんだと思う。
集団心理、死や地獄や来世・・・未知の世界への恐怖、カルトな教団は、みなこういう心理をうまく逆手に取る。

カルトじゃなくても、まっとうな(何が”まっとう”か難しいが)宗教だtって、そういう心理をたくみに使ってる部分はある。
ただ、まっとうな所は法外な金額の寄付とかは求めないけどね。
コバルトさんと微妙にずれてるとすれば、宗教で上下関係を作るのが悪いとは言い切れないと思うところかな。
日本で最古の宗教神道を差し置いて仏教が奨励されたのも、豊臣秀吉の時代からキリシタンが迫害を受けたのも、親や年長者を敬うという仏教(特に儒教)の思想が武家社会の秩序維持に最適だったからと聞いたことがある。
度を越さなければ上下戒律を作るのも悪くはないんだと思う。
生まれながらにして差をつける世襲制度とかには反対だけど、スタートはみな等しく平等で、その後の頑張りや実績に応じて公平に差を付ける、という考え方なら俺個人としては賛成するし。
現実の世の中は、そうなってないことの方が多いけどね。

#58
  • とっくり
  • 2005/10/28 (Fri) 17:44
  • Informe

皆さんの議論は大変勉強になりました。結局、「信じるものは救われる」っていうのが最大最強(最恐?)の心理なのかな?と思いました。と、ここで仏教についての疑問が一つ。 #55でdamnさんが言ってる、死への恐怖。仏教では悟りを開くともう輪廻しない事になってます。それってもう何にも生まれないってことでしょ?それってある意味永遠の死なんじゃないですかね?

#59
  • コバルト
  • 2005/10/28 (Fri) 17:44
  • Informe

『でも100人の信者に囲まれて教義を説かれると、「そうかな?」なんて思っちゃうんじゃない?
「アノ人もコノ人もみんな信じてるんだから」みたいな』
 
 う〜ん、子供ならいざ知らず、大人であればちょっと疑問。それも狂人麻原の非道な教えとかなら、たとえ周りがみんなそうだと言ってもね。人を殺してもいい、なんて教えは存在し得ないから。
 ただね、子供なら分からない。だからこそ、親が入信してる宗教には子供は染まりやすい。そこが恐いんだよね。人道的に正しいかよりも、親がすることは正しいと観てしまうから。

『カルトじゃなくても、まっとうな(何が”まっとう”か難しいが)宗教だって、そういう心理をたくみに使ってる部分はある』
 同意。ここで登場したある新興宗教も、伝導する際は複数で行くように説いてます。複数対一人でね。
 集会へ行けばどこも多勢に無勢だし。って戦いじゃないけど。笑

『ただ、まっとうな所は法外な金額の寄付とかは求めないけどね』
 そう。誰かも言ってたけど、神や仏はお金はいらないんです。欲しいのは人間だけ。

『コバルトさんと微妙にずれてるとすれば、宗教で上下関係を作るのが悪いとは言い切れないと思うところかな。
日本で最古の宗教神道を差し置いて仏教が奨励されたのも、豊臣秀吉の時代からキリシタンが迫害を受けたのも、親や年長者を敬うという仏教(特に儒教)の思想が武家社会の秩序維持に最適だったからと聞いたことがある』
 僕が言う上下関係は年長者を敬うかどうかではなく、階級を定めてることです。年長者や親、先祖を敬うのは宗教以前で当然のこと。
 ただ、人間だれしも上を望むから、そこでまた欲が生じたりね。また、いきなり「私は釈迦の生まれ変わり!」なんて言われてもね。それを信じて敬ってしまうバカもバカだけど。 

『スタートはみな等しく平等で、その後の頑張りや実績に応じて公平に差を付ける、という考え方なら俺個人としては賛成するし』
 社会の中で、頑張れば誰にもチャンスがある、的なものならいいけれど、そういうものには必ず金の力とかが関わってくるし、まして神や仏の前で上も下もないと思うから僕は全面的に反対。年長者を敬うのは別として。
 というか、宗教(団体や組織)そのものの存在を僕は否定してるので、そこだけ反対ということではないけど。また、魂のレベルでは、人間社会の身分や階級は関係ないし。

#60
  • コバルト
  • 2005/10/28 (Fri) 18:03
  • Informe

#58 とっくりさん、どもです。
『疑問が一つ。#55でdamnさんが言ってる、死への恐怖。仏教では悟りを開くともう輪廻しない事になってます。それってもう何にも生まれないってことでしょ?それってある意味永遠の死なんじゃないですかね?』
 悟りを開くともう輪廻しないかどうかは分かりませんが、現世に生きない=死と単純に観るならそれは死でしょうね。こっちの世界じゃなくて、あの世(極楽浄土)で生きるわけだから。でも魂としては死じゃないですね。

 キリスト教では、ハルマゲドンの後、教えに従う人は楽園で永遠に暮らしますが、さらに神に選ばれた144000人は、楽園ではなく天でイエスと共に地球を統括する。で、楽園にもいけない人は完全なる死があるわけで、なんか似てるような似てないような。イスラム教も、根っこがキリスト教やユダヤ教と一緒だからだいたい同じ感じ。裁きもあれば、天国と地獄もある。

#61
  • momota
  • 2005/10/28 (Fri) 20:39
  • Informe

コバルトさん。横やりすみません。

>『でも100人の信者に囲まれて教義を説かれると、「そうかな?」なんて思っちゃうんじゃない?「アノ人もコノ人もみんな信じてるんだから」みたいな』

>>う〜ん、子供ならいざ知らず、大人であればちょっと疑問。

Aschという人の「人間の追従」に関する1951年に行われた有名な実験があります。視覚の実験として10人前後の大学生が部屋に集まり、一本の縦長の線の書かれたボードを見せられます。次に3本の異なる縦長の線が書かれたボードを見せられ「最初に見た線と同じ長さはどれか」と聞かれます。実は10人中9人は偽者被験者でAschの実験スタッフ。1人だけが実際の被験者でその一人は部屋の一番端に座らされます。偽者被験者(スタッフ)9人が全員とも明らかに違った答えを回答したら、最後の一人はみんなに同調し間違った答えを言うかどうか?という実験でした。結果は33%が他の9人が選んだ明らかに間違っている解答に従って、本人も間違った解答を選びました。逆にスタッフの9人が正解も含めばらばらに答えた場合ではほとんどの被験者が正解を選びました。

その後「追従・順応」に関する研究がなされ様々な要因の個人差があることがわかっていますが、「子供ならまだしも常識のある大人ならそんなことは無いだろう」とも言いきれないと思います。

>それも狂人麻原の非道な教えとかなら、たとえ周りがみんなそうだと言ってもね。

なぜ麻原の宗教に頭の良い大人たちまでも染まって行ったか?ということについて書かれた本には、「麻原は一応真面目にヨガを習得していた。はじめはヨガ教室として人を集め、一種のトランス状態を経験させた」そうです。養老孟司も言っていますが現代人の意識化が進み、人間が「身体」を忘れていることで、ヨガ道場ではじめて味わった(トランス状態=不思議な力)を必要以上に神秘化してしまったのでは?と。

Aschの実験同様、人に影響されやすい流されやすい一部の人が入信してしまったのかな?と思います。

#62
  • コバルト
  • 2005/10/28 (Fri) 21:52
  • Informe

>>「子供ならまだしも常識のある大人ならそんなことは無いだろう」とも言いきれないと思います。

 でもそれは、物事の善悪の判断とは少し次元が違いますよね。どれを選んでも、人生を変えはしないし。
 他の9人が「殺せ」といって、それに倣うなら、話は別ですが。

>>なぜ麻原の宗教に頭の良い大人たちまでも染まって行ったか?ということについて書かれた本には、「麻原は一応真面目にヨガを習得していた。はじめはヨガ教室として人を集め、一種のトランス状態を経験させた」そうです。養老孟司も言っていますが現代人の意識化が進み、人間が「身体」を忘れていることで、ヨガ道場ではじめて味わった(トランス状態=不思議な力)を必要以上に神秘化してしまったのでは?と。

 確かに麻原の側近幹部には、若く著名大学卒の頭脳明晰な人間が多くいましたね。しかし彼等は頭が良くても社会経験に劣り、賢くはなかった。逆に中卒、高卒でも賢い人はたくさんいます。物事の善悪の判断がきちんとできる人が。
 麻原の周りの人間は、理系の、それも専門分野には高い能力を発揮するが、それ以外の理性や良心に薄いというか、世間知らずが多かったように思えます。
 トランス状態で洗脳してゆくことも効いたと思いますが、世間知らずであったが故にその効果も大きかったのではないでしょうか。
 しかし「麻原は一応真面目にヨガを習得していた」というのも、目的がこれなら、真面目ではなく狡猾、執拗、悪質といったほうがいいでしょう。元幹部全員や夫人と共に、早く死刑執行を願います。

 悪質な宗教だけでなく、新しく始まる悪質ビジネスの説明会等に行くと、ほとんどの参加者が社会経験のない若者です。社会でのある程度の経験があれば「そんなバカな話はない」と判断できることが出来ない人間がこぞって参加し、そしてダマされていきます。ちょっと考えてみれば分かることが、簡単にダマされます。本当に恐いです。

#63
  • momota
  • 2005/10/28 (Fri) 22:38
  • Informe

>物事の善悪の判断とは少し次元が違いますよね。

そうですね。仰るとおりです。

>確かに麻原の側近幹部には、若く著名大学卒の頭脳明晰な人間が多くいましたね。しかし彼等は頭が良くても社会経験に劣り、賢くはなかった。逆に中卒、高卒でも賢い人はたくさんいます。物事の善悪の判断がきちんとできる人が。

「バカの壁」で著者が「知能・賢さ」について論じていて、コバルトさんと同じようなことを書かれています。暗記の天才と呼ばれる人や難しい物理化学を証明した有名な科学者が、実生活では人間関係にとても苦労していた(または孤立していた)ことが多いそうです。昼夜無く研究に没頭しているのだからわからなくもありませんが。

養老氏は「賢さとは総合的な社会適応能力である」と述べています。
納得。

#68
  • momota
  • 2005/10/29 (Sat) 12:21
  • Informe

トピ主さん。トピずれごめんなさい。

養老孟司は解剖学者です。常に死(死体)と向き合っていています。物理や生物化学のレベルでの死はdamnでしさんの友人の方と似た「死に対する理解」はあると思われます。「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに養老孟司は「回復しないから・取り返しが付かないから」と答えています。でも、死だけでなく過ぎてしまった時間も同じだと言います。昨日にも10年前にも過去に戻ってすでにしてしまったことを無かったことには出来ない。だから精一杯今を生きることが大切だと。

「死の壁」は養老孟司が彼のお父さんの死と向き合うことから始まります。今の境地にたどり着くまで30年を要したそうです。私も養老孟司と同じく「自分の死」に対する恐れは無いですが、身近な人間(両親や大切な人達)の死に対する恐れはあります。誰かがこういっていました。お葬式は亡くなった人のためではなく、残された人達がその死を乗り越えるために不可欠な儀式の一つだと。そういえば昔22年生きた私の愛猫が死んだ時でさえも通夜、葬式、埋葬とやりました。

研究や仕事がHIVやドメスティックバイオレンスに絡んでいるので、時々死を目の当たりにしています。私の生死観は解剖学者の養老健司と監察医の上野正彦に大きく影響されています。特に上野正彦氏は著書「死体は語る」で「二度と話すことの出来ない被害者(死者)の代弁をする弁護士のようなものだ」と自分の仕事を形容していました。

自殺や他殺の死体と対面することで生きている人間の理不尽さや欲に直面します。著書の中のエピソードの一つですが、以前変死で運ばれてきた女性の司法解剖をした際、彼女が妊婦であることが判明します(妊娠3ヶ月ぐらいだったと思います。なので見た目ではわからなかった)。しかし駆けつけた家族は、「家族の了解無しに大事な娘を切り刻み解剖したのは許せない」として上野氏を訴えると言いました。そこで上野氏は「解剖が気に入らないなら訴えてくださって結構ですが、お嬢さんは妊婦だったので、私の死亡診断書を提出すれば保険金が二人分降りますよ。」といたらあっさり訴えを取り消した、という話があります。

#67

私は宗教の詳しいことや難しいことは分からないので上手な言い方ができないと思いますが、
私の宗教のへのスタンスってコバルトさんと結構似てます。

興味はあるけどやっぱり最後で自分を捨てられない、自分の考え方を放棄して、その時勧誘されてる人たちの言う
「神様」とやらに自分の存在を丸投げできない、ので。

私はきっとどうして人は宗教を持つにいたるのか、っていう根本の方に興味があるのであって、その結果論みたいのは興味がないのです。

人というのをただの存在として見て楽しめるんですよね。

でももちろんいろんな立場、角度からの見方があって、ある人たちはその宗教のものの見方で、自分の居場所を測ろうとしてるんだと思います。

だからこういう議論って平行線なんですよ。

勧誘がいやだったら、なぜいやなのかという意見を自分にもっておく。それがないから彼らはあなたを地に足がついてない迷子とみなして寄ってくるんだと思います。

私もかつて教会に通ったのです。
クリスチャンになりかけで、でもなかなかならない私に皆ひどく親切に、
そして怖いくらいに説得してきました。でも

結局自分がかわいいんですね、自分を丸投げできませんでした!

今でもすまない気持ちでいっぱいです。

#66

主人の家族がみな非常に非常に熱心なクリスチャンで、私は無宗教。

無宗教である事を彼のお母さんが聞いたとき、「あらやだ、あなたモンキーあがりなの?私達は神の子だから。」と、すごく嫌な感じに言われ非常に不快感を感じ傷ついた。「モンキーあがり」ってさ。なんだそれ。その他もろもろ、散々嫌みを言われてきたの。

だから全然キリスト教の良さなんて分からないや。何を信じようと個人の自由だけど、世の中それだけが全てではないので押し付けないでほしいわ。

トピずれでごめん。

#65
  • 傍観だけでは終われなくなった2
  • 2005/10/29 (Sat) 12:21
  • Informe
  • Borrar

#46 aputsukaさん、初めまして。
私は無宗教主義です。宗教は世の中的には、百害あって一利なしだと思っています。そういうスタンスでいることを前提に聞いてください。

私の所にも以前どなたか勧誘にこられたことがあります。相手にする気が全くないのであえて会話をしませんが、堂々と名乗り出てこられたあなたと少し問答をしたくなりました。別にあなたを納得させようとか、批判しようという事ではありません。自分とこれだけ正反対いる方が何を思い、考えておられるのか興味が沸いただけですので誤解なさらないでください。

私は"宗教"と聞いて真っ先に連想するのが"戦争の道具"です。宗教の元々の教えはきっとどれもすばらしいものだろうと思います。間違っても殺し合いをしましょうなんて教えが最初からあるとは思えません。ですが現実には、一部の人間の私欲のぶつかり合いで、時には都合よく敵対関係を築かせ、時には民衆操作を効率的に行う手段として活用されてきたという事実があり、繰り返してきました。

結局私利私欲の塊の人間達が関与する以上、どこかで本来の教えから外れ、人に影響されやすい人がうまく利用されるという仕組みは永遠のもののように思います。

そういう現実って何も感じないんでしょうか?それとも自分の信じている宗教だけは違うということでしょうか?

人が何を信じ、何を好きになるのも自由なのですが、強い思い込みをもった人々が集まると、色々やっかいなことが起きやすいと思っています。特にその人達が自分自身で考えることを不得意としている人達であると、先導者の手腕1つで簡単に善にも悪にも傾けることができるという恐怖感があります。

せめて勧誘なんてせず、自分だけ信じていればよいというスタンスでいてくれればなぁーと勝手に思っています。強引にでも勧誘活動をされる、その真意をお聞かせ頂けますでしょうか?

#64

コバルトさん。
いい勉強になりました。
有難うございます。

”相手を理解し、うまく共存する”

なるほど、そういうふうに考えればあんまり腹も立ちませんね。
確かに奴らは皆殺しにするまでは、この社会に存在する訳だし、そんなことは不可能だしね。
確かに、私はただ単にドナーの件で腹を立ててました。
この次に奴らが来たら、
「そんなに自分達の神が偉大で尊重してるんだったら、サッサと集団自殺でもして自分達の神のとこに行きなさい。他人のことは放って置いて」
こう言ってやろうと思ってましたが、
あなたの意見(ひょっとしてコレって”教え”?)を聞いてから、なんだかバカバカしくなり、醒めてしまいました。

>宗教があるにもかかわらず、よく世界中で紛争がおきているけど、もし無かったら人類は滅亡してるよ。

私のワイフの事ですが、私が病気で死にそうになったとき、無宗教だった彼女は、誰に助けを求めればいいか混乱してしまい、一番近い存在だった教会に行き、洗礼まで受けて本物のクリスチャンになってしまいました。
私は回復するまで2年以上かかったのですが、その間、彼女はBible Studyの集まりに頻繁に出かけ、聖書を理解しようと一生懸命でした。
ついでに、他の宗教の事まで気になりだし、ついに「一回、エルサレムに行ってみたいなー」
って言うようにまでなりました。

彼女はあなたほど知識はありませんが、聖書には、人がやってはいけない事、やらなくてはならない事、などが書いてある(私は一行も読んだことがありません)らしいみたいなことを言ってました。
つまり彼女は「人がやってはいけない事、やらなくてはならない事」を”規律や道徳”と解釈したのでしょうね。
そして宗教を崇拝してる人達、つまり”規律や道徳”を知ってる人でも人殺しをするのだから、もしその”規律や道徳”っていうのが無かったら、一体、人類はどうなってしまうのだろう。ってただ単純に考えたんでしょうね。

まあ宗教については、同じ宗教でも人それぞれの解釈や見解があるようで、そのことについても”相手を理解し、うまく共存する”教えは役にたちますね。

それにしても、一回でいいから奴らをICUに連れってって、体中チューブだらけになってる子供や生命維持装置を付けながらドナーをまってる子供を見せてやりたい。
そして「あんた、本当にこの子達を助けたい気持ちは無いの?」って聞きたいですね。

#70
  • コバルト
  • 2005/10/29 (Sat) 15:08
  • Informe

#64 ある宗教の被害者さん、どもです。
『この次に奴らが来たら、
「そんなに自分達の神が偉大で尊重してるんだったら、サッサと集団自殺でもして自分達の神のとこに行きなさい。他人のことは放って置いて」
こう言ってやろうと思ってましたが、あなたの意見(ひょっとしてコレって”教え”?)を聞いてから、なんだかバカバカしくなり、醒めてしまいました』
★教えなんかじゃありません。僕の個人的見解です。
 ただ『集団自殺でもして自分達の神のとこに行きなさい』は無理でしょう。それは「自殺」が「血の誤用」と同じく神が嫌うものだからです。
 昨今の日本でも自殺者数は増えてますし、集団自殺事件もよく耳にします。「自分の命なのだから死ぬのも自由」といえばそうかもしれませんが、「自分の自由で生まれてきた、勝手に生まれてきた」のか「命を与えられた」のかについては、僕も後者的考えです。頂いた命はいずれ終わる時まで、精一杯生きるべきだと考えます。

『そして宗教を崇拝してる人達、つまり”規律や道徳”を知ってる人でも人殺しをするのだから、もしその”規律や道徳”っていうのが無かったら、一体、人類はどうなってしまうのだろう。ってただ単純に考えたんでしょうね』
★そうでしたか。なるほど。でも、それは奥様が貴方のことをとても大切にされている証拠ですね。お幸せです。

『それにしても、一回でいいから奴らをICUに連れってって、体中チューブだらけになってる子供や生命維持装置を付けながらドナーをまってる子供を見せてやりたい。
そして「あんた、本当にこの子達を助けたい気持ちは無いの?」って聞きたいですね』
★そこまでしたところで、彼等にとってみれば、その教えを受け入れれば、その子には楽園での永遠の命が与えられるのだから、神の教えに逆らって輸血したら、楽園での復活はなくなる。そのほうが子供のためにならない。そう思うでしょうね。話の次元が違うのです。目の前に見えている状況は物理的には同じでも認識が違うんです。無理です。

#65 傍観だけでは終われなくなった2さん、どもです。
★aputsukaさんヘの質問、『そういう現実って何も感じないんでしょうか?それとも自分の信じている宗教だけは違うということでしょうか?』
 僕も知りたいです。入信前は否定的だったaputsukaさんが、信心しようと決めた確かな理由も知りたいです。

『せめて勧誘なんてせず、自分だけ信じていればよいというスタンスでいてくれればなぁーと勝手に思っています』
★同感です。信仰者側が、「この素晴らしい教えを世間に広げひとりでも多くの人を救いたい」という気持ちがあることも十分理解しますが、それでもなおかつ同感です。

#66 モンキちさん、はじめまして。
『無宗教である事を彼のお母さんが聞いたとき、「あらやだ、あなたモンキーあがりなの?私達は神の子だから。」と、すごく嫌な感じに言われ非常に不快感を感じ傷ついた』
★それはひどい。「モンキーあがり」とは、猿が人間になったことを信じる進化論信者をバカにした表現だと思いますが、『何を信じようと個人の自由だけど、世の中それだけが全てではないので押し付けないでほしいわ』まさにそのとおりです。クリスチャンのほうが間違ってる可能性も十分にあるのですから、一方的に決めつけないで欲しいですね。

#67 たーんたんさん、はじめまして。
『興味はあるけどやっぱり最後で自分を捨てられない、自分の考え方を放棄して、その時勧誘されてる人たちの言う「神様」とやらに自分の存在を丸投げできない、ので』
★そうですね。僕も興味は津々なので、あちこちの集会に顔を出したりしましたが、その中のひとつだけの宗教を全部受け入れるのではなく、気に入った部分をあちこちからもらいたいだけなんです。基本には「自分」があって。でも宗教はそれを許してくれない、っというか認めないんですね。でもいいんです。認められようがられまいが、僕の人生ですから。向こうのスタンスにあわせる必要なんてないんです。だから自由に付き合えばいい。日曜礼拝に参加した後で、法事に出たり。元々日本人はそういう部分がいい加減というか、柔軟なので、僕はそれでいいと思います。

『勧誘がいやだったら、なぜいやなのかという意見を自分にもっておく。それがないから彼らはあなたを地に足がついてない迷子とみなして寄ってくるんだと思います』
★そうですね。悪気はないのでしょうが、迷える子羊を救いたい気持ちなんでしょうね。勝手に子羊のされる側はたまりませんが。

『私もかつて教会に通ったのです。
クリスチャンになりかけで、でもなかなかならない私に皆ひどく親切に、そして怖いくらいに説得してきました。でも結局自分がかわいいんですね、自分を丸投げできませんでした!
今でもすまない気持ちでいっぱいです』
★申し訳なく思う必要はないと思いますよ。彼等は単に「してくれてた」のではなく、「させてもらってた」のでもあるんです。伝道することは相手のためだけではなく、彼等のためでもある行為です。彼等自身伝道することで自分自身も救われる、神に近付くわけですから。「してくれた」ことへ感謝するのはいいことですが、それに応えられなかったことを悔やむ必要はありません。むしろそれが負担になってズルズルと引きずってしまうほうが、悪い結果になると思いますよ。

#68 momotaさん、毎度です。^_^
『「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに養老孟司は「回復しないから・取り返しが付かないから」と答えています。でも、死だけでなく過ぎてしまった時間も同じだと言います』
★子供でも分かりそうなことでありながら深いですね。それに、物理的。

『私も養老孟司と同じく「自分の死」に対する恐れは無いですが、身近な人間(両親や大切な人達)の死に対する恐れはあります。』
★世間一般で少々履き違えているように思えることがあるのですが、「死」についての恐怖は、本人にしてみれば、恐いのは死後ではなく、死ぬ瞬間、死ぬということですよね。病気、事故、殺人等々。しかし自分以外から見た自分の「死」で恐いのは、死に方よりも、死んでいなくなってしまうこと。momotaさんも「自分の死」に対する恐れは無いといっても、目の前にナイフを突き付けられたり、断崖の今にも落ちそうな場所にひとり立たされたりすれば恐いでしょう?だから死が訪れるならポックリと逝くことを人は望むわけで。

『誰かがこういっていました。お葬式は亡くなった人のためではなく、残された人達がその死を乗り越えるために不可欠な儀式の一つだと』
★僕もそう思います。あと、散らばってしまった親戚縁者が集まって親交を深めるためでもありますよね。

『「解剖が気に入らないなら訴えてくださって結構ですが、お嬢さんは妊婦だったので、私の死亡診断書を提出すれば保険金が二人分降りますよ。」といったらあっさり訴えを取り消した、という話があります』
★あはははは。人間のエゴとはそんなものなんですね。

#69

いや〜、#64は火曜日に書いたのに土曜日にやっと載りました。
HNを登録する時にどっかでヘマをやらかしてしまい、”自分のアドレスは他人に使われてます”になってしまいました。
しょうがないので今のHNでいきます。

この4日間の間にかなりの人が意見を交換し、そのおかげで大変勉強になりました。
ちょっと専門的すぎて、僕には理解できないような書き込みもあったので、もし、流れに乗ってなかったらゴメンナサイ。

このトピの題名に戻ってですが、もう一度最初から読み直したところ、#23のroselandさんのところで

>キリスト教に関しては、これ得だから試してみて、みたいな単純な話じゃなくて、今これこれをしないと将来苦しみますよといった警告なんです。つまり人の命がかかってる。自分は助かる方法を知ってるのに他人に秘密しとくのは人殺しだ、見たいな考えなんですよ。だから、勧誘する、説得する。あらゆる手を尽くしてその人が救われるようにする。そうしないと自分が救済されない可能性が出てくる。だから皆必死なんですよ、勧誘する人は。<

クリスチャンの人、もし、これが本当なら、自分の利益の為に人を勧誘する”ネズミ講”とかわらないような気がするんですが、いかがでしょう。

コバルトさん、意見、ちょっとまってて下さいね。
取り合えずキリスト教信者さんに聞きたいです。

また、なが〜いホールドが待ってるかもしれないので、続けて書きます。

私の妻はクリスチャンですが、勧誘(布教)に関しては日本人精神で、人様に迷惑をかけるのは禁物って考えているようです。
また自分がクリスチャンであることも、隠しはしませんが、自分から他人には言いません。
彼女は”自分が信じていれば、それでいいのよ”だそうです。
先ほどのキリスト教の教えに逆らってることになるので、彼女は極楽へはいけないのでしょうね。

私は無宗教です。

理由は、どなたかが、宗教は”精神安定剤”みたいなことをおっしゃてましたが、私には精神安定剤は、いまのところ必要ないからです。

死も怖くありません。
これって(死ぬこと)子供の時に予防注射を怖がってたのと似てますね。
怖がっても、そのうち必ず順番はきます。
どうにも出来ない事を心配しても時間の無駄だ、それなら何時死んでも後悔のないように生きようっていうのが僕の考えです。
実際に医者に余命宣告をされた時も「俺の一生はここで終わりか。まあいいや、後悔はないから・・・。さて、これから死ねまでなにをやろうかな?もう、なにもやりたい事はないや。」って感じでしたね。
その時はまだ40代前半でしたけれどね。

長くなったついでに・・・。

結局、命がかかった大手術後に助かってしまった訳ですが、死ねかもしれないと思い手術室に入った時、「ここが人生の終着駅になるかも・・・。」なんて考えてるすきに麻酔でコロン。
もし死んでたとしたら、なんとも簡単な死に方でしたね。

四日間意識が無かった訳ですが、その間は”無”でした。やっぱり死んだらただ”無”になるのかな?って考えてます、経験上。

土曜日の3時頃書きました。いつ載るのかな?

