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トピック

女の戦い せこいドア開け根競べ合戦

フリートーク
#1
  • teketeke
  • 2011/07/05 09:36

女性グループ数人で食事をして楽しいおしゃべり。誰とも無くみんなのために料理を皿に取り分けたりワインを注いであげたりと、やさしく気遣いあって終始和やかな雰囲気。会計も手際よく済ませ、さあ店を出ようとドアの前に立った瞬間、その空気は一変する。何に対しても手際良かった全員がなぜかモジモジグズグズし出す。弾んでいた会話も途切れみんな急によそよそしい。そう、だれもドアを開けようとしない。というより誰かのためにドアを開けるは拒否という姿勢。バッグの中をごそごそし出す者、レジ横のフライヤーを手に取り出す者、携帯電話をいじり出す者。自分がドアを開ける役目に当たってしまうのをなんとか避けようと全員で暗黙の根競べ。とうとう重苦しい雰囲気に耐えられなくなったひとりが顔をこわばらせ諦めの極致でドアを開ける。他のもの達は“勝った”優越感と、このセコイゲームに参加している自分に少しばかり恥じながらドアを出る。

ママ友グループで子供たちを連れて室内遊技場。おやつを分け合ったり、転んで泣いている他のママ友の子供を抱き上げてあげたりとみんな仲良し。しかし、帰ろうと全員でドアの前に立った途端、あのモジモジタイムが始まる。急に立ち止まり子供に話しかけだす者、やはりバッグをごそごそし出す者などやることは大体同じ。あれだけ甲斐甲斐しかったママたちもいざドア前に来た途端、同性のためにドア(ドアだけは!)開けてやるもんかと意地悪くなるのである。

女たちは「女」のためにドアを開けてあげるのがとにかく嫌だという事実。
男に全く不可解で理解できない話だろうが。

しかしこれが同性でも身内や親友になれば話は別。母親や姉妹にドアを開けるときは無意識で、「なんで私が」などとは思わない。親友も然り。
女たちは赤の他人にも寛大だ。エレベータで乗り合わせただけの見ず知らずの女には親切なのである。
つまり女同士のせこいドア開け根競べ合戦が勃発するのは、「たんなる友人」の関係に限定される。

そしてここからが最大のポイント。のせこいドア開け根競べ合戦はなんと日本女性限定なのである。アメリカ人を始め、他国の女たちにはまったく存在しない概念なのだ。

誰がドアを開けるかでみみっちい小競り合いをし、せっかくの楽しかった時間をぶち壊しているのは、日本女だけなのである。

しかしまた利点もある。それは、確実に親密度のバロメーターになるということ。
自分は相手と親友と呼べるのではないかと思っているとき、ドア前で相手がモジモジしだしたら、残念ながらそれはあなたの勘違いと言えよう。

#2
  • y-love
  • 2011/07/05 (Tue) 09:54
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分かります。ドアの前までくるとみんな一歩さがるかんじあります。気づいたらいつもわたしだけがドア開けててくやしいから今はみんなの真似してます(笑)

#5
  • そうだったんですか
  • 2011/07/05 (Tue) 12:56
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このようなこと今まで一度も意識したことがありませんでした。
私の周りは皆、自分からドアを開けますし私も開けます。
なぜ開けたくないのか、その理由もさっぱり理解できません。

#4

人間の本性が現れている。

自分だけはこのような人間にならないように人の道に外れなく笑顔であけてあげましょう。

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