#71
  • roseland
  • 2005/10/29 (Sat) 16:30
  • Informe

なんだか自分の文が引き合いに出されてたから、書きますね。
布教活動はねずみ講じゃないかという意見ですが、私が思うに大きな違いは、ねずみ講というのは人を勧誘してそのグループに参加して初めて勧誘者は得をするということですよね?ただ布教活動は、勧誘された人がグループに入ろうが入らまいが大して関係ない。自分がその活動に携わったということが大事なんじゃないかな。ま、布教活動を,損得の視点でいろいろ言ったらやってる人にたたかれそうですが、人間はどうあがいても自分の利益を追求する生き物ですから、不況はやることに意義があるということだと思います。

じゃあなんで、エ〇バの証人とかモ〇モンがああ必死かというと、彼らのメッセージは警告だからだと思う。黙示録のハルマゲドンとか来る前にみんな改宗しないと死んじゃうよ、ということをみなんに言いたいんでしょう。だから、彼らはけっこうしつこい。

ちなみに奥さんもクリスチャンだそうですが、布教はクリスチャンにとってネックの部分です。聖書にそう書いています。あなたの奥さんが極楽にいけるかいけないか僕は知る由もありませんが、布教はクリスチャンにとっては責務です。権利ではありません。(キリスト教の教えによればね。別に奥さんを非難しているわけではないんであしからず。)

#72
  • とっくり
  • 2005/10/29 (Sat) 17:13
  • Informe

#60コバルトさん
僕自身は本来の仏教は魂を認めないと言うか、魂と言う概念が業を生む事に繋がるとされている、と思っています。無我の境地という言葉はそういう事だと。魂や我(ego)があるから欲が生まれる。つまり、それを無くす事が悟りだと。自分が釈迦の生まれ変わりだ、などと言う新興宗教を論破するネックになる部分はここだと思います。仏陀は煩悩を捨て涅槃の境地に入ったのだから、もはや生まれ変わる事は無い、と言うのが本来の仏教だと考えます。あと、キリストの生まれ変わりとか言ってる人達、あり得ないですよね。彼は十字架で死んで、三日後に復活して神のもとに行った。それで最後の審判の日にもう一度戻ってくるんだから。あと、仏教にはもともと極楽浄土という概念があったかどうかも疑わしいです。でもこれは僕の考え方ですから、あんま意味ないですよね。すいません。ただしゃべりたかっただけかも。あと、これも前にコバルトさんがおっしゃってた「宗教とは何か?」によると思うんですけど、僕は無宗教ってあり得るのか疑問です。宗教に対するスタンスはコバルトさんと一緒だと思います。

#73
  • コバルト
  • 2005/10/29 (Sat) 17:34
  • Informe

#72 とっくりさん、ありがとう。
『僕は無宗教ってあり得るのか疑問です』
 僕は無宗教主義ですが、有神仏論です。つまり、現存の法人組織、団体としての宗教のみを宗教と呼ぶなら無宗教はあると思いますが、人はそれぞれに多かれ少なかれ生きる上での土台になっている信条や心の声、規範、倫理観をもっています。その中には「神様、仏様」も含まれるでしょう。それを宗教と呼ぶなら、無宗教は有り得ないかもしれませんね。

 このトピの皆さんのレスの中にも、「無宗教」としながらも、しっかりとした理性をお持ちの方が多く見られます。うれしく思います。

#75
  • momota
  • 2005/10/29 (Sat) 19:40
  • Informe

コバルトさん
★世間一般で少々履き違えているように思えることがあるのですが、「死」についての恐怖は、本人にしてみれば、恐いのは死後ではなく、死ぬ瞬間、死ぬということですよね。病気、事故、殺人等々。しかし自分以外から見た自分の「死」で恐いのは、死に方よりも、死んでいなくなってしまうこと。momotaさんも「自分の死」に対する恐れは無いといっても、目の前にナイフを突き付けられたり、断崖の今にも落ちそうな場所にひとり立たされたりすれば恐いでしょう?だから死が訪れるならポックリと逝くことを人は望むわけで。

コバルトさんのお返事を読んで改めて考えました。やはり私は「自分の死(の瞬間)」は怖くないと思います。「死後」については机上の推論だと思っていますから、怖いも何もないです。ナイフを突きつけられたり、崖から落ちたり、「怖い(避けたい)」のは死んで無になることではなく、それによって引き起こされる「痛み・苦しみ」だと思います。器械体操をやっていたのでそれなりにいろんな怪我もしたので、普通の人より身体的な痛みには強い方だと思いますが、それでもやはり痛いのは嫌です。練習で使う競技用トランポリンから失敗して落下する時も落ちながら「一番痛くない着地しなきゃ」と必死に考えます。

医学が発展し、脳死や植物状態など、以前なら死んでいた人も死なない世の中になって、「生と死の境」って何だろう?という論議が起こっています。脳死を死とするか(さらに大脳や小脳の死を死とするか、脳幹の死を死とするか)、心臓死を死とするか。脳死で心臓が止まってもまだ細胞は生きていて髪の毛も伸びることもあるので、細胞が全て朽ち果てて死とするか。どれも「後戻りできない・回復しない」状態という意味では同じですが。現代では「死」が今までに無く曖昧になっています。

ちょっとグロい話になりますが、上野正彦氏によると、飛び降り自殺は空中で意識を失って地面に衝突した瞬間に痛みを感じない人が半分ぐらいと気を失わず衝突の瞬間またはその後もしばらく意識がある人が半分ぐらい。ナイフで刺された場合、動脈をすっぱり切られ大量失血すると意識が遠のいて痛みの感覚が無い場合と、筋肉や神経を刺され痛みを感じる場合があるそうです。ちなみに一番苦しい死に方は焼死(一酸化炭素中毒死を除く)と餓死だそうです。毒殺も致死量に足りないと苦しい思いをするそうですが。私の経験では練習中に骨折したり脱臼したりしましたが、その瞬間って痛みが一瞬無いんですよね。何が起こったのかわからない、という感じ。怪我して2−3秒後、骨が折れたり関節が外れたりしているのを視覚で認識してはじめて痛みを感じていたように思います。なので、そのまま怪我と同時に死んでたら痛くないのかな??ぽっくりと。なんて思ってみたり。しつこいですが養老氏がこんな話をしています。「樹海で首吊り自殺を図った男性が、首を吊ろうとした所ロープが切れかなりの高さから落ち大腿部骨折した。たまたま恒例の樹海の見回り(?)に来ていた人達に見つけられ救助されて一言『痛くて死ぬかと思った』。」

怪我であれ病気であれ老衰であれ、死ぬ瞬間は意識も遠のいて神経も痛みを脳に伝えなくなるので怖くないと思いますが、死ぬような大怪我をしてもすぐ死ねず、生きながら痛みを感じ続けるのは避けたいですね。でも痛みや恐怖を感じるのは生きている証ですからね。それは「死が怖い」のとは違う気がします。

カトリックの友達と宗教の話になりました。信じている宗教は無いと言ったら驚いて「じゃあ、あなたのVALUE価値観はどこから来るの?宗教じゃないにしろ何か信じているはずでしょ?」と言われました。それまでは「宗教団体に所属していない=無宗教」という感覚だったので、そう聞かれた時には「確かに私の価値観や倫理観や世界観はどこから来たのだろう?」と疑問に思いました。

「自分の信じているもの」は、キリスト教、仏教、儒教、神道などとはっきり分類することが出来なくても、何かしら生きてきた過程で育ってきた社会の倫理や価値観が強く影響して、誰でも持っていると思います。「倫理・価値観・世界観=宗教」の人はそれが周りとも共有できて、絆というか団体意識が生まれていますが、私のように価値観や世界観が様々な要素(それには儒教や神道や先祖崇拝の一部も含まれるのでしょうが)から成り立っていると特別に他人と共有することも無いだけであって、「何も信じていない」とは違うのかな?と思います。

家族や親戚が皆キリスト教徒である友達はたまたまそれがキリスト教というものに集約されていて、私の場合は一つの名前が付けられた思想に集約されていないだけであって、他の宗教が正しいか正しくないかと、とやかく言っているくせに、自分の倫理と価値観を「正しい」とも「本当に正しいのか?」とも疑問を抱いて自問したことはあまりない気がします。

#76
  • コバルト
  • 2005/10/29 (Sat) 19:51
  • Informe

#74 momotaさん、まいどです。
 んー、誤解されているというか、うまく伝わっていませんね。momotaさんは、僕が書いたことを噛み砕いて繰り返しているに過ぎず、反論されていません。

『ナイフを突きつけられたりがけから落ちたり、「怖い(避けたい)」のは死んで無になることではなく、それによって引き起こされる「痛み」だと思います』
★そうです。それが僕の書いた「死」ではない「死ぬこと」です。

『上野正彦氏によると、飛び降り自殺は空中で意識を失って地面に衝突した瞬間に痛みを感じない人が半分ぐらいと気を失わず衝突の瞬間またはその後もしばらく意識がある人が半分ぐらい。ナイフで刺された場合、動脈をすっぱり切られ大量失血すると意識が遠のいて痛みの感覚が無い場合と筋肉や神経を刺され痛みを感じる場合があるそうです』
★死ぬ瞬間に痛みがどうあるかは問題ではありません。

『怪我であれ病気であれ老衰であれ、死ぬ瞬間は意識も遠のいて神経も痛みを脳に伝えなくなるので怖くないと思いますが、死ぬような大怪我をしてもすぐ死ねず、生きながら痛みを感じ続けるのは嫌です。でも痛みを感じるのは生きている証ですからね』
★どんな死にかたが痛いとか、死ぬよりも生き延びるほうがつらいかということでもないんです。
 文字だけで伝えるのは本当に難しいですね。笑
 つまり、「死んでいる状態」と「死ぬこと」を区別したほうがいいと書きました。
 そしてまた「死ぬこと」とは、実際にその経験をした人はすでに「死んでいる」わけで、それを指しているのではなく、死を経験したことがない「生きているもの」にとって、未経験の死が恐いということ。死んでいる状態が恐いというのではなく「死ぬこと」が恐いだけだと思います。だからmomotaさんが死を恐れないのは、僕と同じく死んでいる状態が恐くないだけであり、「死ぬこと」はやはり恐いものなんです。それを痛いというかは自由ですが、同じ意味で書きました。難しい!

『カトリックの友達と宗教の話になりました。信じている宗教は無いと言ったら驚いて「じゃあ、あなたのVALUE価値観はどこから来るの?宗教じゃないにしろ何か信じているはずでしょ?」と言われました』
★宗教をもってしか価値観を見出せないという方がおかしいです。よく、日本人がお寺と神社と教会に自由に行くことを西洋人が不思議に感じるそうですが、「〜でなければいけない」とする西洋人の頭の堅さが不思議です。ヨーロッパにせよ、アメリカにせよ、こんなにいろんな文化が交流しているというのに。

『「確かに私の価値観や倫理観はどこから来たのだろう?」と疑問に思いました。キリスト教、仏教、儒教、神道とはっきり区分することが出来なくても、育った過程で育ってきた社会の倫理や価値観が強く影響していると思います』
★そうです。言わばチャンポン。雑種とでもいいましょうか。動物だって純血より雑種の方が強いでしょ?同じですよ。枠にははめられて「これが正しい!これが正しい!」と子供の頃から育てられるのではなく、いろんなものを見聞きして学んで心に刻んで育ってきたあなたの方がよほど柔軟で強い。柳の枝のように。

『「倫理・価値観=宗教」の人はそれが周りとも共有でき絆というか団体意識が生まれ、私のように様々な価値観(それには儒教や新党の一部も含まれるのでしょうが)から成り立っていると特に他人と共有することも無いだけであって、何も信じていないわけではないのかな?と思います』
★あなたと1から100までまったく同じ価値観の人なんていません。だからといって、誰とも絆が持てないなんてことではない。決してない。いろいろな人と響きあう部分があるから人生の喜びがあります。それが相手によって多いか少ないか、深いか浅いかだけのことです。まったく同じ価値観(宗教)を持って、聖典を読み合いながら「そうですね」「ええそうですね」なんて微笑みあってるほうが、気持ち悪いですよ!

『私の場合は一つの名前が付けられた思想に集約されていないだけであって、他の宗教が正しいか正しくないかと、とやかく言っているくせに、自分の倫理と価値観を「本当に正しいのか?」と疑問を抱いて自問したことはあまりない気がします』
★改めて疑問を抱いたことはないかもしれませんが、今までの人生の中で、その瞬間瞬間に築いてきたものがあると思います。それは気付きであったり、反省であったり、軌道修正であったり。その道程があってこその現在のmomota式価値観でしょう。

#77
  • momota
  • 2005/10/29 (Sat) 20:40
  • Informe

コバルトさん
反論するつもりはないんですよ。というよりコバルトさんのコメントを元に自分なりに死を想像してみたらあんな書き込みになりました。そうですねー。言葉で説明するのは難しいですね。「死ぬこと」って「生と死の境が曖昧」ということでも話しましたが、いつからが「死ぬこと」なんでしょう?

『極論』を言えば生まれた時から日々確実に死に近づいています。いつ死ぬのかもどんな死に方をするのかもわからないので、今の私には「怖がりようが無い」です。明日事故で死ぬ可能性は0ではないけど、起こるとも限らないので怖くは無い。(精神病の一つに起こりうる全ての悪いことに怯えて一歩も家から出られない、という人もいますが・・・)

コバルトさんの仰るのは、ナイフを突きつけられたりというのは「もうすぐ死ぬのかな」と「死を高い確率で近い未来に起こると実感した時」という意味だと理解しています。(それともまた解釈を勘違いしてますかね?)

ふと思い出したのですが、数年前に97歳で亡くなった祖父と亡くなる数ヶ月前に話をしました。祖父は老衰で死ぬその日までいたって元気だったのですが、「いつ死んでもおかしくないから、死が怖いと思った事は無い」と言っていました。それより毎日朝目が覚めるたび「今日もまだ生きとった・・・今日も一日頑張るか・・・」と思っていたそうです。私やコバルトさんのように今のところすぐ死ぬ予定の無い人達(?)は「自分は今日(または近い未来に)はまだ死なない」と思っているから、「予想外な死に直面すると怖い」と思うのではないでしょうか。

上手く言葉に出来ませんが、ナイフの例も崖から落ちる話も、「身体的痛みや苦痛による恐怖」は痛みがどんなものか知っているので「怖さ」は解りますが、どんなものかも解らない「死ぬこと」に直面した時、「怖い」と思うかどうかすら想像する事ができません。つまり「未経験の死が怖い」という感覚がありません。「知らないから怖い」という感覚も解らなくもないですが、ちゃんと死を経験できるのは一回きりで、「痛み・苦痛」が予想できるのと違って「死ぬこと」は想像すらできません。大怪我して死に損なったことは何度かありましたけど、実際にまだ死んでないのでそれとは違うわけですよね???

祖父の生死観にも影響されているのかも知れません。否応無しに今生きている以上必ずいつか私にも死は訪れます。日々死に一歩ずつ近づいてます。でも怖いと思わないのはなぜでしょう?痛みや苦しみが問題でないのなら、どうして死ぬその瞬間だけを想像して怖がるのか、どうして日々死に近づいていることは怖くないのか解りません。

#78
  • コバルト
  • 2005/10/29 (Sat) 22:31
  • Informe

momotaさんって面白いですね。うん、おもしろい。

『「死ぬこと」って「生と死の境が曖昧」ということでも話しましたが、いつからが「死ぬこと」なんでしょう?』
★少なくとも自分自身が死ぬ瞬間に感じることではないでしょう。それよりも第三者的に今までの経験で知っている人の死の迎え方、それを「死ぬこと」と捉えるケースが多いと思います。

『コバルトさんの仰るのは、ナイフを突きつけられたりというのは「もうすぐ死ぬのかな」と「死を高い確率で近い未来に起こると実感した時」という意味だと理解しています。(それともまた解釈を勘違いしてますかね?)』
★う〜ん、ちょっと違います。僕にしても、明日死ぬかもしれないわけで、それならそれでいい。むしろもしそうなら、恐いどころかある意味で楽しみです。答が分かるから。
 ただ「死ぬのが恐い」ということは、自分が今まで味わったことがないくらいの痛みを伴って訪れる危機的なゲートを潜らなければいけない、そんなイメージだと思うんです。人それぞれですけれどね。だからどうせ死ぬならポックリ逝きたいと願う。人質になって麻酔もなく首を鋸で引かれるなんて絶対イヤ、と。

『数年前に97歳で亡くなった祖父と亡くなる数ヶ月前に話をしました。祖父は老衰で死ぬその日までいたって元気だったのですが、「いつ死んでもおかしくないから、死が怖いと思った事は無い」と言っていました。それより毎日朝目が覚めるたび「今日もまだ生きとった・・・今日も一日頑張るか・・・」と思っていたそうです』
★ま、おじいさんには申し訳ありませんが、97にもなったら、死は恐怖よりも、「お迎え」的な、もう達観して関れるものになってるでしょうね。ま、これも個人差はあるでしょうが。だからそのおじいさんの言動は自然だと思います。死を「自然に近くにあるもの」と見ていたわけだから。

『今のところすぐ死ぬ予定の無い人達(?)は「自分は今日(または近い未来に)はまだ死なない」と思っているから、「予想外な死に直面すると怖い」と思うのではないでしょうか』
★そうですね。おじいさんとは対照的です。

『「身体的痛みや苦痛による恐怖」は痛みがどんなものか知っているので「怖さ」は解りますが、どんなものかも解らない「死ぬこと」に直面した時、「怖い」と思うかどうかすら想像する事ができません』
★そうですか。想像できないから分からない。了解。そこがあなたの面白いところです。あは。

『つまり「未経験の死が怖い」という感覚がありません。「知らないから怖い」という感覚も解らなくもないですが、ちゃんと死を経験できるのは一回きりで、「痛み・苦痛」が予想できるのと違って「死ぬこと」は想像すらできません。大怪我して死に損なったことは何度かありましたけど、実際にまだ死んでないのでそれとは違うわけですよね???』
★死に損なった時に、生死の境で何か見てこられましたか?「死にかた」の一面をもう見てきたのかもしれませんね、あなたは。
 ただ、だからこそ宗教、いや、宗教感というものがあるんでしょうね。どう捉えるか、分からないから、教えに沿って、または自分勝手に一応下絵を書いておく。僕もあなたも「自分勝手派」ですが。

『否応無しに今生きている以上必ずいつか私にも死は訪れます。日々死に一歩ずつ近づいてます。でも怖いと思わないのはなぜでしょう?痛みや苦しみが問題でないのなら、どうして死ぬその瞬間だけを想像して怖がるのか、どうして日々死に近づいていることは怖くないのか解りません』
★死を恐れるという行為は、四六時中恐れおののいているというものではないのでしょうね。しかし、思い描くと恐くなる。地図が途切れているから。予定表に書かれていないから。想像できない世界へ入る瞬間。
 しかし、現実として目が覚めると朝になっていて、また一日が始まっている。昨日も一昨日もそうだったように。変化などない。いつものままだと思い込む。
 だいたい人はこのくらい生きるもんだ、という絵を誰もがそれぞれに描いていて、もちろんいつか死ぬことも知っている。でも、その日はまだまだ遠く、まだ準備するには早すぎる。今から用意したところで無意味だと。
 そんな思い込みが恐怖心を遠ざけているのではないでしょうか?これまた個人差ありですが。

 momotaさんとは、いつか会ってゆっくり話したいですね。玉子かけご飯でも食べながら。あはは。

#79
  • とっくり
  • 2005/10/29 (Sat) 23:02
  • Informe

僕はmomotaさんと違って、普通は死後自分がどうなるのか分からないのが不安だから色んな宗教に天国や地獄があると思うんですが。自分は永遠であると信じたいというか。だから死んでも魂は残るとか、幽霊とかっていうのがあるんだと思いますし。もちろん現代人で死後の世界を心から信じてる人がいるのかどうかは疑問ですが、少なくとも昔の人達はそうだったと思います。

#82

皆さん、お久しぶりです!!つかさです。クリスチャンです。

ちょっと数日間、ここをゆっくり見る時間が無くって、ごめんなさい>O<今、やっとお返事できる時間ができました。ふぅーd(⌒O⌒)b

おぉーーーーー!!!と、真剣にびっくりしています私です。
この様に、なんとタクサンの方がこの掲示板にご意見をされているのか・・・。本当に本当に
びっくりデス!!!!私が言うのも変ですが、ありがとうございます!!!!

まず 一言。
何名かの方が、私の答えにさらにご質問をしてくださっているみたいで、光栄です。ありがとうございます。
→Great Expectationさんへ:おそらく、数日中に会いますね^^では、その時にぃ〜♪♪
→コバルトさんへ:お返事ありがとうございます。実は、思ったのですが、モシよろしければ、私はここに個人のメールアドレスを公開していますので、直接、そちらの方に、メールをしていただけませんでしょうか??そしたら、私もまたいっぱい返事できますし★★
というのも、今回コバルトさんに質問いただきましたことは、結構長く返事に場所を取ってしまうと思う内容なので、逆に、私がどうしてクリスチャンになったか、もし、周りの方々がそこまで興味なかったら、超スペース使ってご説明するのが、申し訳ないので・・・
ですので、もしよかったら、メールを送っていただけますでしょうか?
そしたら、いっぱい説明できます^^
連絡、楽しみに待っていまぁす♪



#62 名前:傍観だけでは終われなくなった2さんへ

はじめまして。
お返事を書くのに時間がたってしまって申し訳ありません。
ご質問、ありがとうございます!!!

宗教を信じてる人たちが引き起こす戦争に関しての質問ですが、私が“自分なりに分かる範囲で”答える。という形でも大丈夫でしょうか・・・??

私自身、まだクリスチャン暦2年で、ヨチヨチべいべぇー♪なので、至らない部分があります。でも、できる限りがんばります^^

えと、まず#62:傍観だけでは終われなくなった2さんが、もっていらっしゃる疑問。
まさしく!そのとおりです!!!
私も、クリスチャンになるまえに
”ちっ。しょせん世の中の戦争は、結局宗教信じてる人が引き起こしているんでしょ?!しかも、クリスチャンも清いとか言って、やつらだって、戦争おこしてんじゃーん?!何がクリスチャンだ。”

ワタクシ、思っておりました。^^;
(正直に言い過ぎて申し訳ないです・・・・・)

これは、私がクリスチャンになって分かったこと?きずいた事??ナのですが、どうやら、“戦争”とか、そういった問題に関しては、どうやら“クリスチャンORnot”という形で見るのではなく、まず、
その、戦争を起こしたりする人間達が、どのような背景で育っているか。=彼らの育った文化は何か?からみ始める事が大切だと思います。

例えば、
日本人の場合は、小さい時から、“平和教育”を叩き込まれてきました。
特に、私は長崎出身なので、“戦争反対!!!”っていうのを、徹底的に習って育った方です^^
そんな中、アメリカに来て、
“戦争OK!戦争は、物事を解決する手段の一つ!!!”みたいな、感覚でほとんどの皆さんがいらっしゃいます。こりゃもうびっくり(クリスチャンである無いに関わらず)
((こちらで生まれ育った日系の方に聞いたら、彼らもまた日本人とは違った感覚をもっていらっしゃると思うのです。))



今、クリスチャンとなった私は、色んな人と戦争の話をする機会があったのですが、まず、最初に知っていただきたい事は、
クリスチャン全員=戦争賛成!
なんて、ことはまぁああああああああああったくありません。はい。

アメリカ人。
ほとんどの人は、たとえクリスチャンでもきっと、“戦争を物事の解決方法の一つ”として捉えます。
これは私がわかっている範囲の事ですが、私は、先ほども言いましたように長崎出身なので、以下の例を。
例えば、アメリカ人のほとんどは、戦争/核兵器により、どれだけの人がどれだけ大変な困難を強いられたのかを、“数字や知識”そして、“本のちょっとの写真”で知っています。
しかし、彼らが習っているもののほとんどは、ただの知識であって彼らの心に真に触れているものではアマリニモ無さそうです。

そりゃ、誰でもそうですよね。
自分が過去に育った環境に、“アメリカよりの”歴史的見地から、“アメリカの政府が動かしやすい”市民を作っているのですから、彼らが知らないのも。または戦争へ行くという手段が、心に来るものではないというのは、ウナヅケル話です。市民のせいでもありません。誰のせいでもありません。ただ、ただ、そうなのです。

私は、昨年の夏、同じ大学のアメリカ人学生3人と、政治学部の教授。彼らと共に、広島、長崎を訪問してきました。
コテコテ?のアメリカ人的思想を持った彼ら。
もちろん、クリスチャンです。
そのトリップの最初の方では、戦争の事とかについて、淡々と顔をにごらせる事も無く話している彼らが居ました。(ちなみに、彼らの知識は私の大学でもぴか一。Debateに学校代表として出て、アメリカの大会に出るぐらいですから、彼らの知識は半端ではありません。知識だけなら、私なんて手も足も出ません。)

彼らが淡々と戦争論を話す姿を見たとき、正直、私は悲しくなるという次元を通り過ぎて、ただただ呆れていました。
どうして、同じクリスチャン。神様に赦されて、イエス様の愛を知ったものとして生きているはずのクリスチャンなのに、こういう発言をするの?って。

文化の差っていうのを、目の当たりにしましたね^^;

しかし、
以下の事を聞いてください!
トリップの最初。資料館に訪問する前や、原爆式典に参加する前は淡々と戦争の必要性を話していた彼らですが、トリップの最後の時には最初に見られた、“戦争論を淡々と話す”者は一人も居ませんでした。
(→詳しくこの繊細を知りたい方は、Peace!という本(長崎新聞社出版)をお読み下さい)

特に衝撃的だったのが
長崎で、あるカトリックの女性が被爆体験をしたとき。
彼女はこういったのです
“私達は、同じ家の出身よ?お互いにゆるしあいましょうよ。”って・・・・。
するとあるアメリカ人の学生の一人は、ただただ泣きながら
“ごめんなさい・・・・。”って。

別に、これはアメリカ人の人たちに謝らせようとして計画したものではまったくありません。そのことを誤解なさらないで下さい。
これは、ただ、たとえクリスチャンとはいえ、文化が違うもの同志が、どうやってお互いを赦しあう事の必要性があるか。っていうのの、ただの一つの例です。

実は、To End Of All Warsっていう映画があります。
この映画は、4年前の、9/11の後、イラク戦の“前”に公開されるべく映画でした。
日本語では、”クワイ河収容所の軌跡“という題名で今売られています。
この映画でも、クリスチャンの人たちが、戦争をどう捉え行きぬいたか、すばらしい物語が繰り広げられている実話です。
ゼヒご覧下さい。

そう、
本当は、誰だって戦争なんてしたくありません。
でも、それぞれが持っている物欲や、自己中心的考え(国粋主義的考え)によって、戦いは生み出されます。現実に、ブッシュはクリスチャン(?らしい)です。
私は、神様本人ではないので、彼が本当のクリスチャンかどうかなんて、判断はつきません。私以外の誰にもつきません。ただ、ただ、知っているのは神様だけです。

彼が今おこなっている決断の一つ一つ。

神様はどう捕らえているのでしょうね。
キリスト教と、政治が一つになる時。政治のリーダーは、キリスト教を使い、神の名を使い、“神の民を動かす”事がみられます。
現に、これは昔のローマ?ローマ帝国??時代にもあったことです。

本物のクリスチャンでない信者が、自分をクリスチャンだと偽り、他のクリスチャン達を動かす場合もあります。

"宗教"と聞いて真っ先に連想するのが"戦争の道具"
こうおっしゃったと思うのですが、個人的には
人間の欲のために、“戦争”がつくりだされ、“宗教”が多くの人民を動かす手段として使いやすいため結果として“道具”とされた
のだと思うんです。

でも、クリスチャンではない皆さんからしたら、ブッシュがイラクに軍を送り、“God bless America!”なんて言っている姿、納得できないですよね。
わたしも、正直納得できません。

本来、神の真の赦しを理解したものなら、そのような決断には出ないとも思います。
しかし、私は神様ではないので、そのように彼を裁く権限もありません。
もし私が、ブッシュだったらどうするか?
もし、皆さんがブッシュだったらどうしますか?
正直、答えるのに難しいと思いません?。
私ORあなたの決断一つでアメリカ国民の将来が?なんて、考えたら考えるほど、私には答えはありません。
彼にも皆さんと同じように、守るものがあります。家族があります。
そんななか、彼が進めていく決断に、誰が非難をできるでしょうか。

でも、私が“個人的に”神様から教わっている日々の信仰の中には、
やはり、“戦争”と言うものを私達が起こしてよいという判断は、つきかねますね。


だらだらと、だらだらと、最強に話が長くなりすぎました。ごめんなさい。
そして、私はご質問にお答えする事ができたのでしょうか・・・・。なんか、話が脱線していそうで。。。

ご質問にチョットは答えれたかなぁ??と望みます。
もしよろしければ、またご質問下さい。私なんかでよければ、いつでもお答えいたします。
毎回書きますが、これらすべては、“私の個人的な意見”です。いくつかのクリスチャンの人たちは反対意見を持っているかもしれません。ご了承下さい



皆さん本当にありがとうございます。
★来週一週間も良い一週間になりますように!季節の変わり目、寒いのでお体に気をつけて★

#83
  • 傍観だけでは終われなくなった2
  • 2005/10/30 (Sun) 01:10
  • Informe
  • Borrar

投稿されてから掲載までの時間がこれだけ掛かると、対話するのは難しいなぁ。。

カルトの本当の定義がどんなだかは知りませんが、私的にはカルトも一般に認知された宗教も大差がないと感じています。違いは信者の数くらいで、人数が多ければその中で1社会が形成されるため、世の中的には認知されたとみなされるという感じでしょうか?

ところでアメリカという国は宗教無くして考えることが難しい。人間社会が円滑に機能するためには、地域社会という単位が必要だと思っていますが、アメリカの場合はそれに当たるのが宗教による結びつきだと思います。特に田舎ほど地域の集まりの場=教会なので、これだけの宗教社会が構成されてしまったのかなとも思います。

日本がそこまででないのは、町内会等宗教という枠組みと全く別次元で地域社会が確立しているからかもしれません。

実際アメリカのボランティア団体を探してみると、背後にはしっかり教会がついていたりします。まあ考えてみれば、根本精神では共通している部分があり、組織化されているという意味でも都合がよいわけで、これにはある種納得しています。ですから宗教という存在を全否定する気はありません。

しかし人の意見に左右されやすい、思考能力の弱い人達が大勢集まって誰かにうまくコントロールされている状態は極めて危険だと思っています。そういう集団に限って、自分達の中だけでは満足できず、周りの人間を巻き込もうとしたり、自分達の価値観(私はエゴだと思っていますが)を押し付けようとする。

例えば「中絶は100%許さない」とか、「ゲイという存在は認めない」とかね。自分達が絶対に正しいと思うが為に、他人へルールを強要してよいと本気で考えている人達。そんな集団がこの国には過半数以上いるから、ブッシュのような侵略戦争を起すエゴイストでも、何やら宗教上の信念が共感できればそっちの方が大事だと思っているので、簡単に支持してしまうんですよね(絶句)。

選挙にはオピニオンリーダの存在が大きく影響すると聞いたことがありますが、神父さんはまさにそれなんです。だから神父さんの傾いている方向に信者は簡単に染まる。ああなんて恐ろしい国だ。。そしてその先導者達の舵取り如何で、どこまででも人は暴走できてしまう。これは何も中東やアジアの宗教だけに限られたことではないのだけれど、当事者の方々は気づいているのだろうか。。。

ところでaputsukaさんは、中絶やゲイ問題なんてどうお考えでしょう?というより100%その宗教の理念に賛同できているんでしょうか?もしも賛同できないとき、お仲間の前で堂々と異論を唱えることできる環境なんでしょうかね??私には全く未知の世界ですが、皆が一色に染まらなければならない集団って私はごめんだな。

#84

なんか、このトピのテーマはいつのまにか、もうどうでもよくなったんですか?
私はこのトピ主さんがトピを起こしたのに同感し、ただ単純に、宗教の勧誘がハタ迷惑な行為っていうことに参加したつもりでしたが、話が飛躍しすぎて、ちょっとついて行けません。

でも、せっかく、コバルトさんが言ってた「相手を理解し、うまく共存する」っていうのに同感し、まず相手を理解するのにいい機会なのでもう少しトピのテーマを続けてほしいです。

っていうことで前の書き込みをしたんですが、結局roselandさん一人からしかレスはもらえませんでした。
クリスチャンの人達はもっといっぱいこのスレを見てるはず。
一番レスをもらいたかったtsukasaさんにもスルーされたみたいだし。

布教をねずみ講ととらえるなんでとんでもないヤツだ、こいつはバカだからなにを説明しても理解できないだろう。
なんて思った信者さんもいるんじゃないですか?

ねずみ講を例にあげたのは他に考えつかなかったのと、こういうふうにクリスチャンに聞いたら、どういう反応が返ってくるんだろうという興味もあったからです。

実は私のまわりは、特にボランティア関係の人達はクリスチャンだらけです。なかには旦那さんが牧師さんの人もいます。でも彼女ら(私の妻も含めて)は、勧誘活動はしません。

それは、相手が無宗教者が多い日本人だからです。
以前病気で悩んでる患者さんの家族に「布教するのに絶好のチャンス」みたいなことを言った信者がおり問題になってました。
彼女達は「相手を理解し、共存をする」術を身につけており、患者さんが迷惑がるかもしれないと考え、自分達はクリスチャンだというのも、控えてるみたいです。

皆で食事をしたこともありますが、私の妻は私が気分を壊すと思ってるのか、他の人がお祈りしてるのに彼女はしません。
食事会の時にあれをやられると、信者じゃない人間は、なんともいえない不和間を感じますよね。
私だけかもしれませんが。

彼女達は何かの集まりの時も信者でない人は誘いません。
「興味がある人はどうぞ」っていうスタンスです。
roselandさん(ごめんなさい、あなたしかレスをしてもらえなかったので)の意見に従えば、彼女たちはクリスチャン失格ですね。みんな極楽へは行けないんですか?

私はroselandさんのレス(#23でしたっけ?)を読むまでは「布教は自分が救済される為」ってことは知りませんでした。

私の知っているクリスチャンとあなた達は違う宗派なのですか?

なにかイベントを企画し、きた人に布教するのは、考えようによってはエOバより陰険で悪質なようにもとれますが、いかがでしょうか?

私は教養がないのでこんな風にしか書けませんが、私はあなた達を理解したい為に質問しています。
ご了承下さい。

それとあるボランティアの人が「私達、クリスチャンだからこういう(人助け)が出来るのよね」って言ってました。これを聞いた私は、口には出しませんでしたが「なにいってんの?そんな事いちいち神様に教わらなくても、俺はちゃんとやってますよ」
って思いました。
私はやはり宗教嫌いなのかな?

#85
  • momota
  • 2005/10/30 (Sun) 10:42
  • Informe

トピ主さん。いつもトピずれごめんなさい。

コバルトさん
★「死ぬのが恐い」ということは、自分が今まで味わったことがないくらいの痛みを伴って訪れる危機的なゲートを潜らなければいけない、そんなイメージだと思うんです。人それぞれですけれどね。だからどうせ死ぬならポックリ逝きたいと願う。人質になって麻酔もなく首を鋸で引かれるなんて絶対イヤ、と。

自分がどんな風に死ぬのか誰にもわからない。老衰でも即死でも「死に方第一希望=ぽっくり」いく可能性もある。ということは、そういう死に方なら死はそれほど怖くないのでしょうか?当然痛みと苦痛を伴って死ぬ可能性もある。起こりうる死に方の確率だけを考えているのだとしたら、50・50です。もちろん病死の確率をなるべく減らすように定期的に健康診断を受けたり、健康に気を使った生き方をすることも出来るし、事故死する確率を最小限にするために無茶な運転をせず安全に気をつけることもできる。それでもやっぱり自分がどんな風に死ぬのか解らないから「50%の確率で起こりうる苦しい死」を心配して恐れる気になりません。

★97にもなったら、死は恐怖よりも、「お迎え」的な、もう達観して関れるものになってるでしょうね。ま、これも個人差はあるでしょうが。だからそのおじいさんの言動は自然だと思います。死を「自然に近くにあるもの」と見ていたわけだから。

私もどちらかというと死は自然に近くにあるものだと感じています。自分が不変であると考えていません。毎日死を意識しているわけではありませんが「身体は不変ではなく、日々死に近づいている」という認識はあります。「死」というよりは「老い」と言った方がいいかな。久々に両親と旅行に行って、若い頃はスポーツマンだったので、歳を取ってもある程度健康で力持ちの父のイメージだったのに、今では体力がなくなって食が細くなった姿を見たとき「人は毎日着実に老いていく=不変ではない」と実感しました。自分でも最近身体の衰えを実感してますが・・・(笑)さらに、研究論文や書類の締め切りが迫るたび「時間があった時に何でちゃんと毎日少しづつやら無かったんだろう」と時間が止まることなく進み続ける事を再認識します(涙)。

★死に損なった時に、生死の境で何か見てこられましたか?「死にかた」の一面をもう見てきたのかもしれませんね、あなたは。
 
練習中に落下して頭を打ちました。意識が無かったので、怪我のこともあんまり覚えていないです。怪我の瞬間から目が覚めるまでは私にとっては、寝たら夢も見ずに朝目が覚めた感覚と似ていて「無」でした。目が覚めて時間が経っていたことを教えられたとき、見たかったドラマを見逃したのが悔しかったことは覚えています。「どうして番組をビデオに撮っておいてくれなかったの?」と言ったら「死に掛けたんだから!!」と言われても「あ、そうなの?ごめんなさい」という感じ。怪我した瞬間に「死ぬかも知れない」と恐怖を覚えた記憶も無いですね。忘れてるだけかもしれませんが。でも、怪我で死にかけたのと、銃やナイフを突きつけられて「殺されるかも」という感覚はまた違うと思います。しかし、他殺される確率を心配して今から死を恐れる気にもなれません。祖父のように老衰で死ぬ時の方がよっぽど「死ぬこと」を現実的に考えられるのではないかな?と思います。

「日々変化し老いていくこと」が当たり前で成功も失敗も神様ではなく自分の運と努力次第だと思っていて「将来」「死ぬこと」「死後」を特別ネガティブなもの(恐怖・不安)を感じない私には、宗教団体の方が私のためを思って熱心に教えてくださる「幸福をもたらす神」や「神の救い」の言葉も右から左に筒抜けです。

ある宗教の被害者さん
>あるボランティアの人が「私達、クリスチャンだからこういう(人助け)が出来るのよね」って言ってました。これを聞いた私は、口には出しませんでしたが「なにいってんの?そんな事いちいち神様に教わらなくても、俺はちゃんとやってますよ」
って思いました。

人生の選択に宗教の教えを必要としていない私は同感です。神様に教わらなかったけども、ボランティア活動は私もしていますから。彼らは宗教上良い行いは神様もちゃんと見ていて知っている、というような事を教えられていると思うので、そういう発言をするということは、 逆を言えば「クリスチャンになっていなかったらボランティア=人助けなんてしてなかったかもしれない」人達なのかもしれませんね。

もう一つは「神様」が(自分では)良い行い(と思っている事)の精神的REWARDになっていることも大きな要因だと思います。その日の布教活動で信者を増やせなくても、たとえ罵声を浴びせられても「良いことしたな」「神様は見てくれている」と思って、懲りずに(?)布教活動なり自分の信仰を人に聞いてもらうことに喜びを感じるのではないか、と想像します。どんな些細な事であれ宗教(布教)行為が迷惑だと受け取る人にとっては、悪意の無い信者の考えや行動は、なおさら厄介です。

#86
  • 傍観だけでは終われなくなった2
  • 2005/10/30 (Sun) 15:39
  • Informe
  • Borrar

トピ主さん及びトピに参加されている皆さん、トピズレを暴走させてすみませ。しかしスタンスは私も"ある宗教の被害者"さんと同じですので相手が何か考えているかを理解した上で、どうして欲しいかを考えるという意味で、少し続けさせてください。

#82 aputsukaさん
ご丁寧にお返事頂きありがとうございます。掲載まで時間がものすごく掛かっているため、レスが前後しているようですが、1つ1つ突っ込んでいくとかなり長文になってしまうので、できるだけ簡潔に感じたポイントをコメントします。

>「クリスチャン全員=戦争賛成!」
とは最初から私も思っていませんのでご安心を。そうではなくて、知らずか知ってかは分かりませんが結果論として戦争を引き起こすことになる or 戦争に加担する危険性が高く、事実今までそれを繰り返しているということです。

その一例は記憶にも新しいイラク戦争。プロパガンダにはまって国民のほとんどが開戦を支持していましたが、真相を知るつれて反対が半数を超えたにも関わらず、その主犯ブッシュは再選されました。何故再選されたかは#83に書きました。(待ちきれなくてかなり前に投稿した)これも宗教を国民コントロールの道具に使った正に良い例だったと思います。いくらクリスチャンの方が戦争反対と言っていたところで、ブッシュに票を入れた時点で、その人のプライオリティがどこにあるかは知れていると思います。

>「ほとんどの人は、たとえクリスチャンでもきっと、“戦争を物事の解決方法の一つ”として捉えます。」
ここでアメリカ人を勝手に規定しまうのはどうかと思うのですが、この表現はきれい事です。誰もが言いたがらない本音は、
"できることなら支配したいし、自分は支配してよいと思っている"でしょう。そう支配欲の塊なんです。そう考えると一連のクリスチャンの行動は理解できます。中絶がダメとかゲイの結婚がダメとか、そこまで他人に干渉し強制力を実行してよいと思っている人達は、確かにアメリカ保守派には多くみられる気がします。

>「私は神様ではないので、そのように彼を裁く権限もありません。」
この人間社会では神ではなく人が作った法というもので人を裁くことで秩序を保っているわけですが、法により裁くという行為自体を否定されているということでしょうか?(法自身が宗教により偏ったり歪められているという事実はありますので、これが万能ではないのですが)

>「彼にも皆さんと同じように、守るものがあります。家族があります。
そんななか、彼が進めていく決断に、誰が非難をできるでしょうか。」
ちなみに彼の守るもの=自分に利用価値のある、支持が得られる裕福層だけなので、一国を担うリーダーとしては致命的だと思っています。超資本主義国家の典型的な例です。だからあのようなハリケーンの悲惨な事態になる。非難できるかどうかは、どの視点、範囲で評価するかですよね?彼が守っているものだけで見たら、彼はスーパーヒーローでしょう。しかし彼に守られていない人から見たら悪の化身にしか見えないと思うのですが、一国のリーダーをそんな狭い世界内の成果だけで評価できる発想が怖いです。。しかし良いヒントにはなりました。

自分と同じ輪の中だけで物事を評価し、ルール化してしまうという発想だと思います。だから他の宗教とは敵対してしまうのでしょう。称えているも神様違うしね。宗教間で争いが起きるはずですね。。

とても意地悪な質問ですが、あなたはイスラム、ユダヤ、アラブ、ヒンズー教、その他自分と違う宗派の友達をお持ちですか?本気で友達になることができますか?あなたのお仲間はどんな感じですか?

#87
  • momota
  • 2005/10/30 (Sun) 22:06
  • Informe

ヤフーのニュースにオ○ム真理教内で信者同士対立というのがありました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051031-00000105-yom-soci

キリスト教やイスラム教なども長い歴史の中で対立・分裂・独立を繰り返して今のような複雑な多宗派になっています。

俗にカルトと呼ばれる、規模的には小さいオ○ムでさえも内紛が起こるのですね。戦争やテロとまでは行かなくても、やはり信仰と紛争の関係は切っても切れない気がするのですが・・・。

#88
  • とっくり
  • 2005/10/31 (Mon) 01:39
  • Informe

旧約聖書のヨシュア記を読むと神の命令なら何やっても良いんだな、と思う。有名なジェリコの戦いも出てきます。読んだ事が無い人は読んでみると良いと思います。あぁ、ちょっとヘコみました。心臓の弱い人は気をつけてください。

#89

#87の書き込みは#1の質問とどんな関係があるのですか?

#90
  • damnでし
  • 2005/10/31 (Mon) 08:52
  • Informe

あのぉログ見てて気付いたんだけど、ここのトピ主10/21の#14を最後に一週間以上、発言してないんだよね。
特にトピずれに対する苦情もないし、いいんだろうとは思うけど、トピ主的に、トピずれで盛り上がってる状況を容認してるのかどうかチョット気になります。

#91
  • コバルト
  • 2005/10/31 (Mon) 11:00
  • Informe

キリスト教系のイベントに誘われたトピ主さんが、それをやや迷惑に思い、どうしたらいいかということで始まったスレですが、イヤならはっきり断わったほうが良いという意見が幾つか出て、またクリスチャンのかたも何人か登場され、そのイベントが悪質なものではなく、ただ、トピ主さんを誘った信者の方が、きっと熱心になり過ぎたのだろうと、反省の弁もありました。
 一応トピの目的は達成されたと思います。ただし、今回のキリスト教を批判するわけではありませんが、「宗教」全般に対する疑問が僕も含めて幾つか上がり、トピック本題からは逸れましたが、これを機会に意見交換が行なわれました。明らかな苦情として上がったのは主に新興宗教です。
 その中で、「宗教と戦争」が相反するものでありながら現実的にイコールとして存在するのはなぜかという話題になり、クリスチャンの方も意見を書き込んで下さいました。
 momotaさんの#87の書き込みは、もちろんトピックに直結したものではありませんが、話題に上がった宗教と戦争の中で、同じルーツを持つイスラム教、ユダヤ教、キリスト教が対立するように、もっと小規模の新興宗教ですら対立・分裂・独立があるという一例を載せて頂いたものです。僕は参考になりました。
 ご理解いただければ幸いです。

『トピ主的に、トピずれで盛り上がってる状況を容認してるのかどうかチョット気になります』
 ご自分の問題が解決されぬままならいけないでしょうが、それが済んだあとの、放課後の雑談を有志が残ってしているだけなので、よろしいのではないかと僕は思います。トピ主さんとしては、ある意味放置では?^_^

#92

宗教の教えや思想について考えるといつも思うのは神程巨大な存在が作ったものにはとてもとても思えない。キリスト教の聖書を読んでも思いますが人間という次元を超えた超越したような考えにははっきり言って出会った事がありません。

たとえばキリスト教の教えでは天国に行くには神を信じなければ駄目、なぜなら罪を洗い流せるのは神だけだから。唯一の例外はその”キリスト教の教え”に人生の中で出会えなかったとき。しかしその存在を知りつつ神を拒んだまま死を迎えたなら天国に行くチャンスは断たれるらしいです。

個人的にどちらかと言うと死後の世界の存在自体をあまり信じていないんですがこの思想はあまりにも人間地味ていると思いました。”神”ほどの偉大なものなら自分を受け入れるか拒むかで判断を下すことはとても考えられないというのが僕の意見です。”自分がパワーを持ってるからそれを振り回して自分を慕うものだけを救おう”という考えなら人間でもたくさん神以上が存在すると思います。

はっきり言ってこの教えの中にある本質は天国と云う架空でしかないかもしれない餌で教徒を集めようとして自分達がそのグループ外の人より”有利な位置”にいる気になれるというまさに”人間レヴェルの心理”しか見当たりません。

加えていうなら宗教全てそうですが時代を超えて不変のものがありません。本当に正しいものはどの時代に存在しても変わらない教えを説くはずでは?人間社会に影響されてしまう様な神なのだとしたらそれこそたかがしれてると僕は思ってしまいます。

又、これだけ多くの宗教が存在して皆が皆自分が正しいと思ってるあたりはすごく底が浅くて神程の偉大な存在を感じません。これだけ多くある考えの中であれだけ自分の正しさに確信を持てる根拠はどこから来るのでしょう?幻影に見えてしまいます。

でも極論仮に嘘だったとしても人を幸せにできるなら信じる人にとって十分存在価値があるとおもいます。でも勧誘するくらいのレヴェルなら最低限ここで僕があげたような宗教に対しての疑問に納得のいく答えを用意してからにしてほしいってのが個人的意見です(納得いく答えもらったことありません)。

甘い部分だけ吸って本質を考える気がないならそれはそれで自由だと思いますがそのレヴェルで自分たちの信じるものの素晴らしさを叫ばれ勧誘されると正直個人的にしらけてしまいます。

#94

昨日とあるライブに行ったら、会場でそのクリスチャンのイベントのチラシを配ってる人がいました。あまり感じがよくなかったし、強引だったしやっぱり迷惑に感じました。

#93

すもう役者さん、それをいうなら#87だけじゃなくて最初の10レスぐらいから後全部に突っ込まないと。#1の質問に直接答えてないレスはいくらでもあるでしょ?

レスにも流れってもんがある。宗教と戦争の問題が何度かとりあげられてるうちの一つでしょ。#1にしたって「自分達は良い事している、間違っていない」っていう宗教勧誘の被害者なんだから、そういう周りの見えない自己主張が大きくなったのが宗教対立ってことでしょ?

それとも#87を個人的に特別不快に感じたわけでもあるのかな?オ○ムの関係者が読んだら気分悪いだろうけどね。

#95
  • コバルト
  • 2005/10/31 (Mon) 16:22
  • Informe

○ー○○イフとかエ○○の○○人とか、ビジネスでも宗教でも、初めにその名前を聞いてしまうと「怪しい!」って思ってしまうようなものっていろいろあると思います。それは誤解かもしれないけど、組織側にも責任はある。だから宣伝や布教は、する権利もあるのだから自由だけれど、オブラートに包まずに、一目見てその団体が主催であることを明確にして欲しいです。
 説明書の隅にひっそりと名前やマークが入ってたりすると、「ははぁ、やっぱりあまり表に出したくないんだなぁ」って思えちゃう。
 一般的なクリスチャンによるイベントは、それほど特殊とは思えないので、なおさら誤解されないように「クリスチャン主催による□△○イベント」として欲しいですね。その上で来る人は、理解されるでしょうし。「実はこのイベントは××教が主催しているんです」なんて、後で言うのは絶対辞めて欲しいです。それはほとんど詐欺ですから。
 表立ってすると人が来ないと言うなら、それはその団体に問題があるからであって、だから名前を伏せて企画するというならそれは卑怯ですよね。本当に良いものと確信するなら何も隠すことはない。数集めが目的でもないわけだし。

#97

ちょっと書き忘れたことなんですが、#71 roselandさん、あなたを個人攻撃してるわけじゃないですよ。
他のこのトピを見てるはずのクリスチャンが全然でて来ないので、しょうがなくあなたになってしまうのです。

あなたの反論を聞いても、やっぱり、ねずみ講とかわらないと思います。
ねずみ講だって入らない人はいっぱいいますよ。
”自分の利益のために人を誘う”行為は同じでしょ。
もし布教が成功し(なんて言うんですか、この場合)人を入信させれば利益にもなりますよ。
だって教会や組織は信者の寄付金で賄ってるんでしょ。

「布教はクリスチャンにとってネックの部分です。聖書にそう書いています。」

聖書っていうのは2000年くらい前に書かれたものですよね。
2000年前の人々は今と違って、自然災害、病気、戦争など予期や予防が出来なかったでしょう。
人々は次にいつ、何が起きるか不安でしょうがない毎日を過ごしてたんじゃないですかね。
聖書を読んだり、布教して仲間を増やし結束することで、それらの不安を取り除いてたんじゃないのかな?

今、現代は情報や医学などが発達し、自然災害や戦争も事前にキャッチできるし、病気だってよほどの難病以外ほとんど対処できますよね。
その世代に、2000年前の書物を持ってきて「聖書にこう書いてある」って言われても私には理解できません。

無宗教派の人は私も含めて現実主義、神様の助けを必要としない実力主義だと思います。
特に私達は日本から飛びだし、外国でなにか掴もうとしてる信念の強い人が多いと思いますよ。
まあ日本人に布教するのはやめておいた方がいいですよ。
日本人以外の人達をターゲットーにすれば布教というクリスチャンの責務も果たせるし、日本人にも迷惑がられる事のないし一石二鳥ですよ。
多分日本人以外の人はすでに自分の宗教があるでしょうが、あなたは、入信させることより、布教する行動そのものが意味がある言ってましたよね。
思いっきり好きなだけ布教ができますよ。(これは嫌味じゃあありません。私の本心です。)

しかし、他のクリスチャンは、なんで出て来ないんでしょう?
roselandさんが可哀想でしょ。
あなた達は結束が硬いと聞きましたが。

#96
  • 傍観だけでは終われなくなった2
  • 2005/10/31 (Mon) 18:34
  • Informe
  • Borrar

自分的に不快だからどう拒絶したらよいという話をするのは簡単なのですが、相手をよく知っておくことは最終的にどういう判断をするにしろ意味のあることだと思っています。

そしてたまたま登場されたクリスチャンの方は非常に冷静にお話しできる方なので、意味のある会話ができると思っています。勿論それ以外のクリスチャン方も見られていることでしょう。だからこそ、ここで宗教を不快に感じている人が持つ考え・指摘に対して納得 or 疑問を解決させられないようであれば、結局勧誘してきてもお互い時間の無駄であることは明白かと思います。#92 Rockerさんの指摘も正にそんな感じかと思います。

ところで#86で長くなったので書きませんでしたが、イラクがもし100%キリスト教国家であればこんな簡単に侵略を受けたりはしないし、ブッシュも戦争自体できなかっただろうということです。同胞に対しては寛大なんです。でも同胞以外には人権すら認めない、軽視できる。それがキリスト教を初めとする宗教の恐ろしさだと思っています。そんな現実を見るとむしろ偽善と呼ぶにふさわしいとさえ思えてきます。

もう1つ許せないのが、人の弱みに付け込むという点です。誰でも弱くなっている時期はあると思います。そんな相手を選んで勧誘してしまえという発想。もしくは信仰がないと地獄に落ちるというような、全く根拠のない、誰も証明できないことで人に恐怖心を植え付け自分の同胞にしようとする手口。ガン患者にこの薬はもしかしたら効くかもしれないと、何の根拠もなしで高額な似非薬を売りつける行為と同じです。誰でもそうやれば売れるだろうけど、やっていいことと悪いことがある。"やれる"から"やる"、"やっていい"という発想は本当に腹が立ちます。

#98
  • とっくり
  • 2005/10/31 (Mon) 21:17
  • Informe

#92のRockerさんの意見、スゴく共感出来る物があります。
   でも本来キリスト教では誰を救おうと救わなかろうと言い方は悪いですが神の勝手らしいです。どんなにヘルシーな生活を心がけていても病気になるかならないかは神がもう決めてるんです。これを確か予定説と言ったと思います。
   「おぉ、神よ私はあんなに良い事をして来たのにどうして報われないんですか?」と言った所で、神に言わせれば「お前、ナニサマなの?オレはお前らの為に存在してるワケ?」てことです。
   大抵は、僕もそうですがケチやな〜と思ってしまう訳ですが、こういう考え方を「人前神後」と言うそうです。人間にとって良い神か悪い神か(疫病神)みたいな。はっきり言って僕には予定説は理解出来ません。最初から神の勝手なら何したってえェやん、と思います。
   これに対して仏教では因果で説明する様です。現世で報われなかったのは前世の行いが関係してるからだよってことです。イスラム教では良い事をしたら救われるとしている様です。実際、全ては神のみぞ知る、なのか人間に善行が求められる、のかはキリスト教の中でも意見は分かれているらしいです。ただ、神の存在を信じよ。神の意志に従え。と言うのが必要条件で、偉大な神から言わせれば「そうすりゃ考えてやっても良いよ」て事みたいですね。人間は神に造られたシモベなんです、結局は。
あと、これらの宗教は不変だと思います。色々な解釈の仕方が出てくるだけで、コーランも聖書も変わってないですよね。

#99

とっくりさん返信どうも
早速お返事します

まず最初のポイントですけど別になんで助けてくれないの?って思うわけではないんですよね。というよりはそこまで偉大なものが自分を慕うか慕わないかで天国、地獄行きの判断をするのはあまりにレヴェルが低すぎるなあと思うわけです。

人間でもそうじゃないですか?本当にすごい人って自分が悪く思われてるからその相手のことをあえて過小評価したりパワーを使って自分を慕わせるようとするような行為なんてしないと思うんですよね。神にとって人間がちっぽけならなおさらです。自分がどう思われてるか気になるのは相手が同レヴェル以上の時じゃないですか?

だからやはり僕は神が皆にキリスト教を信じてほしいと思ってるという説よりキリスト教徒の方々が”自分はキリスト教徒だから人より有利な位置にいるんだ、そして皆もキリスト教徒になれば有利な位置に立てるんだ”と思いたい、そして思わせたいという理由からできた思想だと考えたほうがはるかにつじつまがあってる気がするのですがどう思います?

あと宗教は不変ではありませんよ、少なくとも勧誘がくるほど身近なとこにある部分は。

例として結婚前の性交に対しての社会的、そして宗教的な見方を今と300年前で比べるとはるかに違うはずです。

300前に結婚前に性交なんていう行為はキリスト教では、もしかするとその外でも言語道断だったでしょう。でも今はどうでしょう?あれだけいるキリスト教徒のどれくらいが結婚するまで処女又は童貞でしょうか?教会によってはその若者の行為を認め保護するところも多々でてきたほどです。

このように明らかに社会に教会までのレヴェルは影響されているのです。当然でしょうね…昔のように結婚前の性交は大変な罪だなんていわれたら現代の若者の大半はいかなくなってしまう。ってかおそらくキリスト教徒自体それを守れてない人のほうが現代社会には明らかにおおいでしょう。

このように宗教は不変ではないはずです。他の主教の知識は皆無ですが大差ないはずです。なぜなら社会と宗教とはお互いに大きな影響をあたえあっているから。社会が変われば宗教に影響を与えまたその逆もしかりです。

#100
  • roseland
  • 2005/11/01 (Tue) 05:56
  • Informe

ある宗教の被害者さん

個人攻撃じゃないことはわかってますからどんどんご意見聞かせてください。

確かに私は布教自体に意義があるみたいな書き方をしていますが、聖書の中のイエスの言葉を借りれば、はっきりと勧誘しろと書いてますから。あなたの家に来る人は勧誘とは言わないかもしれないけどはっきり言って彼らの目的は勧誘です。だから前にも書きましたけど、所詮人間のすることです。なにか褒美がなけりゃ何もしませんよ。もし、自分は無報酬で他人のために苦しんで死ねるって、堂々と胸を張っていえる人がいるなら...
会ってみたいです。

ただ、アメリカの日本人には布教しないほうが言いという意見ですが、布教する人は、このメッセージが命を救うと確信していますから、(コバルトさんが言うとおり迷惑と思う人がほとんどです。ありがたいと思う人なんかいないでしょう、滅多に。)みんなに公平に機会をあげなければという想いでしょう。ですから、彼らは死ぬまでやめませんよ。もうくるなと念を押せば、あなたの家には来ないと思うけど。

疲れたから、また書きます。すいません。

#101

今度はきちんと投稿できてるかなぁ??
数日前から、アクセスできずに困ってたんです。。。

#102
  • damnでし
  • 2005/11/01 (Tue) 18:15
  • Informe

一つ発見。
自分が宗教の議論に興味を持つなんて考えてもみなかった。
ある意味、宗教って近くて遠い存在だったしね。

1.宗教には矛盾(理屈で説明し切れないこと)がある。

2.死後の世界などと言うものは、たぶん無い。

3.宗教も組織になると大なり小なり金が絡んで来る。

などなど・・・

宗教ってあげつらうと嫌なことも多いけど、でも信じて救われるなら、それもいいって思う。

無心論者とか気取っても、俺だって飛行機乗る時に死んだお婆ちゃんに無事なフライトをお願いしてたりするから。(笑)

乱気流とかで揺れが激しい時なんか、お婆ちゃんだけじゃなくてお爺ちゃんからオバちゃんから、不幸にして若くして亡くなった友人まで、10人近くの故人の顔を一人一人思い浮かべて「助けて下さい!」ってね。(再笑)

なんか屁タレをさらすようだけど、そうゆうことってありますよね?

ん?俺だけ? > 屁タレ

#103
  • コバルト
  • 2005/11/01 (Tue) 20:26
  • Informe

ちょっとたまってきたので晴らします。御容赦を。

#79 とっくりさん、どうもです。
『僕はmomotaさんと違って、普通は死後自分がどうなるのか分からないのが不安だから色んな宗教に天国や地獄があると思うんですが』
★それも正しいと思います。momotaさんも僕も、飽くまで一見解です。絶対正しいなどというものではないので、人それぞれの概念があって然りです。なおかつ、とっくりさんのように死後の世界を不安死するのが世の主流ですから、そのために不安を解消すべく「宗教」が存在するのだと思います。

『もちろん現代人で死後の世界を心から信じてる人がいるのかどうかは疑問ですが、少なくとも昔の人達はそうだったと思います』
★現代人向けに、ちょっと派手にアレンジしたのが新興宗教とも言えないこともないですね。でも派手なんですけど、薄っぺらいというか、エゴ丸出しの歪んだものが多くて情けない。

#82 aputsukaさん、どもです。
『これは、ただ、たとえクリスチャンとはいえ、文化が違うもの同志が、どうやってお互いを赦しあう事の必要性があるか。っていうのの、ただの一つの例です』
★その被爆体験談を語った女性が仏教徒だったら、どう反応されたでしょうね。
 僕にとっては、世界で唯一の被爆国(戦争で、殺りくのために使った核爆弾の意)である日本のその惨状を、クリスチャンとして現地を訪れなくても、その事実を耳にしただけで、何が正しく何がが間違っているのか、アメリカという国がどれだけ非道なのかを指摘できない以上、クリスチャンなんてものは飾りというかまやかしというか、共同体のためのつまらない道具に過ぎないと思いますよ。他の宗教も嫌いですが、キリスト教はマジ嫌い!酷すぎます。とりあえずクリスチャンが多過ぎ!

『クリスチャンの人たちが、戦争をどう捉え行きぬいたか、すばらしい物語が繰り広げられている実話です』
★そんな素晴らしいクリスチャンがなぜ原爆を落とせるんでしょうか?

『現実に、ブッシュはクリスチャン(?らしい)です。
私は、神様本人ではないので、彼が本当のクリスチャンかどうかなんて、判断はつきません。私以外の誰にもつきません。ただ、ただ、知っているのは神様だけです。
彼が今おこなっている決断の一つ一つ。神様はどう捕らえているのでしょうね
キリスト教と、政治が一つになる時。政治のリーダーは、キリスト教を使い、神の名を使い、“神の民を動かす”事がみられます』
★なんだかあなたのクリスチャンとブッシュのクリスチャンを分けているように伺えますが、同じなんです。あなたもブッシュもまったく同じクリスチャンです。それがイヤならブッシュを改心させるか、あなたがキリスト教をお辞めなさい。私は正しいがブッシュは間違ってる?それはありませんよ。

『でも、クリスチャンではない皆さんからしたら、ブッシュがイラクに軍を送り、“God bless America!”なんて言っている姿、納得できないですよね。
わたしも、正直納得できません』
★納得できないあなたが、なぜ同じクリスチャンでいられるのか、それが理解できません。

『本来、神の真の赦しを理解したものなら、そのような決断には出ないとも思います。
しかし、私は神様ではないので、そのように彼を裁く権限もありません』
★裁く権利はなくとも、あなたは同じクリスチャンとして恥ずかしくないのでしょうか?
 あなたご自身に答がないなら、あなたが通っている教会の一番理解が深い方に聞いてみて下さい。

『もし私が、ブッシュだったらどうするか?
もし、皆さんがブッシュだったらどうしますか?
正直、答えるのに難しいと思いません?』
★まったく難しくありません。僕がブッシュなら戦争には踏み切りません。少なくとも私欲を肥やすための人殺しはしません。キリストがそれを望んでもね。

『彼にも皆さんと同じように、守るものがあります。家族があります。
そんななか、彼が進めていく決断に、誰が非難をできるでしょうか』
★それはきれいごとであり、充分に非難できます。少なくとも彼が戦争を決断して以降、イラク人もアメリカ人も何千人もの人が死んだんです。死ぬ必要がなかった人が。子供も老人もです。その罪は重く、神が本当の神なら、それを教えに従った行為として許すはずがありません。

#83 傍観だけでは終われなくなった2さん、どもです。
『皆が一色に染まらなければならない集団って私はごめんだな』
★まったく、120%をもって同感です。

つづく

#104
  • コバルト
  • 2005/11/01 (Tue) 20:27
  • Informe

#84 ある宗教の被害者さん、どもです。
『結局roselandさん一人からしかレスはもらえませんでした』
★皆さん自由意志で書き込んでますから、余り期待はしないほうがいいと思います。

『皆で食事をしたこともありますが、私の妻は私が気分を壊すと思ってるのか、他の人がお祈りしてるのに彼女はしません。
食事会の時にあれをやられると、信者じゃない人間は、なんともいえない不和間を感じますよね。
私だけかもしれませんが』
★僕も感じますよ。ですから付き合わずに勝手に食べ始めます。その集まりが初めからクリスチャンの集いということでなければ干渉しないことです。こちらが一方的に気を遣う必要はありません。

『彼女達は何かの集まりの時も信者でない人は誘いません。
「興味がある人はどうぞ」っていうスタンスです』『彼女たちはクリスチャン失格ですね。みんな極楽へは行けないんですか?』
★クリスチャンでも宗派によって教え(の解釈)には差があるでしょうから、布教、伝道に積極的なところもあればしなくてもいいところもあるんでしょうね。ただ互いに自分達の解釈が正しく、対立する相手は間違っているとするから、そっちはいくら信仰が深くても救われないと思ってますがね。

『「布教は自分が救済される為」ってことは知りませんでした。
私の知っているクリスチャンとあなた達は違う宗派なのですか?』
★布教は自分のためでもあります。で、宗派はたくさんあります。

『なにかイベントを企画し、きた人に布教するのは、考えようによってはエOバより陰険で悪質なようにもとれますが、いかがでしょうか?』
★来る人に事前の説明がなければ、それは悪質ですね。ダマシですね。詐欺ですね。

『あるボランティアの人が「私達、クリスチャンだからこういう(人助け)が出来るのよね」って言ってました。これを聞いた私は、口には出しませんでしたが「なにいってんの?そんな事いちいち神様に教わらなくても、俺はちゃんとやってますよ」って思いました』
★その通りです。また、「クリスチャン」を他の宗教の信者に置き換えても、同様に使われることがあります。

#85 momotaさん、どもです。
『自分がどんな風に死ぬのか誰にもわからない。老衰でも即死でも「死に方第一希望=ぽっくり」いく可能性もある。ということは、そういう死に方なら死はそれほど怖くないのでしょうか?』
★自分がどういう理由で(どういう死に方で)死ぬのか分かっていれば恐さはかなり薄れるでしょうね。覚悟が出来ますから。お化けもいつも見ていれば恐くありませんが、突然出て来れば恐い。

『それでもやっぱり自分がどんな風に死ぬのか解らないから「50%の確率で起こりうる苦しい死」を心配して恐れる気になりません』
★それがmomotaさんです。でも多くの人は違うんですよ。で、その恐さからの救済を宗教に求めるんですね。求めるっていうか、宗教側がマッチポンプでやってるともいえますけど。

『私もどちらかというと死は自然に近くにあるものだと感じています。自分が不変であると考えていません。毎日死を意識しているわけではありませんが「身体は不変ではなく、日々死に近づいている」という認識はあります』
★人はみな、いや全員ではありませんが、多くがそれを不変と思い込んでるんですね。昨日の自分と今日の自分、同じじゃないかって。

『「どうして番組をビデオに撮っておいてくれなかったの?」と言ったら「死に掛けたんだから!!」と言われても「あ、そうなの?ごめんなさい」という感じ』
★それです。自分による「死」と、第二者から見た「死」は違います。もしそのケースで立場が逆でも、あなたはビデオ録画を優先しますか?

『「日々変化し老いていくこと」が当たり前で成功も失敗も神様ではなく自分の運と努力次第だと思っていて「将来」「死ぬこと」「死後」を特別ネガティブなもの(恐怖・不安)を感じない私には、宗教団体の方が私のためを思って熱心に教えてくださる「幸福をもたらす神」や「神の救い」の言葉も右から左に筒抜けです』
★僕もほとんど同じです。笑
 ところでひとつ質問です。もしある日あなたが死を迎える時、例えばそれが「人里離れた荒野で、周りに誰もいなくて、ただ薄れてゆく意識を感じながら死んでゆく」としたら、また「暖かい部屋で、愛する人が手を握り、あなたを抱きしめながら、見つめながら、あなたの意識は薄れてゆく」としたら、どちらがいいですか?またはどっちも同じですか?

『どんな些細な事であれ宗教(布教)行為が迷惑だと受け取る人にとっては、悪意の無い信者の考えや行動は、なおさら厄介です』
★名言炸裂!

つづく

#105
  • コビルト
  • 2005/11/01 (Tue) 20:35
  • Informe

つづけなくてよし!

お主にはイエス様の祟りがあるぞ

アーメン

#106
  • コバルト
  • 2005/11/01 (Tue) 20:45
  • Informe

#92 Rockerさん、はじめまして。
『キリスト教の聖書を読んでも思いますが人間という次元を超えた超越したような考えにははっきり言って出会った事がありません』
★はい。でもそれも個人差があります。聖書=人間が作ったものではない、神の言葉として信じ切っている人もいます。そしてRockerさんのような方もいる。両方あっていいはずなのに、クリスチャンはクリスチャンにならないとダメと思っている。しかしならない人間(僕もそちら側ですが)まで、「クリスチャンは間違っている」としたら、共存は出来ません。少なくともなにかの教えに束縛されていない側としては「これもよし、それもよし」のスタンスでいるべきではないかと思います。対立することが目的ではなく、干渉されない自由があればいいのですから。

『たとえばキリスト教の教えでは天国に行くには神を信じなければ駄目、なぜなら罪を洗い流せるのは神だけだから。唯一の例外はその”キリスト教の教え”に人生の中で出会えなかったとき。しかしその存在を知りつつ神を拒んだまま死を迎えたなら天国に行くチャンスは断たれるらしいです』
★教えとしてはその通りです。でも僕らとしては、「キリスト教としてはそう捉えている」という認識でいいのではないでしょうか。クリスチャンがそう考えているとしても、僕らは違う。真実はひとつではありませんよ。

『”神”ほどの偉大なものなら自分を受け入れるか拒むかで判断を下すことはとても考えられないというのが僕の意見です。”自分がパワーを持ってるからそれを振り回して自分を慕うものだけを救おう”という考えなら人間でもたくさん神以上が存在すると思います』
★肯定します。ただ、僕も宗教を否定する側ですが、ひとつ学んだことがあります。他のトピで物理/哲学のトピがありましたが、「宇宙の大きさを地球に住む人間が、身の回りにある理解しやすい物差を用いて説明するのは極めて難しい」、それに近いです。神が偉大だとか崇高だとか言いたいのではなく、「宇宙が光の速さで膨張しているなら、その広がっている果ての向こうには何があるの?見せて!見せてくれなきゃ信じない」的な発想ではきっと信じられないと思います。逆に、強く信仰する側にしても、「強く信じる」だけであって、その信仰を絵に描いて見せることは出来ないでしょうが。

『極論仮に嘘だったとしても人を幸せにできるなら信じる人にとって十分存在価値があるとおもいます。でも勧誘するくらいのレヴェルなら最低限ここで僕があげたような宗教に対しての疑問に納得のいく答えを用意してからにしてほしいってのが個人的意見です(納得いく答えもらったことありません)。
甘い部分だけ吸って本質を考える気がないならそれはそれで自由だと思いますがそのレヴェルで自分たちの信じるものの素晴らしさを叫ばれ勧誘されると正直個人的にしらけてしまいます』
★どちらのレベルが高い低いということではありませんが、レベルというか、次元が違い過ぎて、彼等にしてみれば「納得のいく答え」を用意したつもりでも、こちらがそうは思えないというところで平行線を辿るばかり。
 好きになった人間に「君を愛している。世界一好きだ」と言われて、「数字で表して」と言われたらなんと答えたらいいか。好きなら信じるしかない。その上で「はい。私も愛します」と答えるのが宗教を受け入れる人と似てます。それが良い悪いではなく。「神にはできる。神を信じなさい」が嘘かもしれないけれど、でもそれに対し「数字できっちり説明して。納得したら信じる。でも納得できなかったらあなたの宗教は間違ってる」もまた極端な話。
 あなたが信じるのは自由だし、それはきっと真実かもしれない。でも私には受け入れられない。私が信じるものも真実かもしれない。それが理想だと思うのですが。

#96 傍観だけでは終われなくなった2さん、どうもです。
『ここで宗教を不快に感じている人が持つ考え・指摘に対して納得 or 疑問を解決させられないようであれば、結局勧誘してきてもお互い時間の無駄であることは明白かと思います』
★無宗教側からアプローチしているのではなく、宗教側からの接近ですから、くれぐれも「無宗教ありき」のものの見方を習って話をしてきて欲しいですよね。

『もう1つ許せないのが、人の弱みに付け込むという点です。誰でも弱くなっている時期はあると思います。そんな相手を選んで勧誘してしまえという発想』
★多くの宗教の中には、実際に心の弱った人間を救っているものもあると思います。どこにも救ってもらえずに門を叩いたというケースも少なくないでしょうし。その中でどれが悪質で、どれが良いかを見定めるのは難しいかもしれません。あからさまな多額の寄付や物品の購入を求めるなら分かりやすいですが。何もとらず、心休まるまで話を聞き、励ましの言葉をかけてくれた場所もあるでしょうね。それが絶対というのではなく、その人にとってはその時そこが正解だったかもしれません。

『"やれる"から"やる"、"やっていい"という発想は本当に腹が立ちます』
★はい。そういう発想が根にある宗教は、マジ消えて欲しいです。

つづく

#107
  • コバルト
  • 2005/11/01 (Tue) 20:46
  • Informe

#97 ある宗教の被害者さん、どもです。
『やっぱり、ねずみ講とかわらないと思います。
ねずみ講だって入らない人はいっぱいいますよ。
”自分の利益のために人を誘う”行為は同じでしょ。
もし布教が成功し(なんて言うんですか、この場合)人を入信させれば利益にもなりますよ。
だって教会や組織は信者の寄付金で賄ってるんでしょ』
★ですがその比喩は極端だと思います。寄付金は義務ではないし、何より教会の存続のためであって、信者は金品の利益は得ません。「自分のために布教する」というこういにしても、少なくとも信者に「ダマし」の意識はなく、自分のためでもありますが、それが100%ではなく、相手のためでもあります。
 momotaさん曰く『どんな些細な事であれ宗教(布教)行為が迷惑だと受け取る人にとっては、悪意の無い信者の考えや行動は、なおさら厄介です』の通り、それもまた困りものですが、ねずみ講と同じというのは言い過ぎだと思います。ただ、中には一部ねずみ講以上に悪質なものもあるでしょうね。お金だけでなくその人の人生を狂わせてしまうものもあるでしょうから。

『聖書っていうのは2000年くらい前に書かれたものですよね』
★旧約聖書はイエスが現われる前で、創世記は1500年代の初めにモーゼが、また新約聖書の最後の啓示はヨハネによって紀元100年近くに書かれていますね。

『今、現代は情報や医学などが発達し、自然災害や戦争も事前にキャッチできるし、病気だってよほどの難病以外ほとんど対処できますよね』
★戦争は人災ですから事前の察知は可能ですが、地震はおろか、台風でさえ、なぜ起こるかのメカニズムは分かっていません。その結果、楽観視されたハリケーンカタリーナが予想を上回る被害をもたらしたばかりじゃないですか。病気にしても解明されていない病気は少なくないでしょうし、身近な風邪にしても「治す薬」はあっても「かからない薬」はないでしょう。まして神が嫌う淫行や麻薬、血の問題も含めて、それらが引き起こした深刻な病気、死に至る行為もあるでしょうね。

『その世代に、2000年前の書物を持ってきて「聖書にこう書いてある」って言われても私には理解できません』
★僕自身そうですが、実際にそれが現代に適用されないと思ってる部分と、同時に頑に聖書の言葉、彼等の声を拒否してる部分もあると思います。だからこそ自分は「現実主義、神様の助けを必要としない実力主義だと思います」と言ってしまう。
 それが悪いとは思いませんが、もっと柔軟でもいいかもしれません。いつか聖書を開きたくなる日が来るかもしれないし。今の段階でそれを「絶対ない」と封印する必要もないでしょう?もちろん逆もありですよ。笑

『特に私達は日本から飛びだし、外国でなにか掴もうとしてる信念の強い人が多いと思いますよ。
まあ日本人に布教するのはやめておいた方がいいですよ』
★初めからそう決めつけなくてもいいでしょう。宗教側には「宗教を嫌う人も多い」ことを配慮してもらい、わたしたちも「聞くなら聞く。イヤならきっぱりと断わる」のスタンスでいればいい。
 ちなみに僕は断わりません。嫌いですが興味はありますから、時間が許す限り聞いて、疑問があればします。それで向こうが「カモ発見!」と思うならそれもよし。また来てもイヤなら断わるだけ。何度断わってもドアを叩き続けるような悪質なものには遭ったことないし、それなら警察を呼ぶだけのこと。

『日本人以外の人達をターゲットーにすれば布教というクリスチャンの責務も果たせるし、日本人にも迷惑がられる事のないし一石二鳥ですよ。多分日本人以外の人はすでに自分の宗教があるでしょうが』
★ご自分=在米日本人全員は、いけませんよ。笑。きっとジョークですよね?

『しかし、他のクリスチャンは、なんで出て来ないんでしょう?』
★全クリスチャンがそうかは知りませんが、例のエ○○の○○人の場合、暴力だけでなく言葉の上でも争い、つまり論争を嫌います。感情的に抑揚することがいけないという教えがあります。信者が一人の状態で討論するのも良くないみたいですし。ですから出てきません。どうしてもしたかったら信者がたくさんいる中に飛び込むしかないんです。どこまで付き合ってくれるかは分かりませんが。笑

#98 とっくりさん、どもです。
『宗教は不変だと思います。色々な解釈の仕方が出てくるだけで、コーランも聖書も変わってないですよね』
★変わるのは解釈ですね。そしてそれが宗派まで新しく作ってゆく。でも解釈は人間がすることで、結果として人間のエゴがキリスト教をはじめ様々な宗教を今のような状態にしてしまったわけで。もうグチャグチャ!

#99 Rockerさん、どもです。
『神が皆にキリスト教を信じてほしいと思ってるという説よりキリスト教徒の方々が”自分はキリスト教徒だから人より有利な位置にいるんだ、そして皆もキリスト教徒になれば有利な位置に立てるんだ”と思いたい、そして思わせたいという理由からできた思想だと考えたほうがはるかにつじつまがあってる気がするのですがどう思います?』
★賛成です。有利に立ちたい、という部分はちょっと[?]ですが、少なくとも神や仏は「組織化しなさい」とは言わなかったと思います。まして今のような多宗派の林立は望まなかったでしょう。しかしこの状態を予測できなかったことも落ち度だし、地球は大きいのだから地上のあちこちで初めから同じ宗教を同時多発させておけば、対立も起きなかったかも。それができなかったってことはやはり人為的と言うこと。

『あと宗教は不変ではありませんよ、少なくとも勧誘がくるほど身近なとこにある部分は。
例として結婚前の性交に対しての社会的、そして宗教的な見方を今と300年前で比べるとはるかに違うはずです』
★土台になっている教典とかは変わらない。けれど、解釈を時代に合わせて変えてるということですね。そこで変えることに拒んだり受け入れたりで、また新しい宗派誕生!プログレッシブ!

#100 roselandさん、どもです。
『アメリカの日本人には布教しないほうが言いという意見ですが、布教する人は、このメッセージが命を救うと確信していますから、みんなに公平に機会をあげなければという想いでしょう。ですから、彼らは死ぬまでやめませんよ』
★よぉ〜く分かる!よい心がけと褒めてあげたい!でも厄介だ!難しい!

#102 damnでしさん、どもです。
『1.宗教には矛盾(理屈で説明し切れないこと)がある。
2.死後の世界などと言うものは、たぶん無い。
3.宗教も組織になると大なり小なり金が絡んで来る。
などなど・・・』
★う〜ん、また面白いお題ですねぇ。

『宗教ってあげつらうと嫌なことも多いけど、でも信じて救われるなら、それもいいって思う。
無神論者とか気取っても、俺だって飛行機乗る時に死んだお婆ちゃんに無事なフライトをお願いしてたりするから。(笑)』
★そうですね。だから僕なんかは無宗教だけど、有神(仏)論。いいとこどりです。あはは。

とりあえずここまで。

#112

宗教の議論で盛り上がっているところ、大変申し訳ないんですが、aputsukaさんのところのイベントについて質問させてください。
TVでCMを見て、ちょっと面白そうだから、時間があったら見に行ってみようかなどと思ったのですが、もし、見に行ってイベントを見て楽しんで、後はそれっきり、自分がその気にならない限り、団体とは関係しないということは許されるのでしょうか?
それさえ、問題なければ、行ってみようかなと思うのですが。

#111

あれ?さきほど、私が投稿したのは、どこへ消えてってしまったのでしょう・・。お返事を書いたのですが・・・。しくしく(;_;)←これは数日前に書いたぶんです。。

そして、どうやら私、今まで投稿しようとしてできなかったのは、
サインインしていなかったみたいです。投稿できない理由がわからず、何回もトライして、ショックを受けていたここ数日でした。
単にサインインしていなかっただけなんて、・・・。おっちょこちょいです。(^_^;)
一人だけ、皆さんと時がすごくずれています。

もうしわけありません・・・・。こういう投稿系は、まったくの初心者でして・・・・。


ンと、二つ前の投稿のお返事です。(今となってはもうずいぶん前の投稿で)私は法律が無意味とか、したがわなくて良いとはまったく思っていません。私達人間は生活していくうえで、ルールがないと、生活していけませんものね。
皆が皆、100%同じで、100%完璧ってことは決してありえないので。

そして、私は他の宗教のお友達居ます★私の日本の中良い子は、創価学会(漢字あってますか??)ですし、こちらでもユダヤ人の方と結構近い知り合いになれる事ができました!学校で、ヒンズゥー教の方とお話した事はありますが、そこまですっごい近い友達!ってわけではないです。
そしてそして、私は他の宗派?の人とも仲良しです。^^私は、と言いますか、私の周りのクリスチャンは少なからずとも、お互いの宗派を超えて、一つになろうとしています。違いを超えて、お互いをもっと理解しようって♪♪
実は、このトピ主さんが最初に言っていた、このクリスチャン主催のイベントも、私達クリスチャンに取って、互いに宗派が違うものが、どうやって一つになれるか。お互いの違いを理解しつつ一つになれるか?というすごく良いチャレンジングなもので、本当に本当にこのスタッフをしてて、色んなことを学ぶ日々です。 
普通だったら、宗派が違うとか、そういうことを聞いたら、宗派同志で争ったり??みたいな??事を思う方が居ると思うんです。どうしてクリスチャンとカトリックは違うーとか、クリスチャンにも色々宗派があって、なになになに。私達は、宗派を超えて、同じものを信じてるものどおし一つになろう!と言う事も、私達の活動の意味に含まれて居ます。

あと、#78 名前:ある宗教の被害者
の方。。。ごめんなさい!私、きずきませんで、きっと私見落としていたんだと思います。ワザと無視しようとかしたわけではないのです。、申し訳ありません・・・

>それとあるボランティアの人が「私達、クリスチャンだからこういう(人助け)が出来るのよね」って言ってました。
について
おぉー!そのような発言をされたクリスチャンの方がいらっしゃるんですね。なるほど!です。
確かに、色々なクリスチャンの方々がいらっしゃるのですが、その方がなさった発言が、どういう思いから出たのか、私も不思議です^^;
何かそうなった理由があったのでしょうか・・・?(なんて、逆に聞いてしまいました!)

以下、私の個人的な意見です。
奉仕に関して、クリスチャンだからできるクリスチャンじゃないから奉仕できないは、まぁーーーったく関係ないと思います。

正直、私はクリスチャン以外にも、すばらしい方々をたっくさん知っていますし、彼らの事をすごく尊敬します。

実際、私がボランティア関係の仕事で一番尊敬していた方は、熱心な仏教徒の方でした。

あと、これ以下も私の、超個人的な話なのですが、私がクリスチャンじゃないときに、彼らの話をきいていたとき、
“感謝する事が必要だなぁっておもいました”
とか、
“この辛さが次につながるんだと思いました!”
とか・・・。

言っているのを聞いて、
正直
“へん。。。ンナこたぁー私だって知ってます&すでにしています!”=私、神様信じてないのに、クリスチャンじゃないのに感謝できてるし。神様なんて、居なくったって、私強し!神様いらないぷーん。

という感じでした。

そして、私自身、すごく汚い人間だったので(Still)、その彼らの発言を聞いて
“何も信じていない自分が彼らよりも強い”みたいな、“上から見下している優越感”
に浸っていました・・・・。

でも、これは私がただこんな汚い心をもっていたってだけなので、きっと皆さんは違うって思うんです。
はい。
でも、正直に自分が昔どうだったか、言って見ました。。。


((ちなみに、今、クリスチャンになってから、前自分が思っていた感謝の幅と、今、自分が思う感謝の幅みたいなのは、確実に違う気がするのは事実です。。。))
あと、奥様がクリスチャンだという事ですが、彼女がおそらく#78さんの前で祈らないというのは、きっと自分の信仰を押さえつけたくないと思っているのだと思います。はい。私達が望むキリストの愛の一つの表れの形だと思います。
でも、私の勘違いかもしれないので、やはりそれは一番奥様に聞かれる事がベストだと思います。


私達クリスチャン。といいますか、少なからずとも私が知っている限りでは、相手が嫌がるようなことをするという風に聖書から習った覚えは一度もありません。
んと、確かもっと良い表現があったと思うのですが、ごめんなさい。私の言葉足らずです・・・。

うぅーん。。
どなたか、他のクリスチャンの方の意見も聞いた方が、ちょうどバランスが取れると思うので、もしよろしければ、周りにいらっしゃいます方に聞かれてみてください。きっと、皆真剣に答えてくれると思います。

あと、私達が信じているものを伝えるのに、イベントをするというのは卑怯だという意見に関して。
なるほど。
そうゆう風に考えた事が無かったので、確かにそういわれたら、卑怯?な感じもしなくはないです。

ついつい、クリスチャン側からの目で見ると、信じているものを一人でも多くの人に知って欲しい=イベントをする=一つの方法
って、なんか、勝手に頭の中でなっている気がします!!少なからずとも、私の頭ではすでにそうなっていました・・・。(アメリカ、日本にかかわらず世の中のクリスチャンワールドが結構そんな感じな気がしました。)

すごく良い突っ込みだと思います。
今後、このトピックについて考えて生きたいです。
今私がわかる範囲なのですが、きっと私達の発想の根底は、
“一人でも多くの人に、一回でも良いから、この話を聞いて欲しい。”
ってことで、一番良い方法は何だ?!
=イベント

ってなっているのかもだと思います。
でも、
もしかして、
どっか歴史をたどっていけば、どうしてクリスチャンがイベントをするようになったのか、その背景が見つかるかもしれません。
これは、私にとっても、確かにすごく興味深い質問です。
ありがとうございます。


#77 名前:傍観だけでは終われなくなった2さんへ
ゲイの問題と中絶の問題に関しては、クリスチャンの間でも、色々意見があるようです。
個人的には、すべて、“神様を中心に第一に置く生き方、(クリスチャン的表現ですみません。それ以外が思いつかなかったので。)その信仰の中で、その人たちが神様と向き合ってゲイであることを続けるOR止める”という決断に至るのが自然だと思います。中絶の問題もしかり。
周りには、いわゆるいつも皆さんがおっしゃってくださる“良かれと思って=ありがた迷惑”にアドバイスを強引にしたりするクリスチャンが居るのも事実でしょう。

おそらく、結局何を中心にして生きるか?というその人のライフスタイルの指針に戻ると思います。



*いつも書きますが、上記しました事は、私のクリスチャンとしての個人的な意見です。
(私以外のクリスチャンのかたー。
もし、見ていらっしゃいましたら、どなたかのご意見もゼヒゼヒ聞きたいです。)


こんな、私のつたない文章を読ませてしまって、皆さん本当に申し訳ありません。。。
いつも、?になりながらも、あきらめずに読んでくださって、本当にありがとうございます。


あと、もし今回みたいに誰かの質問に答えていなかったらごめんなさい。
そんでもって、最初に投稿された方。
ここで、こんなにも色んな展開があるなんて、最初は思って無くって投稿したんだと思うんです。なんか、こんなにいろんな事になってしまって、ごめんなさい・・・・(>O<)


何度も書きますが、みなさんの中に、色々クリスチャンのした行為によって嫌な事を感じた経験がある皆様、ごめんなさい。最初のトピックを出してくれた方も、本当にごめんなさい。


学校が大忙しな時期です^^;
ペーパーがんばります!
皆さんもお仕事OR仕事、休みつつ、がんばってください♪
つかさ

#110

なぜか前のHNで書き込みができませんでしたので、このHNで失礼します。

私が立てたトピックに対して、多くの人からアドバイスをいただき、私がはっきりと断らなかったことが原因のひとつなんだと納得したので、最後にコメントを残して終りにしていました。

正にコバルトさんが書かれたように
>それが済んだあとの、放課後の雑談を有志が残ってしているだけなので、よろしいのではないかと僕は思います。
の気持ちでいました。
みなさんの意見を読んでいて私もとてもためになりました。ありがとうございました。

ただ、これもチャンスとばかりにここでも布教活動されている方をすごいと思いますね。今の私にはちょっと引いちゃいます。

えっと、話が前後していますが、その後の状況としては、なぜかあれから突然彼からの電話がかかってこなくなり、私が断らないままこの問題はうやむやな形で解決しました。イベントの主催者の方がここを読んでいたようなので、私にひつこく電話をしてきた人にも伝わったのかと思っています。
でも、ここにこうしてトピックが立ったことをそのリーダー格の人が知ったんだとしたら、なぜ彼本人が謝罪せず、他の主催者の人ばかりが出てくるのだろうと思いました。もちろん私にも非はありましたが、ここに書いた途端連絡がなくなり、彼の番号を控えたりしていなかったのでこちらから連絡することもできず、まーこちらからする必要もないと思うのですが、煮え切らないまま終わってしまったという感じです。

学校の友達から聞いた話だと私に布教活動をしてきたその彼は、学校にも行かず仕事もしていないそうです。べつに人が何しようが勝手だと思うので批判するつもりはありませんが、20歳を過ぎているのに学生でもないのに親のお金で生活している人に神様がいるから大丈夫みたいなことを言われても、説得力に欠けます。私は自分で努力したいと思ってしまいました。

#109

義父はユダヤ人として育てられたけど、ユダヤ教の教えや文化が嫌いで嫌いで、成人してから、最も自由な(ORええかげんな−笑)Unitarianに改宗。でも、教会なんて一切行かないし、ユダヤ教信者で居るのがイヤだからとりあえずクリスチャンになっておこうって人。
そんな義父に育てられた私の配偶者も無宗教。別に無神論者とかじゃないけど、キリスト教のこととか驚くほど知らない。ところが、同じ父親に育てられた義妹は、カトリックの配偶者と結婚してからはいきなりクリスチャンに。毎週、教会に行ってるし、ちょっと改まった食事の席では必ずお祈り。
この一家を見て、アメリカでも宗教って結構ええかげんじゃん(コラ!)と思うようになった。

#108

#100 roseland さん。

あなたはクリスチャンではないのですね?
ごめんなさい。
すっかり、勘違いしてしまって・・・。
反省と同時に恥ずかしく思います。
お疲れのところ、お時間を取らせまして、すみませんでした。

#113

ちらりと立ち寄ったら投稿が増えていたので、返事です。
#106さんへ。

>自分がその気にならない限り、団体とは関係しないということは許されるのでしょうか?

まったくもって許されています!!
というか、そんな、強引に
“神様信じレぇー”とか、ンナ事は、まったくありませんよ。

それに、興味がある人には、そのイベントの後もインフォメーションを得られる形になってますが、興味が無い人は、何も無いので、安心して?下さい^^

あと、その前の投稿にお返事をしてくださったコバルトさんありがとうございます^^

んと、また何かありましたら、メールででも★
私の意見でよければ、イツまでもお答えし続けます♪

そして一つ。
たぶん、皆さんが誤解していると思うので、伝えたい事は、

クリスチャンになった=120%皆が同じ
では無いという事です。

信仰面でも、
個人の個性の面でも、
いろいろな面で違いが現れるのは、すでに今まで皆様が繰り広げられています論争の中に答えは出ていると思います。


ちなみに、個人的に思う事ですが、
個性はなくならず、その人が本来持っている輝きが、クリスチャンになることによって もっと目立つようになります!!!!

今日得た豆知識( Bible studyより)なんですが、なんと、日本で流行している自己開発セミナー。何回も何回も同じ人が同じ系の本を買うという、自己開発系のとりこになっている皆さんが日本には多くみられるそうです。

あれは、アメリカから始まったそうなんですが、なんでも、基盤は聖書らしいです。それの、神様っていう部分をきれぇーいに取り除いて、自己開発のために使っているみたいですよ?

特に意味は無いのですが、今日聞いて、おぉー!と思ったのでシェアしてみました

#114
  • 傍観だけでは終われなくなった2
  • 2005/11/02 (Wed) 01:15
  • Informe
  • Borrar

#111 aputsukaさん
またまたお返事頂き、ありがとうございます。またコメントさせてください。

>「私は神様ではないので、そのように彼を裁く権限もありません。」
>「私は法律が無意味とか、したがわなくて良いとはまったく思っていません。」
あなたの2つのは発言は矛盾していると思います。そうでなければ説明不足かと思います。
・彼(ブッシュ)は、誰に裁く権利がある or 誰にもないのでしょうか?
・一般社会で人が法によって人に裁かれていますが、これは正しい行為 or 正しくない行為ですか?

>「私は他の宗教のお友達居ます」
よかったです。そういうスタンスの方だと理解しました。再度この問いの本質、"イラクがもし100%キリスト教国家であればこんな簡単に侵略を受けたりはしないし、ブッシュも戦争自体できなかっただろうということです。"についてあなたの見解をお聞かせ願えますでしょうか?

>「宗派を超えて、同じものを信じてるものどおし一つになろう!」
そもそも信じている神や教義が大きく違っている上で、どうやって1つになろうとされているのか興味がありますね。ちなみにそのイベントがそういう試みだとして、イスラム教やアラブ教の方も一緒に参加されているのですか?

>「個人的には、すべて、“神様を中心に第一に置く生き方…
信仰の中で、その人たちが神様と向き合ってゲイであることを続けるOR止めるという決断に至るのが自然」
すみません。私の頭ではあなたの仰る意味が良く分かりませんでした。

>「周りには、いわゆるいつも皆さんがおっしゃってくださる“良かれと思って=ありがた迷惑”にアドバイスを強引にしたりするクリスチャンが居るのも事実でしょう。」
これがそんな生易しいものではないから問題だといっているのです。例えば中絶・ゲイ問題などはクリスチャンの組織力で、法を後から変えてしまっているわけですから、アドバイスどころか完全強制です。自分達の信仰における価値観・倫理で統一させる=支配そのものなのです。

>「結局何を中心にして生きるか?というその人のライフスタイルの指針に戻る」
のですが、何故だかクリスチャンの組織は、周りもすべて自分達の神を中心にしたライフスタイルでなければ納得していませんよね?そうでなければ、法を変えさせ、キリスト教でない人への強制力を持とうとする行為の説明がつかないと思うのですが如何でしょうか?あくまでも自分達の宗教内の組織の戒律だけで勝手にルール化してくれればいいのですが、支配欲の強い方の集まりなので仕方ないということでしょうか?

#115

どうもです。ある宗教の被害者さん。
 私の宗教的立場は明らかにしたくないんですが、ぜんぜん僕は迷惑被っていませんからご心配なく。

#116

私はクリスチャンですが、#114 傍観だけでは終われなくなった2さん
(もしかしたらaputsukaさんの新しいコメントを読んでないだけでしたらごめんなさい。)aputsukaさんも言っている通り、クリスチャンでも十人十色なんですよ。だから人によって信仰面、考え方ってちがいがあります。(aputsukaさんと同じこと言ってすみません。。)

これは例えなのですが、もし、1人の日本人が外国ですごく失礼なことや、恥ずかしいことをしたとして、外国の方に、「これだから日本人はきらいだ!」といわれてしまっては、悲しいですよね。たった1人を見て、日本人というものを決め付けてはほしくないなぁと、私は、思ってしまいます。それと同じで、わたしは傍観だけでは終われなくなった2さんの「クリスチャンの組織は、周りもすべて自分達の神を中心としたライフスタイルじゃなきゃ納得していませんよね?」という問いかけは、私は「NO」です。そんなことありませよ。でも多分傍観〜さんが言っているのは、そういう人がクリスチャンには多いって話をしているのですかね?多分そうですよね。それでしたらいいんですが、傍観〜さんの思うクリスチャン像とか、イメージにかけ離れた人もクリスチャンにはいるんだぁ程度に分かっていただけていたら幸いです。なんだか生意気な文章になってませんか?もし気分を害していたらごめんなさい・・・

#117
  • とっくり
  • 2005/11/02 (Wed) 17:38
  • Informe

>コバルトさん
僕の言いたかった事は#103-107でコバルトさんが言ってくれました。しかもとても分かりやすく。恐れ入ります。(脱帽)
>傍観だけでは終われなくなった2さん
質問があるんですが、スタンスとしてはキリスト教徒とは個人として友達になれても、全体としては好きになれない、といったものなんでしょうか?質問が分かりづらかったらごめんなさい。ていうか、このスタンス自体成立するのか?あぁ、よく分からんくなってきました。

#122

こんばんわ。
私は、やはりこの投稿の形がどうもまだなれていなく?下手みたいで、また一人で時間差攻撃をしてしまったようです。。。。

私が前回投稿した前に、トピ主さんが投稿(#104 名前:ここのトピ主です )していてたのを、まったく知りませんでした。
(→確か、私が投稿した時にはなかったのです!!)

今立ち寄ってみて、気づいたのです。気づくのが遅くなり(いつもながら・・・-_-;)申し訳ありません。。。

トピ主さん&皆さんへ
最初、私が投稿をし始めた理由は、ここのビビナビさんの掲示板で、誰かがクリスチャンの行為に迷惑をしている。という事が書いてある。という事を伺い、自分も見てみようとおもってココをたずねました。
そして、どうしても、どうしても、一言、“嫌な気持ちにさせてしまってごめんなさい。”と謝りたくって投稿したのが始まりです。
もちろん、最初は、ここで自分の信仰の事や、キリスト教に対する疑問?などの質問を受けるOR返事をする事になるなんて思っても居ませんでした。
しかし、最初に、私も気づくべきでしたね。トピ主さんごめんなさい。
この掲示板を立てられたのは、トピ主さんであったので、あなたの気分が害されるのが、一番本末転倒?!だとおもうのです。
だから、私のいかなる行為をもが、あなたの気分を害したのなら本当に本当にごめんなさい・・。
そして、

>ただ、これもチャンスとばかりにここでも布教活動されている方をすごいと思いますね。今の私にはちょっと引いちゃいます。

そんなつもりでは、まったくありませんでした。本当に本当に申し訳ありません。でも、トピ主さんがそのように取られたのでありましたら、それがまぎれも無い事実です。
素直に謝らせて下さい。

という事で、ワタクシ、今後個人的な意見をココへ書き込むことを止めようとおもっています。
やはり、どなたかの気分を害してまでしたくは無いので・・・^^;

ですので、何か、クリスチャンに関して疑問がある皆さん、私でよければ、お答えいたしますので直接メールしていただけますでしょうか??
何個かまだ答えていない質問もあります。答えないままこの場を立ち去って本当にごめんなさい。
でも、誰かの気分を害しているという事を気づいた今、これ以上ココに書き込みはできないので・・・・。


こんな事を言ったら変?かもですが、
私はここで皆さんが繰り広げられています質問や、やり取り?などをみて、本当に本当に皆さんに対してありがたいなぁ。。というおもいと、今まで私達クリスチャンが知らぬ間にしてきた行為によって、どれだけ多くの人たちを傷つけ、困らせてきたのか。

それを目の当たりにし、本当に反省させられる事ばかりでした。

ありがとうございます。

皆さんのこれからのアメリカでの生活が、本当によきものでありますように。日々幸せで、平安にあふれた生活をできますようお祈りいたします。

ありがとうございました
つかさ

#121
  • 傍観だけでは終われなくなった2
  • 2005/11/02 (Wed) 21:48
  • Informe
  • Borrar

#117 とっくりさん
はじめまして。私のスタンスですが、まず宗教組織は論外。何故なら人が支配力を効率的に高め、コントロールするために作り出されたものだと思うからです。良い教えを共有する云々であれば、各人が好きな本を読んで吸収する程度のもので充分だと思っています。そこに人が先頭に立ち、組織化して何かをしようという時点で違ったものに展開していると考えます。

個人では何教であろうと彼らの信仰や理念が彼らの中だけで展開され、決して外部の人間へ強要したり、例え間接的にでも強制しようとしたりする行動をとらない人とならば友達になれる可能性は高いです。 ここで私にとって重要なのが直接・間接を問わずという点です。組織の行動で問題があれば組織内でも指摘でき、毅然とした行動をとれる方ならありだと思います。

キリスト教徒でも友達になれそうなケースを想定してみましょう。イラク戦争に反対し、ブッシュを組織内でも声を挙げて批判でき、ゲイ・中絶問題にしても他人へ自分達の価値観を強要してはいけないというスタンスで法案を否定するような方なら可能性ありますね(笑)

ただ同じ穴の狢という諺があるように、確率的には少ないでしょう。そもそも私は共和党員が大嫌いですが、ご存知の通りクリスチャンの巣窟ですからね。。宗教も政治もかなり共通する部分があると思います。なおブッシュを支持した人間とは全て友達になれないのでは?という指摘を受けそうなので、予め申上げておきますが、そんなことはありません。ただその場合ルールとしてお互いに政治の話題は絶対しないというのは鉄則ですが。つまりお互いに必要な距離を保てる相手かどうかがポイントのような気がします。

なんか長くなってしまいましたが、要は確率的には低いでしょうが、友達になれる可能性はあると思います。

#120

#105 コビルトさん。

「お主にはイエス様の祟りがあるぞ」

正確には、”お主たち”ですよ。


コバルトさん。

いつも、私の意見や考え方を指摘し、正しい方向に導いて頂き、ありがとうございます。
またお願いします。

トピ主さん。

「20歳を過ぎているのに学生でもないのに親のお金で生活している人に神様がいるから大丈夫みたいなことを言われても、説得力に欠けます。私は自分で努力したいと思ってしまいました。」

いいですねえ。
そうすることによって、努力すればするだけ自信もつくし、いろんな形で自分に返ってくる喜びを得ますよ。
あなたはきっと、いい男になるでしょう。
こういう仕事もしない、学校へも行かない人間には、本当に、神様の神様のお導きが必要かも。
でも導きられてるにもかかわらず、これじゃあどうしようもないですね。

つかささん。

「私達が信じているものを伝えるのに、イベントをするというのは卑怯だという意見に関して。なるほど。
そうゆう風に考えた事が無かったので、確かにそういわれたら、卑怯?な感じもしなくはないです。」

あなたは前に「ご迷惑をおかけしました」なんて言ってたわりには、あまり心では反省してないようですね。この言い方は。
また懲りずに、宗教って看板を見せずにイベントで誘い出し布教するつもりですね。
あとの書き込みを見てもそういう態度が見れますよ。

「奥様がクリスチャンだという事ですが、彼女がおそらく#78さんの前で祈らないというのは、きっと自分の信仰を押さえつけたくないと思っているのだと思います。はい。私達が望むキリストの愛の一つの表れの形だと思います。
でも、私の勘違いかもしれないので、やはりそれは一番奥様に聞かれる事がベストだと思います。」

”私達が望むキリストの愛の一つの表れの形”

何のことですか?何を言いたいのか、よく分りません。

妻は確かにクリスチャンになりました。
私は宗教嫌いだし、家で話すと口論になるのでクリスチャンの事を話合うのは辞めてます。

それに一番聞きたかった質問の答えをまだ頂いてないんですが。

「彼女達は何かの集まりの時も信者でない人は誘いません。
「興味がある人はどうぞ」っていうスタンスです。
彼女たちはクリスチャン失格ですね。みんな極楽へは行けないんですか?」

#119
  • 傍観だけでは終われなくなった2
  • 2005/11/02 (Wed) 21:48
  • Informe
  • Borrar

#116 なばさん
>「クリスチャンでも十人十色なんですよ。」
勿論そうでしょう、個人としては。私がお話ししているのは当然"組織"のお話ですのでご安心を。

>「イメージにかけ離れた人もクリスチャンにはいるんだぁ」
よく分かります。何か自分と違う人達の悪いイメージと一緒にされて、さぞかし心外でしょう。おそらく個々で見れば温厚で争い事を嫌う、平和を愛する人達もたくさんいらっしゃることでしょう。

宗教組織に属する人のキャラとしての私の持つイメージは大まかに分けて3つです。
A.強い支配欲を内面に持つ、利己主義な人(自分の深層心理にそういうものを持っているけれど気が付いていない人も含む)
B.人や何かを簡単に信じることができる温厚な人である反面、自ら物事を論理的に考えることが不得意で人に影響されやすい人(Aにうまく利用されやすいが気付いていないことも多い)
C.自己の考えもしっかり論理的に確立できており、人に流されることなく、選別して教えを吸収している人(極めて少数)

AやBが大多数といえる根拠は、実社会でクリスチャン組織がとっている行動、もたらしている結果からも明らかかと思います。(勿論複合パターンもあるでしょうが大別した場合です)

ここで登場された方がどんな方かを知る為に個人的にご質問させて頂いていますが、少なくとも"論理的"というポイントでCではないと感じています。勿論私の知らないDやEなど新しくそちらから規定して頂いても構いません。(あまり例外的でなければ)

組織に属していても、Cの人で自分の理念と違えば従わず、組織内でも反対的な行動をされるような方であれば、私は脅威とは思いません。個人が好きなバンドの好きな音楽を聴いているという次元の話だと思いますので極めて自然かと思います。しかし難しいのが宗教そのものの基本が非論理的ということです。感情論ベースですから。(支配手法としては論理的かつ合理的ですけどね。。)だから論理的な人が果たして入信したままでいられるのかがそもそも疑問です。

ただ自分の心の中だけで違うと否定するに留まるだけの次元では、クリスチャン組織が社会に結果として影響力をもつことを考えれば、賛同していなくとも加担していることに何ら変わりはないということです。ここは非常に重要なポイントですよ。

#118

aputsukaさん、他クリスチャンの方々。

もうここに来てまで布教活動するのはやめてもらえませんか?キリスト教うんぬんの問題の前に、そのイベントの宣伝の仕方を考え直してください。#94のような意見も出ているわけですよ。スルーしているようですが、神様とか信仰とか大きなことを言う前に、そういう現実的なことに着手してもらえませんか?

#94 名前:名無し | 2005年10月31日 (Mon) 02:40pm ... 消去

昨日とあるライブに行ったら、会場でそのクリスチャンのイベントのチラシを配ってる人がいました。あまり感じがよくなかったし、強引だったしやっぱり迷惑に感じました。

#123
  • コバルト
  • 2005/11/03 (Thu) 05:02
  • Informe

放課後の雑談の続き(ほとんど独り言)
『1.宗教には矛盾(理屈で説明し切れないこと)がある』
 信者は「完璧である」と言い、反信者は「矛盾している」と言う。
 「著明な絵画の素晴らしさを、簡単な数学で分かりやすく説明して」というような、「盲目的な恋愛」を傍から見るような、それぞれの自分は正しいのだけれど、隣を見ると理解不能の状態。
 よく、信仰を持った人が、「信じるようになった時、何度も奇跡を体験した」という話を聞きますが、ならその話を聞かされたら自分も信じるかというと、そんなことはなく、やっぱり自分がどっぷり浸かってみないことには分からないというか、ショーウィンドウの外から眺めている限り、理解不能なんでしょうね。
 ドアは開けなければいけないのではなく、開けたい人があければいい。

『2.死後の世界などと言うものは、たぶん無い』
 こればかりは、地上の誰に聞いたところで、経験者はいないので、想像の世界。中には悟っている人もいれば、経験者だという人もいる。完全な無、三途の川、ベッドに横たわる自分を見る、空からまばゆい光が降り注ぐ、すでに亡くなった親、兄弟に会う...。いろいろあるけれど。
 あとは、ひとそれぞれに、死後の世界をどう見つめたら楽に生きられるか。絶えず付きまとう恐怖なのか、帰ってゆく安息の場所なのか、記憶も感覚も何もかもなくなるのか、宗教はひとつの答として心配を取り除こうとするけれど、それは方便かもしれない。自分に一番合ったとらえ方を持っていればいいでしょうね。
 でもって、死んだら分かる。

『3.宗教も組織になると大なり小なり金が絡んで来る』
 初めに教えを説く人がいて、その人が生きている間はいいのだけれど、いなくなってしまうと、その人ほどの説得力、影響力を持つ人はいなくて、とりあえず教えが残ってるから、弟子、信者が集まって、それをまとめて伝えてゆこうとする。集まりは会となり、集会所が出来、建物はさらに巨大化し、分散し、その建設のために巨額の資金が集められる。その集団の中でリーダー格が現われ、またそのリーダーを好ましくないと思うサブリーダーも登場する。その人間はやがて新たな集団を作り分派、そしてまた分派。組織は金を吸収し大きくなってゆく。その繰り返しが延々と続き、一番初めの教えを説く人がただ歩き回っていた状態はもうどこにもなくなり、組織が残る。
 そこまででも問題だけれど、今度はさらに「宗教は金になる」「宗教で権力が掴める」「宗教があれば自分は神にでも成れる」みたいな考えが生まれて、信仰宗教が誕生。それまでの穏やかな宗教は、神通力、世紀末預言などの派手で陳腐なカラーに彩られ、そのおかしすぎる教義に社会経験のない若者が餌食となって狂暴化、カルト誕生。もう本末転倒どころじゃない。信者は身ぐるみ剥がされて、教祖と一部の側近が私腹を肥やし、豪遊三昧。「これだから宗教は辞められない!」そんな声が聞こえてきそう。

#120 ある宗教の被害者さん、どもです。
『いつも、私の意見や考え方を指摘し、正しい方向に導いて頂き、ありがとうございます。
またお願いします』
★とんでもないです。導くなんて、僕はそんな出来た人間ではありません。ただ、「もっとこんな風に考えてみたらいかがでしょうか?」と、愚か者なりに考えてみたことを提案させて頂いたまでです。僕こそ今後ともよろしくお願いします。

『妻は確かにクリスチャンになりました。
私は宗教嫌いだし、家で話すと口論になるのでクリスチャンの事を話合うのは辞めてます』
★ひとつお聞きしたいのですが、ある宗教の被害者さんが大病をされた時に奥様があなたを救いたいがために入信して祈られたとのことですよね。奥様がクリスチャンになられたことは、あなたにとって望むところではなかったかもしれませんが、実際、奥様があなたを思って執った行動に、あなたは心から感謝されますか?それとも「不本意だけれど、思ってくれたことは嬉しい」程度ですか?
 奥様がクリスチャンにならなくても、あなたは治ったかもしれませんが、あなたのことを強く思われた奥様の気持ち、そしてどんな祈りをしたのか、「宗教嫌い」を否定することはしなくても、一番近い存在である奥様とお話されることで、もっと近付けるというか、「互いに否定しない共存」ができるかもしれませんね。
 
#122 aputsukaさん、お元気ですか?
『だから、私のいかなる行為をもが、あなたの気分を害したのなら本当に本当にごめんなさい・・』
★トピ主さんは、そこまで気分を害してはいないと思いますよ。少なくとも僕は、あなたがここで布教活動をしてるとは感じなかったし。それよりまして、僕らの疑問に対してあなたは答えようと努めてくれましたね。無宗教の人間との間に線を引いてしまい、すぐに「ノーコメント!」的にシャッターを降ろしてしまう宗教家を何人も知っていますが、あなたはこちら側の立場も理解し、白黒に分けず良い意味のグレー的見方も書き込んでくれました。
 もしあなたが、「すべては神の為せる業!」と言い切ってしまうような極論主義者なら、僕もこんな思いはしませんでしたが、互いに理解し、共存するには、あなたのようなクリスチャンは貴重だと思います。
 ですから、あなたがここを去る!と決めるならそれも自由ですが、またあなたなりに思うところがあればいつでも気軽に「僕はこう思いますよ」と書き込んで欲しいです。僕の個人的希望として、そう思います。
 僕は完璧じゃない。あなたも、僕らもね。だからいろんな意見を交換することは益だと思います。悪意を込めた中傷でなければ。

#124
  • roseland
  • 2005/11/03 (Thu) 06:13
  • Informe

傍観だけで・・・さん
ゲイとか中絶とか取り上げるときに、‘クリスチャン‘とは範囲が広すぎませんか?WASPって言ってくださいよ。

#125

みんな、ぃろぃろかんがぇてるなぁ。

たちばはちがってこんらんするけど、
きみも、あいされてぃるよ。

それだけ。

#126
  • 傍観だけでは終われなくなった2
  • 2005/11/03 (Thu) 16:04
  • Informe
  • Borrar

#118 トピ主さん
トピを暴走させてしまいごめんなさい。宗教が嫌いな私なりに相手を理解し、どこで線を引くべきかをクリアにしたかったのです。彼らが無宗教派側からみた場合の超えられない壁を鮮明にすれば、防衛策にもつながると思いました。問題の根幹から整理しようという試みでした。

確か、彼らのイベントに参加されたことがあるとのことでしたが、そのイベントは、
>「宗派を超えて、同じものを信じてるものどおし一つになろう!」
という感じのものだったか、よかったら感想を教えてください。特にイスラム教やアラブ教の方も一緒に参加するようなイベントだったのか知りたいです。

コバルトさん、
aputsukaさんは明らかにあわよくば勧誘できればという本年は勿論あったと思います。(一々足を運ぶより効率良いしね。)ただ私的にはそれは自然なことだと思うので行き過ぎでなければよいと思っていました。#111〜#113なんて正に仕込みかとは思いました。(笑)ただ真相は分かりませんので、これは私個人の見解ということ、申し上げておきます。何はともあれ、トピ主さんが行き過ぎと判断された以上、このトピでは止めるのが筋だと思います。

#124 roselandさん
クリスチャンにも良い人も悪い人もいるって話ですか?入信する・しないは日本人である・ないとは違い先天性なことではないので、一括りにしてくれるなというのであれば、その悪い人達をなんとかしようという働き掛けが重要でしょう。

aputsukaさんのように、「神のみぞ裁く権利がある」的な発想で都合よく許し合っている集団であれば、私からみれば同じ穴の狢なんです。何だかんだ言っても、組織活動を支援しいるのですから。「いじめを見て止めないのも同罪」と私は考えます。

勿論roselandさんが止める努力をされているのであれば、不快に思われるのは当然です。しかし確か宗教的スタンスをはっきりさせたくないとのことだったと思います。匿名掲示板なのに何でだろうと思ったのですが、お仲間?教徒の方にはバレているということが理由と推測しました。もしそうであれば組織内で止めようという動き自体、知れたものに感じます。

かなり個人的推測で書き込んでいますので、違っていたら何なりとご指摘ください。お叱りは甘んじて受けます。

#127

つかささん。

私も他のみなさんと同じで、クリスチャンまたは他の宗教をちゃんと理解したいです。
私の妻は布教活動は一切しないので(他人に迷惑だから)、特に勧誘に熱心そうなあなたに、説明して欲しかった、というか欲しいです。

このままで終わるのでは、なんか今迄せっかくみんなでこんなに時間を掛けて討論してたのが水の泡になります。
それにあなたは直接メールを送れば何時でも返事するって言ってしたよね。
私は他の人の質問の答えにも興味があります。
皆さんそうだと思います。
ですから一人ずつじゃなくて、まとめて返答に応じてくださいよ。
せっかくのお互いを理解しあうチャンスなんだから。
あなたの書き込みは、丁寧すぎて無駄な部分が多いみたいまので、もっと簡素化すればそんなに時間も取られないでしょう。

お願いします。

コバルトさん。どうも。

私の妻はどちらかと言うと、私のために祈るというよりも(もちろん、それも含めてです)、自分がどこに行ったらいいのか分らなくなってしまったんじゃないのかなって推測します。
話したことがないので・・・。
私は術後も2年半位、薬漬けになってました。
その間、普通の精神状態ではなかったので。
術後の記憶はあまりよくありません。
なんか気が付いたらクリスチャンになってたみたいな感覚でした。
正直言って、妻を暖かく迎えてくれた宗教に何故か知りませんが、感謝の気持ちは湧きませんでした。
私は極端な現実主義で、神様のお告げはおろか、人の話も、よっぽど信用した人意外、聞きません。
自分の目で確かめないと納得できないのです。
特にアメリカに来てからは、情報がいいかげんな事が多いので、もっとひどくなりました。
変人ですよね。
でもその性格のお陰で、逆にストレスはあまりないですね。

だから、神様、お化け、宇宙人、超能力者のたぐいは、私にとっては信じる以前の次元です。
だから、そんなもんに惑わされてるひとがキライなんでしょうね。
まして、そういう人に勧誘なんかされたら、煩わしくてたまらなくなります。

死後の世界についても、
そんなもんある訳が無い。って子供の頃から信じてないですね。
実際、手術の時、実は一回失敗して、2回続けて受けました。その間たぶん生命維持装置に繋がれてたはずで、半分死んでた状態だったのです。
その間に見たものは”無”です。
やっぱり、自分は正しかったって思いました。本当に死んでないのだから100%ではありませんが、自信がつきました。
答えになってました?

#128
  • 傍観だけでは終われなくなった2
  • 2005/11/04 (Fri) 01:40
  • Informe
  • Borrar

トピを読み返して気づきました。。
私の中でroselandさんとGreat Expectationさんを混合してしまったようです。ごめんなさい。

そうすると、何故roselandさんが匿名掲示板の中でもご自分の宗教的立場を明らかにされたくないのか分からなくなりました。。
もしよろしければその理由だけでもお聞かせ願えませんでしょうか?

#129
  • roseland
  • 2005/11/04 (Fri) 05:14
  • Informe

どうも、傍観さん
いや、たいした理由じゃないんですよ。
つまり、偏見なしに僕の意見を皆さんに聞いてほしかったんです。
読んでる人は、僕がキリスト教徒か仏教徒か判らない訳じゃないですか。そういう、ある意味「無」の立場で意見したかったんです。

#130
  • とっくり
  • 2005/11/04 (Fri) 10:25
  • Informe

傍観だけでは終われなくなった2さん、
質問に答えてくれてありがとうございました。

#131

このイベントのリーダーの直人です。
(ポストカードなどにも既に名前と連絡先が出ているので、あえてはっきり言っておきます。また、ここでの書き込みは、私自身の正直な意見であり、他の人は関係ありません。)

まずは、このイベント関係によって迷惑を受けられた皆様に、お詫び申し上げます。本当にごめんなさい。
また、このスレへの私からの投稿がここまで遅くなってしまったことも、申し訳ありません。
確かに、ここのことはTsukasaからも耳にしていましたが、実際に今日ここを訪れてみると、あまりの会話の多さに驚きました。
結局これも、私自身の認識の甘さと、主催者(スタッフ)内のコミュニケーション不足が原因です。
至らない部分であったと反省しています。

確かに、私たち主催者側にも色々な人がいますし、ポストカードを配る際などにも失礼と思われる行動を取ってしまう場合もあるでしょう。(私自身を含めて。)
申し訳ございません。

また、Tsukasaも申し上げているように、ここでの皆様のご意見やご質問に対して、(いちクリスチャンとして、また個人として)申し訳なくも、同時にありがたくも感じています。


ここで皆様のご意見やご質問すべてにお答えするのは不可能ですし、またトピ主さんのように気分を害される方もいらっしゃるのでしたら、ここでの発言は慎みます。
クリスチャンに対して、キリスト教に対して、何かございましたら、私でよければメールを送っていただけますでしょうか?


>トピ主さん
ぼくが迷惑をかけていたなら、本当にごめんなさい。
ただ、ここまで言われても、ぼくには心当たりがない、というのが正直なところです。
確かに、このようなことにおいては、誘い手と受け手の捉え方がまったく違う、ということはしばしば起こるかと思います。
興味のない人が、一度ならず二度までも(まして三度以上)誘われたら、「またかよ」ってウザく感じるでしょうし、
誘っている側は相手に興味のないことが伝わらず、「前は忙しかったそうだから、今もう一回誘ってみよう」と思ってしまうなど、
両者の間には大きな差があることもあるでしょう。
もしそれで、ぼくが知らずに大きな迷惑をかけていたなら、心からごめんなさいと伝えたいし、何らかの行動を取りたいと思っています。

しかし、一番最初に書いてくださったような、「がっついて誘う」とか、
「電話に出ないと長いメッセージが残されるし、(しかも結構何を言っているかわからないときが多い)その後も何度もかかってくる。」
といったことは、ぼくとしてはそこまでした覚えは全くありません。
これもまた、ぼくが至らない点であるのかもしれませんが、もしよかったら、
>彼の番号を控えたりしていなかったのでこちらから連絡することもできず、まーこちらからする必要もないと思うのですが、煮え切らないまま終わってしまったという感じです。
と言わず、ぜひ連絡をくださいますでしょうか?
そこから解決していきたいと願っています。
ぼくの連絡先は、各地に配っているポストカードや、イベントのホームページにも書いてあります。
ここからメールで返信くださってもOKです。
よろしくお願いします。

また、私自身は、確かに学校にも行かず働いてもいない、恥ずかしいような者ですが、
それでも私が価値のある、愛されている存在であること、そして人間ひとりひとりが本当に価値があって愛されていること、
このゴスペル(福音)を、私たちの持つ宝として捉え、それをまずは皆様にも聞いてみてほしいと願って、一生懸命頑張っています。
それこそ、学校やアルバイトを捨ててまで、本当に馬鹿だと思えるようなことですが、確信を持って努力しています。
(それが他人の迷惑につながる、って言われれば、それももっともなことかもしれませんが。)

まぁ、皆様おっしゃっているように、クリスチャンって言ってもいろいろいますし、皆がこうではありません。
が、同じジーザスを信じるもの同士、細かい違いを越えて、教会とか教団とか宗派とかの壁を越えて、ひとつになろう、という意味が私たちの活動に含まれているのは、Tsukasaが説明した通りです(#111)。

それに対して、#114と#126で、他の宗教の方も参加されているのか、という質問があがりましたが、
違いを越えると言っても、飽くまでキリスト教の宗派や教団の違いのことを指しておりますので、
同じジーザスを信じるという点において私たちはひとつになりたいと願っています。
そういう意味では、クリスチャン主催のイベントであることには変わりがありませんが、
もちろん、イスラム教の方もユダヤ教の方も、仏教の方も神道の方も、参加してくださるなら大歓迎です。


また布教活動と呼ばれてしまうかもしれませんし、または単なる弁解であったかもしれませんが、
最初に申し上げましたように、遅ればせながら私からの謝罪の意思を伝えたく思い投稿させていただきます。

これをお読みになっている皆様の生涯が、ますます祝福されたものとなることを願い、お祈りいたします。

申し訳ありません、そしてありがとうございます。
直人

#132
  • なば
  • 2005/11/04 (Fri) 17:49
  • Informe

このイベント出演者の一人です。このイベントの出演者側に、仏教徒の子いますよ。わたしは今その子とすごくいい宗教の話し合いが出来ています。びびなびのことも彼女に伝えて、そのことも話し合い、また理解したうえで彼女は参加してくれています。宗教の壁を越えて、いい友情関係が築けていることがすごくうれしかったのでここで報告してしまいました。失礼します。

#133
  • pinker
  • 2005/11/04 (Fri) 19:04
  • Informe

#118(トピ主)& #94(名無し)さんへ

こんにちゎ。
私もこのイベントに関わってる者ですが、多分#94さんが言ってた某ライブコンサートでイベントのチラシ配りをしていた者の一人です。

まずはじめに、
#94さんの気分を害してしまった事、そして迷惑をかけてしまった事、謝ります。ごめんなさぃ。

誘い側の立場としてひとつ意見させて頂きます。
私たちは強引に誘ってるつもりはなかったのですが、あなたにとって強引に感じたなら申し訳ござません。
私たちはただ、一人でも多くの人に来て欲しかったから、きっとその熱意があなたにとって『強引』という形にして出てしまったのでしょぅ。

皆さんにとって、『強引』って、
どれくらいの事をしたら強引と感じるんでしょうか?
『強引』と感じるような事は人それぞれです。
同じようなアピールを10人にしたら、10人ともそれに対して違う思いになるはずです。
別に普通だった、興味があった、迷惑だった、など本当に人それぞれです。

それと同じように
私達もそれぞれ違う誘い方があります。
その誘い方によって、相手がどう思うかを考えていたとしても、相手も見ず知らずの他人ですから、どんな反応がでてくるかなんて当然分かりません。

ひとつ分かって欲しいのは、
皆ただ単に誘ってるだけぢゃなぃんです。
言われたからって
渡されたからって
ただ ただ やってる訳ではありません。
自分達も皆に来て欲しいから・・・
騙されたと思ってでもいいから
クリスチャンとは何か
神様とは何か
この事を少しだけでも聞くチャンスが与えられてるだけで私達は充分なんです。

皆さんも宗教とか関係なく、何かのためにプロモートしたり、何かを伝えたい時
必死にがんばるように、
私達も必死なんです、がんばってるんです。
同じ人間ならこの努力が分かるはずです。
自分達もがんばって同じような事してて、『感じが悪い』とか『強引』とか『迷惑』って言われたらどう思いますか?
正直私は傷つきました。
知りもしないくせにそこまで言わなくていいぢゃん、って思いました。

クリスチャンだって、実際クリスチャンになってみなきゃ分かりません。
周りからの偏見や
一人のクリスチャンにされた事とかで
私達の事決め付けないで欲しいのです。

私達も同じ感情を抱く、
皆さんとなんも変わらない人間なんです。
過ちも犯したりするし、
完璧なクリスチャンなんていないんです。
そこらへんご理解願います。

どぅも、長々と生意気な事言って失礼しました。
またまた、この事で気分を害してしまった方々、本当にごめんなさぃ。
このイベントに来てくれるのは個人の自由、
神様を信じるか信じないか個人の自由、
全部一人一人選ぶ権利があります。

矛盾してる部分があるかもしれませんね。
でもChristianityは人間では想像できなぃくらぃの事が沢山つまってます。
私達人間だけぢゃ全てを分かってもらぇるような能力も知恵もありません。

それでもこんなちっぽけな人間な話を聞いてくれてるだけでも感謝です。

つっこまれるような事沢山書いちゃったけど、これは全て個人的な意見なので、こんな人もいるんだな、って思ってくれれば光栄です。
ありがとうございました。

#134
  • Great Expectation
  • 2005/11/05 (Sat) 13:37
  • Informe

傍観だけでは終われなくなった2さん。はじめまして。
#128の「トピを読み返して気づきました。。
私の中でroselandさんとGreat Expectationさんを混合してしまったようです。ごめんなさい。」

ん?何故勘違いされたのでしょうか?

#126の「勿論roselandさんが止める努力をされているのであれば、不快に思われるのは当然です。しかし確か宗教的スタンスをはっきりさせたくないとのことだったと思います。匿名掲示板なのに何でだろうと思ったのですが、お仲間?教徒の方にはバレているということが理由と推測しました。もしそうであれば組織内で止めようという動き自体、知れたものに感じます。」

この発言から推測すると、私はクリスチャン、しかもこのイベントの主催者の一人と思われている?
決してそうではないので。前にも書きましたとおり、このイベントの会場である大学の隣のカレッジに通っていたっていうのと、何度かこのイベントにも参加したことがある、そしてつかささんとも知り合いであるという理由から、ちょっと事情を知っている者の視点で投稿させてもらったまでの事です。

ある宗教の被害者さん。
#120の「あなたは前に「ご迷惑をおかけしました」なんて言ってたわりには、あまり心では反省してないようですね。この言い方は。
また懲りずに、宗教って看板を見せずにイベントで誘い出し布教するつもりですね。
あとの書き込みを見てもそういう態度が見れますよ。」

これはね、ただの勘違いですよ。この人ね、普段からこういう喋り方なんですよ。ざっくばらんというか、あっけらかんとしているというか、方言が出ているだけの事かもしれませんけど。なんでつかささんをかばうかって言うと、他の方も言ってるように、私もここで皆さんの意見のやりとり、興味深く読ませて頂いてましたし、もっとクリスチャ二ティについてこの場を借りて知れればなあ、と思ったからです。トピ主さんが言っているように、私には彼らが宗教活動しているふうには感じませんでしたし。もっとクリスチャンの方に出てきてもらえるとうれしいなあ、と思ってのコメントです。

つかささん。一つだけこればかりはスルーできないものがあったので言わせてください。
#111のあなたの発言。「個人的には、すべて、“神様を中心に第一に置く生き方、(クリスチャン的表現ですみません。それ以外が思いつかなかったので。)その信仰の中で、その人たちが神様と向き合ってゲイであることを続けるOR止める”という決断に至るのが自然だと思います。中絶の問題もしかり。
周りには、いわゆるいつも皆さんがおっしゃってくださる“良かれと思って=ありがた迷惑”にアドバイスを強引にしたりするクリスチャンが居るのも事実でしょう。」

ゲイであることは「続ける」とか「止める」とかいうそういう次元じゃないんです。エクササイズを続けるとか、夜更かしを止めるとかいうレベルじゃないんですよ。良かれと思ったありがた迷惑が、ただの迷惑で終わればいいけれど、人の命がなくなるまでにいたることも多々あります。クリスチャンなんて宗教(宗教全体?)があるからこそ迫害されて苦しんでいる人達がいること、本当に理解できています?彼らのクリスチャンに対する憎しみ、怒り、なんかを?あなたには一生かかっても私が理解してる域でこの件を話すことは出来ないかもしれませんね。そして死後も。あなたは天国行き、私は地獄行き。

#135
  • コバルト
  • 2005/11/05 (Sat) 13:38
  • Informe

僕も個人的感想と言う立場で書きます。
 #111〜113ですが、それ以外のaputsukasaさんの書き込みも含めてですが、勧誘したいかしたくないかという極論で言えば、それは「したい」側でしょう。クリスチャンとして当然です。
 しかし、文面から「明らかにあわよくば勧誘できればという本音」は僕は感じられませんでした。それらは、無宗教派側である僕らが「こう考える」と同じように、クリスチャンとしての考えを書こうとしたのが主たる目的であり、「クリスチャンのものの見方」を書くことがすなわち勧誘として捉えてしまうと、そこにはもう相互理解は出来ないと思います。
 僕も何度もあちこちの教会へ行きましたし、聖書研究も数年に渡ってしましたが、未だに洗礼を受ける気にはまったくなりません。しかし、クリスチャンを理解するという点では、昔よりかなり進んだと思っています。クリスチャンに限りませんが、信仰を持つ人の言動は、その教えの核心を知らない(単なる知識だけでなく信じるここと)僕も含めた外側の人間には理解できない部分が多く、それは時に常識を逸脱した行為として目に映ることもあると思います。それを面白おかしく「狂った宗教」と称するのは簡単なことですが、少しでもそれを理解することで、物事の本心を理解することは出来、あざけ笑う必要がなくなることもあります。もちろん宗教側としても、閉鎖された内部だけではない、公での言動に於いては、外の人間にも十分理解してもらうための配慮は必要です。それを「あなたたちには分からない!」と吐き捨てるようではその教義は疑わしい。
 狂人麻原が興したような邪教は他にもいろいろありますが、少なくとも明らかな対立、混乱、危害を押し付けてくるようなものではない限り、宗教と無宗教は共存可能だと思います。
 僕らとしても「自分は宗教に興味はないが、各自が自分の自由意志でやっている分には干渉する気はない」のスタンスが理想的でしょうし、彼等もまた然りでしょう。
 今回ここに登場されたクリスチャンの皆さんの話は、まず何より第一に、度を越した勧誘によるトピ主さんへかけた迷惑に対する謝罪でした。それは礼儀正しく、謙虚だったと思います。
 ならびに僕を初め、ちょっと横道に逸れた宗教話の中で、クリスチャンへの質問もありましたので、それへの回答もして頂きました。そこまでの話であって、「あわよくば勧誘」というのはちょっと、と僕は思います。
 いずれにせよ、トピを作られたのはトピ主さんですから、彼が「イヤ!」とすればそれがすべてですね。
 また宗教というものにいろいろな思いを寄せて相互理解のための意見交換別がしたいです。そのためにはクリスチャンの皆さんの声も欲しいですが、トピ主さんに配慮し、スレを新しく作らなければいけないでしょうか?

#136
  • コバルト
  • 2005/11/05 (Sat) 13:43
  • Informe

3名のクリスチャンが続けて登場されましたね。
 なばさんは、ちょっと違いますが、直人さんとpinkerさん、お詫びとして登場されるなら、それは謙虚で潔いと思うのですが、付け足しとも思える弁解が長過ぎです。それでは僕でも「布教ですか?」と思えてしまう。

『それでも私が価値のある、愛されている存在であること、そして人間ひとりひとりが本当に価値があって愛されていること、
このゴスペル(福音)を、私たちの持つ宝として捉え、それをまずは皆様にも聞いてみてほしいと願って、一生懸命頑張っています』
★勉学や仕事も犠牲にしてまで打ち込まれること、すなわち直人さんが「真実!」として見つけられたものだと思いますが、クリスチャンの枠以外で行動される時は、少なくとも外側の人間にとってそれは「真かもしれないが、偽かもしれない」ことを前提にして頂きたい。少なくとも僕にはキリストの教えは、エゴの固まりの可能性も十分あります。それもまた真。あなたたちはまったく、極めてまったく間違っているかもしれない。「かもしれない」という感覚を忘れないで欲しい。

『皆さんにとって、『強引』って、
どれくらいの事をしたら強引と感じるんでしょうか?
『強引』と感じるような事は人それぞれです。
同じようなアピールを10人にしたら、10人ともそれに対して違う思いになるはずです。
別に普通だった、興味があった、迷惑だった、など本当に人それぞれです』
★pinkerさん、お詫びのレスの中でこんなことを書かれるとお詫びの意味が半減してしまいます。「謝ります。けれど」の「けれど」に於いて「強引もひとそれぞれ」などと書かれると、受けた側が「過敏過ぎた」と言われているようです。そのような弁解はせず、単に「相手によっては受け取り方も様々なので今後気を付けます」で、いいじゃないですか。

『相手も見ず知らずの他人ですから、どんな反応がでてくるかなんて当然分かりません』
★だから多少強引でも許して、ということはないでしょう。

『ひとつ分かって欲しいのは、皆ただ単に誘ってるだけぢゃなぃんです。
言われたからって 渡されたからって
ただ ただ やってる訳ではありません。
自分達も皆に来て欲しいから・・・
騙されたと思ってでもいいから
クリスチャンとは何か 神様とは何か
この事を少しだけでも聞くチャンスが与えられてるだけで私達は充分なんです』
★何か本音が聞けたように思えますが、例えであってもダマしてはいけません。あなたは信じ切っているかもしれませんが、その教えが正しいかどうかなどという保証はどこにもありません。あるのはあなたの信念だけ。それをダマされもいいからと押し付けられる身になって下さい。
 勧誘されるなら、ダマすなんて言語道断。大前提として「クリスチャンの勧誘活動」であることをきっちりと説明し、その上で興味のある人だけが参加できる形を執るべきです。「クリスチャンの勧誘活動」の一貫ですと、あなたは初めに言いますか?言えますか?その上でちょっとでも相手の顔色が曇ったら、「無理しなくていいですよ」と言えますか?言ってますか?

『皆さんも宗教とか関係なく、何かのためにプロモートしたり、何かを伝えたい時
必死にがんばるように、私達も必死なんです、がんばってるんです。
同じ人間ならこの努力が分かるはずです』
★そこがおかしいんです。頑張るベクトルが。ライブのチケットを売ったり、レストランの新装オープンの案内ではないんです。宗教というものは営業とは違うでしょう?「素晴らしいものだから多くの人に広めたい」という気持ちは充分に理解できますが、学生のクラブ活動や、事業のプロモーション活動とは一緒にしないで下さい。その人の一生を左右するかもしれない問題です。
 なばさんが『宗教の壁を越えて、いい友情関係が築けていることがすごくうれしかった』と言われるように、その人にとっては、仏教が相応しい場合もあります。他もまた然り。

『自分達もがんばって同じような事してて、『感じが悪い』とか『強引』とか『迷惑』って言われたらどう思いますか?
正直私は傷つきました。
知りもしないくせにそこまで言わなくていいぢゃん、って思いました』
★純粋で、真直ぐで、それは微笑ましく思えるのですが、何か履き違えています。思想をも超えた「宗教」というものの重みを考えて下さい。『知りもしないくせに...』はい、その通りです。しかし、クリスチャンになることが一番いいかどうかも、誰にも分からないのです。ただあなた方が信じているというだけで。

『周りからの偏見や一人のクリスチャンにされた事とかで
私達の事決め付けないで欲しいのです。
私達も同じ感情を抱く、皆さんとなんも変わらない人間なんです』
★無宗教者から見た「宗教」への偏見には、僕も心痛む部分があります。しかし「決めつけないで欲しい」といわれる宗教側の皆さんが柔軟にならないがために偏見が治まらないということもあると思います。
「皆さんとなんも変わらない人間」であるなら、クリスチャンにならなくても、本当の幸福はあり得るかもしれないことを理解して下さい。あなた方が間違ってるとは断言しませんが、それしかないという考え方では、相互理解は出来ません。

『Christianityは人間では想像できなぃくらぃの事が沢山つまってます』
★はい。そうでしょう。でも仏教もヒンドゥーもイスラムのユダヤも、そうかもしれませんね。無宗教からのアプローチにも可能性はあるでしょう。

#137
  • いかボクサー01
  • 2005/11/05 (Sat) 14:53
  • Informe

はぁ~・・・・

みんな長い・・・

#145
  • 傍観だけでは終われなくなった2
  • 2005/11/05 (Sat) 15:15
  • Informe
  • Borrar

#134 Great Expectationさん
はじめまして。まずは他の方と混合してしまった事お詫びします。大変失礼致しました。

あなたの発言は非常に印象的かつ興味深かったので頭に残っていました。ちなみにそれはこの2つです。
>「このイベントに行こうかな〜って考えてる人にアドバイスを。私の友達の多くは結局はクリスチャンになりました。私にはクリスチャンにはなれない理由があったのでなりませんてしたが、軽い気持ちで日本食が食べれるからとかいう理由では行かない方が良いかもしれません。強い信念をもっていないと誘いに乗ってしまうかも。」

>「そのときあなたは、「すごくためになるお話だけど、結局最後に結論を神様にもっていくのが理解できない」と、腑に落ちないようでしたね。クリスチャンとなった今、その問題は解決されましたか?」

あなたがイベント主催者側の人だとは最初から勿論思っていません。(この点はroselandさんもしかり)もう一度読み返してみても、あなたのレスは的を得ており、かなり中立的な方だと思います。

roselandさんの発言は、最初中立的な印象を伺わせるものだったので何故かあなたとシンクロしてしまったのです。ただその後の発言で完全に中立というわけでもないように感じてきました。どこか穏健派キリスト教徒の方のスタンスと私的には被るように感じたので、程度は分かりませんが少なくとも広い意味で宗教を肯定されている方と推測しております。

ただこれもあくまでも私個人が感じたことであり、何の確証もありません。また勝手にレッテルを貼るなよとおしかりを受けそうですが、私が思う匿名掲示板における議論のあるべきスタンスの話は前に投稿したので、その内掲載されるでしょう。(というかこれの前に載りますね笑)

#144
  • コバルト
  • 2005/11/05 (Sat) 15:15
  • Informe

#127 ある宗教の被害者さん
『私も他のみなさんと同じで、クリスチャンまたは他の宗教をちゃんと理解したいです。
私の妻は布教活動は一切しないので(他人に迷惑だから)、特に勧誘に熱心そうなあなたに、説明して欲しかった、というか欲しいです。
このままで終わるのでは、なんか今迄せっかくみんなでこんなに時間を掛けて討論してたのが水の泡になります』
★同感です。互いを知るということは大事だと思います。極端に宗教を嫌われていたあなたの「理解したい」という書き込みに感銘しました。

『私の妻はどちらかと言うと、私のために祈るというよりも(もちろん、それも含めてです)、自分がどこに行ったらいいのか分らなくなってしまったんじゃないのかなって推測します。
話したことがないので・・・』
『なんか気が付いたらクリスチャンになってたみたいな感覚でした。
正直言って、妻を暖かく迎えてくれた宗教に何故か知りませんが、感謝の気持ちは湧きませんでした』
★奥様としては、一番大切な存在であるあなたが、突然訪れた大病によって、どこか遠くて連れ去られてしまうような強い不安に襲われ、何かにすがりたい気持ちでクリスチャンになられたのでしょうね。
 それが良かったのか悪かったのかを問うつもりはありませんし、奥様の信仰とあなたの回復は関係ないかもしれません。
 ただ、現在のあなたと奥様の夫婦関係が分かりませんからなんともいえませんが、少なくともあなたにとって奥様が大切な存在であるなら、いきなりすべてを知るということではなくても、普段の生活の中で気付いたことを二人だけの時間の時に、話出してみるとか、聞いてみるとか、そういったコミュニケーションはできるのではないかと思います。
 特に、奥様が走った宗教にではなく、あなたが病いの床であったとき、奥様がどんな気持ちだったか、何を思われたか、何をしたのか、それを少しずつでも聞くことが出来たらいいでしょうね。肯定否定をするのではなく、ただ知りたいのだと。
 でも無理はされないで下さい。飽くまであなたに知りたいという気持ちがあればの話です。

『私は極端な現実主義で、神様のお告げはおろか、人の話も、よっぽど信用した人以外、聞きません。
自分の目で確かめないと納得できないのです。
特にアメリカに来てからは、情報がいいかげんな事が多いので、もっとひどくなりました。
変人ですよね』
★もちろん、変人ではありませんよ。目で見るというか、自分が納得できないものは信じられないですから。逆に、人の話を聞いて、安易に信じてしまう人が多いから、宗教による被害者も多いのでしょうね。もっと落ち着いて常識的に考えれば、そんなことはしないだろうにと思えることに引き込まれてゆく人が信じられません。

『でもその性格のお陰で、逆にストレスはあまりないですね。
だから、神様、お化け、宇宙人、超能力者のたぐいは、私にとっては信じる以前の次元です。
だから、そんなもんに惑わされてるひとがキライなんでしょうね。
まして、そういう人に勧誘なんかされたら、煩わしくてたまらなくなります』
★なら、あなたにとって、僕は大嫌いな人間ですよ。「神様、お化け、宇宙人、超能力者」みんな信じてますから。いえ、信じているというのは「必ずいる!」というのではなく、「いるかもしれない。だから敢えて否定はしない」程度ですが。とりあえずどれひとつとってもお目にかかったことはありませんが、「そんなもんない!」とシャッターを閉めた部屋の中で暮らすよりも、「とりあえず窓は開けておこうかな?」ってかんじです。

『死後の世界についても、そんなもんある訳が無い。って子供の頃から信じてないですね。
実際、手術の時、実は一回失敗して、2回続けて受けました。その間たぶん生命維持装置に繋がれてたはずで、半分死んでた状態だったのです。
その間に見たものは”無”です。
やっぱり、自分は正しかったって思いました。本当に死んでないのだから100%ではありませんが、自信がつきました』
★信じることと、認識することは違うと思うんです。死後の世界についても、人はいろんなことをいいますが、「死んだら天国がある!」と盲信するのではなく、「死んだらたぶん無になるんだろう。でも死後の世界があるという人もいたなぁ、」程度でいいでしょう。いつかご自分が亡くなられる時、万一自分の亡骸を見ている自分に気が付かれたら、「あ!これがそういうことか」と理解できれば便利でしょう?「こんなのあるはずがない!オレはまだ生きている!」などと混乱することもないかもしれません。だから「火事は絶対ない」ではなく、「火事なんてきっとないけれど、もしあったら、そうだ、消化器を使えばいいんだな」というような予備知識として、いろんなことを知っておくのは良いかもしれません。
 自分がこうだと信じていることは99%正しいでしょう。今までそうやって生きてきたわけだし。それを覆す必要なんてないですが、ただ1%、非常口の場所を知っておくのも良いかと思います。
 僕はそんな感じです。だからいつか死ぬなら、その時、テレビのスイッチを切るように意識は真っ暗になってしまうのか、それとも魂は残ってどこかへ行くのか、いずれにしても「どうなるんだろう?自分で納得したい!」と思ってます。だからどの宗教の教えも信じません。しかし知識としてはいろいろ頂いてます。その点ではあなたと同じじゃないですか?
 僕を信じないで下さいね。そんなことを言ってた男がいた、そんな感じでお願いします。

#143

元「ある宗教の被害者」です。HNを変えました。

クリスチャンの皆さん、なかなか立派ですね。
実名で毅然とした態度で謝罪を入れる。
コメントにも正直さと誠意にあふれてる。
逃げないで、堂々としてる。
見直しました。

私はこれでまた一つ、クリスチャンへの理解が深まりました。

こういう風にあなた達の意見を聞き、私達(ノンクリスチャン、または無宗教主義者)の意見を交換することで、お互い理解し合い、その結果、言い争いや誤解なども少なくなるんではないでしょうか?
私が求めていたものはこの”相手との対話”なんですよ。

私のコメントの中には、あなた達にとっては地意地悪な質問もあるでしょうが、対話をしなければ前には進みません。
折角の場なんだから、ハッキリできるものは、ハッキリさせておきたいですね。

直人さん。
「ここで皆様のご意見やご質問すべてにお答えするのは不可能です、クリスチャンに対して、キリスト教に対して、何かございましたら、私でよければメールを送っていただけますでしょうか」

つかささんも、そうですがなんで、一人ずつなんですか?
私は他の人の質問への答えにも非常に興味があります。

それにここでの質問だって、山のようにあるわけじゃないし、一人ずつに答えるより、ここでいっぺんに答えたほうが、あなたの時間のセーブになりませんか?

#142

なんか凄い事になってますね。ここ。

#141

勧誘されてる方って自分がどれだけ強引か分ってないですよね?
キリスト教だけじゃないです。
こちらに大学がある仏教徒達に激しく誘われノーと言ってもあれこれ誘ってきます。
丸一ヶ月の予定を聞いてくるのでその時に空いてる日は確実に
「宗教とは関係ないパーティーで凄く楽しいから」と誘ってきます。
毎回断るのも気が引けるので一度でも行くと皆に囲まれ(半監禁状態w)
色々説教されます。ほんとに迷惑です。

#140
  • 傍観だけでは終われなくなった2
  • 2005/11/05 (Sat) 15:15
  • Informe
  • Borrar

私が指摘しているポイントを本気で分かっていないのか、とぼけているのか分かりませんが。。

つかささん曰く、このイベントは
>「私達は、宗派を超えて、同じものを信じてるものどおし一つになろう!」
とのことでした。言葉のニュアンスだけだと、何やら世界中の宗派もお互い理解しあうための平和的な集まりの印象を受けましたが、実態は単なるキリスト教という支配層宗派が、内部分裂を解決しましょーのお話でしたか。やはりね。。

>「このイベントの出演者側に、仏教徒の子いますよ。」
キリスト教と仏教はそもそも対立的ではないので何の驚きもありません。それで?って感じです。だからあえてイスラムやアラブを引き合いに出したのですよ。醜いほどの対立構造を作り上げられたあなたたちと彼らの宗派が1つになろうとでもいうのであれば価値はあると思ったのですが、支配階層の内部のゴタゴタなんて外部の人間からすればどーでもいいなぁ。穏健派が右派を壊滅してくれるわけでもないだろーし。

何はともあれトピックが本流に戻ったようなのでよかったです。ただ私のポイントだけはどうしても書きたかったので、どうかお許しを。>トピ主さん

#139
  • 傍観だけでは終われなくなった2
  • 2005/11/05 (Sat) 15:15
  • Informe
  • Borrar

roselandさん、
"偏見なしに"の意図はよく分かります。私もパーソナルなことをできるだけ書かないのは同じ意図です。ただし議論の争点に関わることでスタンスをはっきりさせないというのは、私の場合ナンセンスだと思っています。

要はどんな肩書きであろうが匿名掲示板ではその人の書き込み内容が全てだと思います。結局は相手の言っている内容から、「XX系によく見られる人にありがちだ」という自分に分かりやすいイメージ化をして理解しようとしているだけなので、本当はその人が何に属しているのかは問題ではないのです。勿論自分の知らないタイプであれば「何やら新しい感覚の人だ」となるだけです。

roselandさんを他のおそらくクリスチャンの方と混合してしまった理由は、スタンスが近いと感じたからだと思います。そういう意味では、私の中で正しく表現すると「自分が知る穏健派クリスチャンの方によくありそうな意見を書かれる、本当はどういうスタンスなのか不明な方」= roselandさんです。さほど意味ないでしょう(笑)

ちなみに布教活動は彼らが彼らの為にやっているのであれば、全くもって許しがたいです。それは単なる利己主義で、自分がやりたいから(やれるから)やるという発想ですよね。

あと私がかなり極端に"支配的だ"ということを強調してきたので、穏健派の方は自分と無関係 or ピンとこないかもしれません。キリスト教右派との共通点は神(聖書)を本気で信じているというところですよね?(違っていたらご指摘願います。)

しかしそれは、右派にとってこの上なく都合がよいというのが、以前のレスでもよく分かると思います。穏健派1人1人に害はなくとも数が半端ではありません。そしてその組織が右派に都合のよい思想を持っているとすると、誰が得をして誰が被害にあうか。外部から見れば穏健派も充分はた迷惑な存在だと思っています。

roselandさんがご自分のスタンスを明らかにされたくないのよいとしても、どういう考え方・意見であるのかをはっきりさせないと、すっきりした議論にはならないと思うのですが、如何でしょうか?どこか第三者的な立場で、自分がどう思うかを言わず抽象的な印象を受けましたが、それが中立であることとは違うと思います。(別に中立ではないというのであれば、どちらかに考えが傾倒しているわけですから、どう傾倒しているのかを明確にしないのもすっきりしないかと)

#138

コバルトさん。

失礼しました。やっぱり全然違うことを答えてました。
上にスクロールできない状態だったので、質問を推測して答えました。

私は「妻が精神安定剤を飲んでた」って位にしか思ってませんので、感謝とかは考えたことはありません。
でも他の事ではいっぱい感謝してます。今も。

死後の世界は無いって思うのは、人間って犬、猫、豚、牛、と同じ動物ですよね。
人間の方が知能があるけど、彼らだってある。
もし人間に死後の世界があるとすれば、彼らにだってあるはず。

動物の死骸を見たことはありますよね?
ただの物体にしかみえない、屠殺された動物はどうでしょう。
彼らに天国と地獄があるとは思えませんね。
人間だって死んだら、ただの物体ですよ。
実際に人間の死体を見ても、その人が天国に行くとか行かないとかは、考えられません。やはりただの物体。
死んだら、テレビのスイッチを切ったのと同じ、プツンでなんにも無くなる。子供の頃からそう思ってます。

宗教や神を信じなくっても、私は地獄に行くようなことは、やってないから大丈夫だと思ってます。もしそんな世界があったとしても。

#146
  • 傍観だけでは終われなくなった2
  • 2005/11/05 (Sat) 15:36
  • Informe
  • Borrar

#135 コバルトさん
何故私が「明らかにあわよくば勧誘できればという本音」と感じたか。それは謝罪だけが目的であれば、メールアドレスを残す必要もなく、ただ謝罪すればよいからです。(相手が個人的に関わり合いを持ちたいと願っているわけでもないのだから)

しかし彼女は謝罪とは別に、自分達やそのイベントについて「本当はXXで、‥誤解なのです」のノリの話が必ず入っています。勿論人は他人に誤解されたままでは悲しいので、自己弁解をしたいのは当然。ですがそれを突き詰めていくと、結局「私達は誤解されているかもしれないけれど、本当はXXなんです。皆さんにもっと理解して頂ければと願って‥」となる。

もうこうなってくると、いつもの最初の勧誘のセリフとある意味変わらないんじゃないですかね?要は線が引き難いですよ。

そして「もっと誤解を解きたい、理解してもらいたいのでよかったらメールください‥」ってどこか通常の勧誘プロセスと違っていますかね?

ちなみにここで勧誘しようとする行為は別に人の本質からすれば自然な行為だと思っていますので、個人的には非難するつもりもありません。ただ私は正直な人が好きです。嘘つき、きれいごとだけしか言わない人は嫌い。

#147
  • コバルト
  • 2005/11/05 (Sat) 16:15
  • Informe

いえ、個人の解釈ですから、傍観2さんがそう思われることを否定はしませんよ。そんなこと出来ませんから。
 ただ僕はtsukasaさん(女性なんですか?知らなかった)からは「あわよくば」的なものは感じられませんでした。つまり「あわよくば」=「うまく行けば」から、「一応謝っておくけれど、うまく説明すれば勧誘できるかも!チャンス!」的なものは僕は感じられませんでした。僕の個人的見解です。気にされないで下さい。
 直人さん達には充分感じられましたけどね。

 皆さんハンドルネームを使われないので、ストップがかかったものがまとまって掲載されますね。ご本人は時間配分されてるのでしょうが、システムはお構いなしなので、どのレスが何を指しているのか不明になることがあります。出来たらハンドルネームを登録して頂きたいです。個人的希望ですが。

#148
  • やわら
  • 2005/11/06 (Sun) 00:55
  • Informe

みんな一緒に答えてあげるなんてきっと無理だと思う。一人一人の宗教観も考え方もすべて異なるだろうから。このトピがこんなに盛り上がってるなんてやっぱりなんだかんだと皆さん宗教のことに関心あるもんなんだって結構驚きました。
直人さんも自分が学校も行ってない、仕事もしていない恥ずかしい人間なんていう必要ないと思う。一時的にそうなることは誰だってありえるし自分のなさっていることがこれって思えるなら卑下しないでいいと思う。

#149
  • コバルト
  • 2005/11/06 (Sun) 02:04
  • Informe

『みんな一緒に答えてあげるなんてきっと無理だと思う』
 ちょっと違います。みんな一緒に答えるんじゃなくて、誰かの質問に対する答は、他の誰かの知りたいことでもあるかもしれないので、メールでなく、ここで書いてくれれば嬉しいということです。

 また、直人さんは、もちろん卑下されることはないと思いますが、もしアメリカへ留学を目的として渡米され、ご実家からの仕送りを頼っているのなら、今学校へ行っていないこと、宗教活動に励んでいることは、ご両親に説明され承知されているということですよね。それなら問題ないじゃないですか。

#150
  • roseland
  • 2005/11/06 (Sun) 04:35
  • Informe

傍観者さん、どうも
んー、なかなか自分のスタンスを明らかにするのは、けっこう難しいですね。教理的には保守派だけど、保守派の中のリベラルはかな。ちなみに、同性愛も中絶も私は罪という風に認識しています。(あ、これでクリスチャンというのはばれちゃったな。)
でも、お隣さんが同性愛結婚しようと、中絶しようと、それが原因で挨拶しなかったりというようなことはしないです。ちなみに、ゲイの人とルームシェアしてたことあるし。
自分の信条では、ゲイも中絶も容認しないということは明らかにするけど、法律作ってどうこうするなとはしたくないですね。だって、彼らの人生でしょ、彼らが選んだ歩んだ道、私がどうこう言う筋はない。
布教活動も僕は大いにするべきだと思っています。クリスチャンなら当然のことです。ただ、コバルトさんも行ってたけど、目的をはっきりさせるべきだと、私も思います。変なごまかしは失礼だし、お互いの時間の無駄かな。

傍観さん、どうやらあなたが懸念しているのは政府レベルのことですね。このトピで議論されているのは、布教のやり方とかもっと個人レベルの問題じゃないかと。

#151
  • 傍観だけでは終われなくなった2
  • 2005/11/06 (Sun) 08:50
  • Informe
  • Borrar

まだ自分の書き込みが不適切だ。。(汗)

私はroselandさんをキリスト教徒穏健派の方とスタンスが近いと思っている。ただし実際には属しているのか、他の宗教の方か、実は無宗教の方かもしれない。ただ考え方ではある程度の理解関係にあると感じた。

Great Expectationさんはイベントに参加されたこともありクリスチャンの方とも知り合いではあるが、ご本人は中立の方でクリスチャンではない。

私の勘違いは、roselandさんとGreat Expectationさんを混合し、roselandさんはクリスチャンの方と面識があり身元が割れていると勝手に推測した。

こんな感じですね。。無駄レスごめんなさい。

#152
  • やわら
  • 2005/11/06 (Sun) 12:33
  • Informe

コバルトさん、それは違います、と簡単に100%否定なさるのはいかがなものでしょうか?一人の質問を皆が知りたいかもしれないとしても宗教という大きな問題に対して個人個人ちょっとしたニュアンスなど異なること多いと思いますよ。直人さんがいっせいには難しいと思ってらっしゃるなら難しいんですよ。どうしても質問があれば直人さんにメイルしたら個人個人の質問に頑張って答えてくれるならそれはそれでいいと思います。卑下なさる必要はないと思いますが,と言ったうえで色々書かれてそれなら問題ないと思う,となんか偉そうだな〜って
感じてしまいました。直人さんの人生で
あってコバルトさんのものじゃないし
詳しい状況をこうであったなら問題ないとは言わなくていいじゃないですか?
ご自分のお金貯めてアメリカに来た方かもしれないのに。

#153
  • コバルト
  • 2005/11/06 (Sun) 12:52
  • Informe

「違います」ではなく、「ちょっと違います」とい書きました。
 初めからメールでのやり取りなら理解できますが、ここでの質問をメールで返答する必要があるでしょうか?
 また実際に、「私も知りたいのでここで書いて欲しい」という書き込みもあります。
 個人個人のニュアンスが異なるとのことですが、その宗教を理解してもらうには、閉鎖的な個人間のメールよりも、公に答えられたほうが良いのではありませんか?それを見た第三者が、また意見や疑問を投げかけることは良くないですか?

『卑下なさる必要はないと思いますが,と言ったうえで色々書かれてそれなら問題ないと思う,となんか偉そうだな〜って感じてしまいました。直人さんの人生であってコバルトさんのものじゃないし詳しい状況をこうであったなら問題ないとは言わなくていいじゃないですか?
ご自分のお金貯めてアメリカに来た方かもしれないのに』
 あなたが直人さんを「そんな人ではない」と知った上でそう言われるなら理解できますが、「かもしれないのに」では、「ではないかもしれない」ですよね。
 ご両親が、勉学を辞め、宗教に専心する直人さんを理解された上で仕送りされているなら問題ないでしょう。もちろんご自分でお金を貯めてこられたのでも。
 責めたり疑っているのではなく、そうあって欲しいと思っています。

#154
  • やわら
  • 2005/11/06 (Sun) 16:47
  • Informe

ここでのやりとりじゃあ限界だらけだなあとコバルトさんの書かれる事ひとつとっても思うのでやっぱり直人さんが細かいことは一対一で答えたいというのは正しいんだなと思いました。私は直人さんを個人的に知りません。知らないからこそコバルトさんの書き方が気になりました。また知らないので客観的に考えても
謝罪まで公のところでして自分の現状まで書かれた直人さんにどちらかというと
ネガティブなことを書かれているのはどうしたものか、と思いました。そうあって欲しいと思うのは買ってですが、私が卑下しなくてもいいのにと一言かばうことを書いたとたんにそれに対してすぐもの申すって感じで?って感じです。
卑下しなくてもいいと思うのであれば
そこでストップしておけばいいのに、僕が思う有り方意外ならと条件つけたりして。

#155
  • コバルト
  • 2005/11/06 (Sun) 18:04
  • Informe

『私は直人さんを個人的に知りません。知らないからこそコバルトさんの書き方が気になりました。また知らないので客観的に考えても謝罪まで公のところでして自分の現状まで書かれた直人さんにどちらかというと
ネガティブなことを書かれているのはどうしたものか、と思いました』
★直人さん自身を僕も知りませんが、謝罪されたことは立派だと思います。しかし10/20のトピ主さんの書き込みに対し、まず同じ日にMあんどMさんが謝られ、やわらさんも21日に『一度その若者のグループのリーダーがスピーチするのを聞いたことあります。すごいな、頑張ってるな、若いのにって感心しました』と書き込まれましたね。
 トピ主さんはさらに『私が嫌だったのはその宗教に対してではなくそのNって人のしつこさが嫌だったのかもと思いました。同じ学校の子が以前1度「ちょっと忙しいから参加できない」と伝えたにも関わらず、1度興味を示してしまったせいか彼女にも未だに電話がかかってくるそうです』と書かれてます。
 N=直人さんでしょうか。
 やわらさんは『どうぞ、よかったら、って一声かけておく。信じている人はきっとそうするでしょうね。もちろん迷惑がられていたらそれ以上はやめるべきです』と言われますが、Nさんはしつこかった。少なくともトピ主さんやそのお友達には。
 そして27日になってツカサさんが謝罪。どら猫さんも。
 その後もツカサさんは書き込みを続けられましたがNさんは登場されず、トピ主さんも11/1に『でも、ここにこうしてトピックが立ったことをそのリーダー格の人が知ったんだとしたら、なぜ彼本人が謝罪せず、他の主催者の人ばかりが出てくるのだろうと思いました。もちろん私にも非はありましたが、ここに書いた途端連絡がなくなり...』とあります。連絡がなくなったことはすなわちこのトピの存在を知っているということですね。
 その後もツカサさんは対応されてましたが、『このイベントのリーダーの直人です』の書き込みは11/4の夕方でした。まず初めに謝罪がありましたが、『このスレへの私からの投稿がここまで遅くなってしまったことも、申し訳ありません』とも謝られていましたね。
 リーダーとして登場して頂いたことは真摯な態度だと思いますが、2週間も経ってからだと、やわらさんのように『すごいな、頑張ってるな、若いのにって』とは感心しかねます。僕にはなんだかしどろもどろになりながら対応してくれたツカサさんの方がよほど立派に見えます。
 そして直人さんの『学校やアルバイトを捨ててまで、本当に馬鹿だと思える...』
 本来の渡米目的である勉学を捨て、生計を立てるためのアルバイトも捨て、ということはどういうことでしょうか?キリストはそういう生き方を推奨するのでしょうか?
 信仰に生きることは立派な生き方でしょう。しかし、基本として、まずするべきことがあるのではありませんか?学校へ行きながら、アルバイトをしながら教会へも通う、と言うなら立派だと思いますが。勉学にも一生懸命なツカサさんに対しては、僕は疑問は感じません。
 僕がクリスチャンではないので、理解できないというなら仕方ありませんが、やわらさんもノンクリスチャンですよね。どう理解したらいいのですか?

#158
  • 傍観だけでは終われなくなった2
  • 2005/11/06 (Sun) 20:03
  • Informe
  • Borrar

#150 roselandさん
>「どうやらあなたが懸念しているのは政府レベルのことですね。このトピで議論されているのは、布教のやり方とかもっと個人レベルの問題じゃないかと。」
確かにトピ主さんの主旨はそうだったと思います。ですがこういう話は相手を根本から知っておかないと、色々とうまくないと思っています。

人はまず最初に自分の周りの人間(親・友達・先生等)に影響され、宗教の価値観が決められると思います。ですがそれはまだ不十分な理解であることも多々あると思います。例えば仮に宗教に否定的な人が近くにいて、漠然と「宗教はダメだ」と思っていたとします。しかし雄弁なクリスチャンとたまたま話したら、妙に納得させられた、何てケースもあると思います。その逆もしかり。

つまりその人の偶然の人間関係でどっちにでも転んでしまう。特に宗教関係者の方は集団対一個人で対話されようとするケースもあるので、私は危険だと思っています。

それよりは、こういった公共の場で、色んなスタンスの人がそれぞれの意見を出し尽くした中で、最終的に見ている方が自分で答えを見出せる方が健全な環境だと思うのです。

ちなみに宗教と政治は密接な関係があります。本来これを切り離して考えようとするのであれば、点でしか見えていないと思います。逆にその点だけを見て宗教というものを捉えてしまうことも、とても危険をはらんでいると思います。

#157
  • 傍観だけでは終われなくなった2
  • 2005/11/06 (Sun) 20:03
  • Informe
  • Borrar

#151は自分の書き込み掲載のタイムラグで話がつながっていませんがスルーしてください。

直人さん、やわらさん、
私は#146でも書きましたが、クリスチャンの方へ仮にメールを送って展開されるのは、「私達を誤解されているかもしれないので、‥(中略)‥色々理解してもらいたいのでご説明します‥」ってことですよね。これはあなたたちが勧誘プロセスで最初にされることと何か違っているのでしょうか?例えあなたにその意思があろうがなかろうが、やっている行為に変わりがなければ同じだと思うのです。少なくとも私は個人的な関わり合いを求めていませんし。

確かにトピ主さんの気分を害するという懸念はあります。このトピでこれ以上議論 or XXの内容の議論は好まないということでしたら、どうかストレートに仰ってください。>トピ主さん
(ごめんなさい。私がニブイのかもしれないので。)

クリスチャンの方々、必要であれば別トピでも立てますので、正々堂々と議論しませんか?折角匿名掲示板というものがあるので、クリスチャンの方にも存分にご自分達の主張をして頂き、反対派は何が問題であるかを指摘する。勿論中立派もいることでしょう。見ている人達はそれぞれの主張の中から自分が吸収したいものだけを取捨選択できます。如何でしょうか?

#156

コバルトさん。

「もしアメリカへ留学を目的として渡米され、ご実家からの仕送りを頼っているのなら、今学校へ行っていないこと、宗教活動に励んでいることは、ご両親に説明され承知されているということですよね。それなら問題ないじゃないですか。」

こりゃあまずいですよ、冷静なあなたにしては失言してしまいましたね。
一言謝っておきましょうよ。
私は他人事なので失礼だけど、ゲラゲラ笑ってしまいましたが、本人にはキツイと思いますよ。
だって、普通そんなことをしたら親が許す訳がないでしょう、親が熱心な信者でもない限り。

#152 やわらさん。

僕も何回も「私も知りたいのでここで書いて欲しい」って言ってます。

「一人の質問を皆が知りたいかもしれないとしても宗教という大きな問題に対して個人個人ちょっとしたニュアンスなど異なること多いと思いますよ。直人さんがいっせいには難しいと思ってらっしゃるなら難しいんですよ。」

なに、この攻撃的な言い方?

みんなの質問は小学生並みの簡単な質問ばかりですよ。
へたすりゃイエス、ノーで答えられる。
なにをそんなにややこしくしてるんですか?
「一人の質問はみんなの質問だ」って言ってるじゃありませんか。
普通に答えればいい事ですよ。
そういう言い方をされるとなんか、胡散臭く聞こえますね。
誤解されないようにうやむやな事で片付けないでハッキリとして欲しいですね。

#159
  • やわら
  • 2005/11/06 (Sun) 20:08
  • Informe

疲れてきたのでもういいです。
キリストはそういう生き方を奨励するのかなんて私にはわかりません。
聖書の世界間と一般の世界観は違うと
聞いたことがあります。クリスチャンじゃない方には理解できないことなのかもしれないしまたクリスチャンのかたには
やっぱりまた理解できない世界があるんだろうと思います。以前こういった、ああいったと150を越しているスレを見返してあなた,以前こういったけど,チックな裁判みたいな感じやこういう生き方なら賛成,そうでないなら疑問とかっていうのも疲れますね。
これでこのトピには書き込みするの止めることにしました。あんまり人をやりこめたりするの,好きじゃないし以前の書きコ全部見返して反論していくのも嫌です。根気がないのかもしれないですが。

#160
  • コバルト
  • 2005/11/06 (Sun) 20:42
  • Informe

↑やわらさん、
『以前こういった、ああいったと150を越しているスレを見返してあなた,以前こういったけど,チックな裁判みたいな感じやこういう生き方なら賛成,そうでないなら疑問とかっていうのも疲れますね』
★筋道に沿って分かりやすく書いたまでですが、疲れると言われるなら仕方ないですね。議論がしたいだけなんですけれど。ただ、断片的な印象だけで書かれるのはよろしくないかと思います。物事には流れってものがありますから。

『これでこのトピには書き込みするの止めることにしました。あんまり人をやりこめたりするの,好きじゃないし以前の書きコ全部見返して反論していくのも嫌です。根気がないのかもしれないですが』
★はい、人をやり込めるのは、好ましくないですね。僕も好きではありません。長いトピを読み返すのも疲れますよね。お疲れ様です。でも人をやり込める云々が目的ではありませんよね。どういう考え方、教義の本に行動されているのか、知りたいだけなのですが。

#156 無宗教主義者さん、
『こりゃあまずいですよ、冷静なあなたにしては失言してしまいましたね。
一言謝っておきましょうよ。
私は他人事なので失礼だけど、ゲラゲラ笑ってしまいましたが、本人にはキツイと思いますよ。
だって、普通そんなことをしたら親が許す訳がないでしょう、親が熱心な信者でもない限り』
★そうですか。でも何を謝ったらいいのか、見当がつきません。そうでないことを願ってましたが、そうだったということですか?なら、気に障ることを書いてしまってすみませんでした。
 でも謝るってことは、そうだと断定することになります。ちょっと疑問です。

#157 傍観だけでは終われなくなった2さん、
『クリスチャンの方々、必要であれば別トピでも立てますので、正々堂々と議論しませんか?折角匿名掲示板というものがあるので、クリスチャンの方にも存分にご自分達の主張をして頂き、反対派は何が問題であるかを指摘する。勿論中立派もいることでしょう。見ている人達はそれぞれの主張の中から自分が吸収したいものだけを取捨選択できます。如何でしょうか?』
★同感です。『宗教&無宗教』のトピ作って下さい。勧誘もOKですか?

#161
  • どら猫
  • 2005/11/07 (Mon) 01:28
  • Informe

久々に着たらさ、すごい事になってるんだもん、びっくりした!
なんか3倍に伸びてるし!!
私が書いた事は消えちゃったかな?
覚えてる〜〜〜?

ま、前の事だし、気にしないって言うならそれでも良いんだけどね、
私はここで宣教なんかしません。
めんどいもん。
だってさ、「いやだ」って立てた、トピックで伝えたって、嫌がるのはわかりきった事だよね〜〜〜。
だからそんな事はしません!
まね、ネット上でわざわざ布教活動もどうよ・・・ね。

クリスチャンって言ってもね、私見たいなのも居れば、直人君みたいな人も居るし、つかささんみたいな人も居るんだよ。
一概に、「これがクリスチャンだぜ」って言えたら楽なのにね。
そんな事は出来ないよ〜〜だ。
だって、人間だもん!

まね、謝ったってことは認めてあげてよ。トピ主さん。
それで良いんでないの?

私も謝るなら、謝って消えればかっこいいのに、とは思うけどね。
弁明は時には説得に繋がる。
って言うか、説得だよな弁明ってさ。
それは普通の人は気がつきませんもん!

ま、ラストの書き込みだけに反応・・・
>傍観だけでは・・・2さん
「キリスト教という支配層宗派が、内部分裂を解決しましょーのお話」
事実ですよ。
ま、クリスチャン=支配階層かどうかは、知らないけどさ。
だって、ほんとうだもん!
一緒に仲良くやりましょうって言うのがコンセプト、そう言われても、口答えのしようがありません。
まね、仲良くやるのは良い事でない?

それとね、「キリスト教と仏教はそもそも対立的ではない」
うそです。
まったく正反対です。
もしも、本当にまじめな仏教との僧侶がいたら、彼らはきっと一緒には出来ませんって言います。だって、別ものだもん!
もしもね、知り合いで本当に熱心でまじめな僧侶が居たら聞いてみたら良いよ。
仏教を伝えますかって?
絶対に伝えるって言うよ。本当の仏教をね。
仏教徒の子が手伝ってる。
良い事です。
でも、仏教が一緒になってるわけではないですよ。

日本人の信じてる、「仏教」という物がどれだけ本質とかけ離れてるかを見れると、面白いよ!一回調べてみる事をおすすめします!(別に仏教徒では無いです)
内部のごたごたね・・・事実だけど、いいんでないの?穏便派は過激派を抑えよとはしてるけどね。実際にさ。

それも、難しいんだけどね〜〜〜。
ま、何がいいたいんだかわからないけど、こんな感じ!

あ、ちなみに私は絶対に本名出しませんよ。
そんなめんどくさい。
意見がありましたら、ここにどうぞ〜〜〜。
って、やっぱりそろそろ他のトピ作ったほうが良いね。
勧誘もOK?
アーユーカクゴOK?(わかる人が何人居るんだろう?)

#163

コバルトさん。

私はあなたがクリスチャンに対して言ってる事や、私に意見してくれたことも含めて90%に同意します。
何故なら、あなたは聖書を勉強したり、実際に教会に何度か自分の足を運んだ経験があるからです。
経験者の言ってる事は一番理解しやすいし、説得力がありますからね。

で、質問なんですが、あなたの中のなにが、あなたをクリスチャンになる事を許さなかったのですか?


クリスチャンのみなさん。

なんかもうそろそろ、このトピが終わりそうな雰囲気になってきたので、その前に言っておきたい事があります。

私の個人的な意見ですが、布教については、隠したり、ダマしたりせずに「クリスチャンのイベント」とハッキリ人に分りやすくすれば問題ないと思います、その時には「私は自分が救済されたい為に布教をやってます。」と一言付け加えておくことが大事ですね。
その方が正直さ、誠意がみられて”この人が言うのだったら、ちょっと聞いてみようかな?’って気分になると思いますよ。
それとみなさんは自分の親に「世の中にでたら、絶対に人の迷惑になるような事はしてはいけませんよ。」って習いませんでした?
私は神より親の言ったことのほうが正しいと思います。


イベント、布教、バイブルスタディ、いろいろクリスチャンも忙しそうですが、本当に人の幸せ、自分の幸せを考え、そんなことをやってる時間があるのならば、ボランティアでもやって、実際に体を使って、行動で表してみなさい。
世の中には、実際に沢山の人が助けを必要としてます。
口で「あなたは愛されてます」なんて言ってるんでしたら、実際に行動で示してみなさい。
宗教なんかに入らなくても、きっと天国に行けますよ。

#161どら猫さんは、なんの意図があって、こんな挑発的な発言をするんですかね?
お陰でますます、クリスチャンが嫌いになりました。

#165
  • Great Expectation
  • 2005/11/07 (Mon) 19:29
  • Informe

傍観だけでは終われなくなった2さん

誤解が解けたようで良かったです。私は中立というか、キリスト教嫌い派ですけどね。ただ、クリスチャンの友達が大勢いるので、少しでも理解したいという気持ちはあります。なので、クリスチャン側のpinkerさんの#164みたいな投稿を見ると、頭を傾げてしまいます。私はこの方とは面識が無いので、文面からしか判断できませんけど、この投げやりがすぎた馬鹿にしているともとれそうな書き方、どうなんでしょう?これじゃあ、どんなに布教したってキリスト教は伝わりやしませんよ。

そしてpinkerさん、
私はフライデーに何度も参加しました。最初から最後まで、教室を閉めないといけないので出てくださいって言われるまで、ステイしてましたよ。結局答えは見つかりませんでした。肝心な質問をしても、「それは私も分かんない。でも、とりあえずクリスチャンになってみれば?なったら分かるかもよ!」みたいにはぐらかされた返事ばかりでした。これは教会でも同じことでした。牧師さんすら分かっていないのです。こんなに分からないことだらけなのに、どうやって信じろって言うんですか?私には学ぶ気持ちはありました。だからこそ、何度も足を運んだのです。このスレを読んでいる人の中にも、学ぶ気持ちのある人は大勢いるんじゃないかなぁ?そういう人たちに向かって、「疲れませんかね?」って?そして最後にこのイベントの情報希望者には喜んでお返事しますって、馬鹿にしているのもほどがあるんじゃないですか?

私は今、心理学を勉強しています。将来は臨床心理士になって、心の病と闘っている人の助けになりたいと思っています。私はそんな人たちを目の前にして、「とりあえず祈らせてください。祈ったら解決するかもしれませんよ!」なんてことは口が裂けても言えません。

#169

コバルトさんにとってはこの掲示板はあなたの世界というくらい大切な場所なのかもしれないですけど(だからそんなにここに書き込みする時間があるんだと思いますが)、私なんかにしてみたら「たかが掲示板」です。掲示板によっては個々みたいに議論で白熱しているところもあれば、コテハンなし、レスはどれもほぼ一行、みたいな掲示板もあります。人からこの掲示板の書き込みの話を聞いただけの人を捕まえて、2週間たってようやく謝罪しただの、誠実さがどうの、っておっしゃるのは、視野が狭い、というか、相手の状況を考えない思いやりに欠ける発言だと思います。
っていうとあなたのことだから、また「それは違います、自分は物事をもっと大きな視点でみてます」的なことを書くんでしょうが、どうもいつも人の反論に対して全く自分の非を認めない書き込みにどうも好感が持てず、つい一言言いたくなりました。
あなたのように一つのハンドル・ネームを使い続ける勇気も無い人より、彼らのほうがよっぽど誠実で立派だと思いました。

#168
  • aputsuka
  • 2005/11/08 (Tue) 01:03
  • Informe

あのー。
皆さん、お久しぶりです。つかさです
私も、この掲示板が終わりを告げそうな気がしましたので、最後の最後に、一言書かせていただいてもよろしいでしょうか・・?
書かないといっておきながら申し訳ありません。ただ、やはりもう一度あやまっておきたくって・・・・・。


皆さんが、すでに察して頂いたように、色々なクリスチャンがこの世には存在します。
そして、皆さんが私達をクリスチャンというカテゴリーで見るとき、私もその一部にもちろん入ります。

高校の時、よく言われました。
“あなたが、その制服を着ている限り、あなたは学校を代表しているのよ。”って。(別にクリスチャンを演じているわけでは無いので。これはただの例えです)
私は
一人のクリスチャンとして
やはり
皆さんに
謝るべきだと思います。

今まで、皆さんを知らぬところで傷つけ、ご迷惑をおかけしてきまして、申し訳ありません。

嘘ではなく、
本当に心から思っております。

私達の失礼な行為によって
どれほどの方々が誤解を受け、傷ついたか。

私は、
ある人がこういっていたのをいまだに覚えています。
“クリスチャンは、神様を知らない人と神様の間の妨害にならないよう”

心に刺さります。
本当にそうだと思います。
皆さんそれぞれに・・・
それぞれにあった形で
一人一人に
いつも答えが出せたら良いのですが、私達も日々勉強している身のため、答えを持ち合わせていない気もあります。

クリスチャンは
第一歩として、
ただ、ただ、
自分自身を基準として生きてきたことに対して、間違っていました。ごめんなさい。
と、認めただけの人たちです。
その中で、神様とイエスキリストという人を中心とすることを心に決めた人たちです。

そして
同時に
皆さんと同じく、
紛れも無い
ただの
ただの人間です。


私はクリスチャンになって
日々思います。クリスチャンになれて良かったなぁ。って。大変じゃないと思いますか?
正直、大変です。自分以外のものを中心として生きようとするわけですから、価値観を180%変える必要があるわけです。
しかし、
それにも勝る感謝の気持ちが心にわいてきます。
自分が、本来生きるべき道に
戻って、そしてその道にそって
歩んでいるのが分かります。

目の前に居る一人一人を
前よりも、
真剣に愛せるように変えられている自分が居ます。
もちろん
“祈ったら、あなたの悩み解決しますよ”
なんてこと、状況をよく見ますが、簡単に軽々しく、口が裂けても私は言えません。

でも、悲しいかな
私達は
自分達のものの見方しか
知らないものが多いですね。
聖書というものを基盤にして生きていく中で、自分があっていると思うクリスチャンが増えていくのが、私は一番悲しいです。

みなさん、
私は最後に
何を言いたいか、
もう一度考えましたが、言葉がありません。

どの言葉を取って
謝ればよいのでしょう。
どの言葉をもって
伝える事ができるでしょう。

本当にごめんなさい。

ありがとうございます。

これからもこんな私達ですが
よろしくお願いいたします。

皆さんが、もしかしたら
今後思うかもしれない、嫌だなぁ・・
とクリスチャンに対して
思う事。

全部
全部ごめんなさい。

ただ、ただ、
自分達が得る事ができた、この真の喜びと感謝を、他の人とも共有したい。と、それだけの思い出しているだけです。

みんな、
本当にありがとう。

ばいばい

つかさより

#167

#164、
「こんなトコ」っていう表現は、受け取りようによっては書き込みをした人達や読んでいる人達に対して失礼なのでは?

#166

ずっとロムってましたが、#163の無宗教主義者さんと同感で、どうして#161のドラ猫さんはあんなに挑発的なんでしょう。

クリスチャンでこんな人がいるなら、ますますキリスト教関係には関わりたくないという思いが強くなりました。

実はイベントに少し興味あったんですけど、このトピを読んでクリスチャンといわれる方々の書き込みや言葉遣いをみて、今は行かなくて正解だったと心から思えました。トピに感謝。

#171

>ただ、ただ、
自分達が得る事ができた、この真の喜びと感謝を、他の人とも共有したい。と、それだけの思い出しているだけです

つかささんさー。それが迷惑なんだって。「私が悪かったです」って謝ったり「ありがとう」とか言って「良い人キャラ」のつもりかもしれないけど、やっぱり布教活動が何の興味ない人には迷惑行為だっていうこと最後まで理解してくれてないね。あなたみたいなクリスチャンも信者同士内輪で盛り上がってくれて、興味さえないような他の人と共有したい(=布教)とさえ思わなければ、何にも害は無いから気にならないのに。共有したいとか言って迷惑な勧誘活動を正当化し続けられる限り、ホント「キリスト教は勘弁」って感じ。

うちにも勧誘よく来るんだけど、何度も来るから警察呼んだ事もある。信じてもいない神の幸せなんていらないって。神なんか信じて無くても十分幸せに生きてるから。あなたが神様信じて幸せなのと同じぐらい、キリスト教に関わってなくてホント幸せって思える。神を信じない私が不幸だと思うなら思ってくれてて良いよ。でもわざわざうちにまで来て「神を信じないと不幸になる」って言わないでほしいだけ。私からすれば、神を信じないと不幸になるって思ってて、人に迷惑がられながら布教してるその人のほうがよっぽど不幸でかわいそうって思った。だからこのトピ見て、やっぱりクリスチャンには幻滅した。特に、宗教の話さえしなければクリスチャンも普段はみんな良い人なんだろうと思うから。別に、トピの書き込みで言葉遣いが悪いとか偉そうな発言するとかは、宗教関係無く怒ってる人や口が悪い人なら誰でもすることはあると思うから、言葉遣いの悪いクリスチャンが何人かここで書き込みしたけど、そんなのは問題にしてないよ。

何を信じるかなんて個人の自由だから、クリスチャンが勝手に神を信じてることに問題は全く無いのに、聖書や神が正しい(真実)っていう信念を、自分だけで満足しないで、人に押し付けてること(布教)が良いことなんて思ってるかぎり、はなはだ迷惑でしかない。

布教さえ止めてくれれば問題ないのに。

それが出来ないならやっぱりキリスト教は私には迷惑な存在でしかないよ。それを、このトピで再確認させてもらいました。

#170

『イベント、布教、バイブルスタディ、いろいろクリスチャンも忙しそうですが、本当に人の幸せ、自分の幸せを考え、そんなことをやってる時間があるのならば、ボランティアでもやって、実際に体を使って、行動で表してみなさい。
世の中には、実際に沢山の人が助けを必要としてます。
口で「あなたは愛されてます」なんて言ってるんでしたら、実際に行動で示してみなさい。』
ちょっとトゲがあるような気はしますが、私も同じようなことを思っていました。

いろいろと考えたあげく、今は難しく考えないことにしています。
平和を望むこと、人の痛みを思いやる心をもつこと、私はそんなシンプルなことで十分な気がします。

#173
  • コバルト
  • 2005/11/08 (Tue) 14:08
  • Informe

#163 無宗教主義者さん、こんばんは。
『で、質問なんですが、あなたの中のなにが、あなたをクリスチャンになる事を許さなかったのですか?』
 僕は元々宗教というか、人間の生きる意味とかに興味があって、学生時代から機会があるとあちこちの宗教団体へ見学に行ったり、信仰を持つ方とお話をさせてもらったりしていました。しかし当時は、興味というよりも「どうにかして否定してやろう!」という気持ちが強かったです。
 しかしある時とても親しかった人が、その人は賢く、優しい人だったのですが、数年会わない期間があって、その後に会った時、以前にもまして柔和で思いやりを持ち、何か丸くなった感がありました。そして知ったことは、その人がクリスチャンになったということでした。
 それまでの僕は、どちらかといえば宗教を否定したい人間でしたが、その人の変わり様を知ってから「何がその人をそうさせたのか?」と思うようになり、攻撃的な質問をする態度を、とにかく知ってみようという態度に変えたのです。聖書研究もしましたし、反論することなく集会での話も聞きました。
 僕の人生はまだ終わってはいませんから、今後洗礼を受ける日が来るかもしれませんが、今現在、なぜ僕がクリスチャンにならないかといえば、やはり「実感」でしょう。
 「ああ、これなんだ。こういうことなんだ」という実感です。
 聖書も、彼等の有り難い話も、もちろん仏教のお坊さんの話とかもそうなのですが、「これは頂いておこう。人生の地図に付箋として貼っておこう」というところまでは茶飯事ですが、「これこそ自分が求めていたもの!」として、裸になって飛び込める教えには、未だ巡り合えた実感はありません。むしろ、チャネリングなどで出会った知識生命体(とおぼしき誰か)の思想やニューエイジ派の皆さんのアドバイスのほうが、「なるほど!」とうなずけた経験が多いです。
 信心されている方には、総て!でもある聖書の言葉が、僕には(まだ?)深く響いてきません。
 その知人を変えた聖書の教えを嘘だとは思いませんが、万人に適するかは疑問です。最終的に到達するところは富士山の頂上ということで同じかもしれませんが、登山道はひとつでなくてもいいのではないか?というのが今の感想です。さらにいえば、登らないことも、他の山に登ることもありだと思いますが。

#169 Ponta35号さん、どうもです。
 あなたのご想像では、直人さんはこの板を「たかが...」と思われてるということですね。だからそれ以後も無視されていると。残念です。または痛いところを書かれて出て来れないとしても、残念ですが。「そんなことありません。親も説得して、自分が信仰に全力を注いでいることを理解してくれています」といったような書き込みを期待した僕が間違ってましたね。

 僕もこのスレでの書き込みはこれを最後にします。フリートーク欄に新しいスレが建ちましたから、より自由な意見交換ができたらと希望します。トピ主さん、有り難うございました。

#176
  • 傍観だけでは終われなくなった2
  • 2005/11/10 (Thu) 02:35
  • Informe
  • Borrar

フリートーク掲示板へ別トピ”宗教勧誘 ”を立てましたので、議論はそちらで続けましょう。トピ主さん、お騒がせしてしすみませんでした。

クリスチャンイベントリーダーの直人さん、
是非ご参加ください。リーダーらしい正々堂々とした書き込みを期待しています。

#161 どら猫さん
あなたへのコメントは別トピに書いておきます。

roselandさん
別トピでも是非書き込んでください。お待ちしてます。

その他クリスチャンの方々及び宗教支持の方々、議論をしましょう。なお勧誘はびびなびのガイドラインに抵触するのでNGですのでご注意を。ただしあなたたちが宗教を持たない人に理解されるようになれば、メリットはあるでしょう?

宗教否定派及び中立派の方々、もう少し議論を続けてだめもとでも完全決着つけようではありませんか?ご参加お待ち申し上げます。

#175

#172roselandさん

>>>これからまた来たら、ぜひそうしてください。

了解。

ちなみにいろんなの来るんだよね、うちには。マジ引っ越そうかと考え中・・・。カトリック、プロテスタントは近所の信仰心の厚い暇なおばあちゃん集団、モル○ン、エ○バも聖書片手にたまに来るし。ユダヤ教の近所の人には無宗教だって言ったとたん説教されたし。宗派の違う人から見たら「それ私達じゃない・私達の団体はそういうことしない」って思うだろうけど、無宗教の私から見たら聖書持って来る限り違いなんてたいした意味無いので「聖書持って布教に来る人」はみんな迷惑です。

宗教がらみのパーティーイベントの参加をしつこく誘ってくるのも私には布教と同じ。何でこんなにしつこいの???仏教にも興味ないけど仏教徒やイスラム教徒は布教に来ないよ。

どうやって不幸な人見つけるの?うちにしつこく勧誘来てたクリスチャンの男は私から見たらかなり不幸そうだったけど・・・まず身内から助けて上げてね。

#174

僕は神を信じますよ。
自分が弱い人間ですから。
世の中、自分の思い通りにならないこともたくさんありますから。
生きている限り、人間を好きでいようと思います。たとえ信じるものが違ってもね。
皆、見えているものがそれぞれ違うから素晴らしいこともたくさんある。
そして人間、信じることによって強くなれることもある。
それが醜い争いや美しい芸術などを生み出すから人間っておもしろい。
僕は、ジーザスもマザーテレサもキング牧師も人として心から尊敬します。
信じるものがあり、人を愛することは素晴らしい。
けど、世の中、人として尊敬できない、宗教という型にはまった見方しかできない偽善者が多いことには、
がっかりさせられることも多いな。

#177
  • roseland
  • 2005/11/10 (Thu) 04:24
  • Informe

うーん、シラユリサンの話聞いてたらかなり迷惑してらっしゃるようですね。どうにもならんから参るでしょうね。その不幸そうに見えた人は寝起きとかなんかやナことがあったりして。
最後のまず身内からという言葉には感銘しました。
全くその通り。

Plazo para rellenar “  宗教勧誘   ”   ha sido vencido.
Crear nuevo tema si desea continuar con el mismo tema.