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シベリア鉄道

สนทนาฟรี
#1
  • エドッコ3
  • 2008/12/22 12:52

突拍子もないことをお聞きします。

仕事が完全になくなって本当のプーになったら、四国へ歩きお遍路に行きたいと言いましたが、まぁ、私の頭は単細胞で、太田裕美の「さらばシベリア鉄道」を聴いていたら、シベリア鉄道に乗りたくなりました。

今までは日本へ旅行に行っても時間がなく、同じルートでこちらに戻っていましたが、急がない旅ならウラジオストクまで船で行き、そこからシベリア鉄道でモスクワへ、そして更に鉄道でヨーロッパを横断し最西端のポルトガルまで行きたいなぁ、なんて夢を描くようになりました。

詳しい情報は Mixi などで調べているので、この場ではいらないのですが、LA に住んでる方でシベリア鉄道を利用した方はいらっしゃいますか。生の体験談などをお聞かせいただければ幸いです。

#2

エドッコ3さん。

そのルートはたしか、70年代の日本人バックパッカーのヨーロッパ旅行への格安ルートだったと思います。
当時は航空券がバカ高くって、みんなそれでモスクワ経由ヘルシンキ、そこから北上し、ノルウェー、さらに南下するというのが一般的だったそうです。

それで金が尽きたらイスラエルのキブツでバイトして、また旅を続けるといった具合です。

僕も4ヶ月かけてヨーロッパ16国をバックパックで廻った経験があり、先輩バックパッカーからユースでそういう話を聞きました。

今でもそうですがヨーロッパを旅行するのは季節的に北から南下するのが都合がいいですよ。

#3

エドッコ3さん
いつもエドッコ3さんの書き込みを楽しみ&参考にさせて戴いてます。やっとお役に立てるかも知れないので、返信させていただいきます。(~_~;)

新潟から1時間20分のフライトでウラジオストークへ飛べますので、日本からは飛行機を利用していました。
船ですと、ほぼ同じ距離をゆっくり2泊3日かけて行く上、大して料金が変わりませんので。

毎週日曜の夜12時に出発し、イルクーツクまでは比較的ゆっくりと細かく停車します。
朝方に停車するイルクーツクの手前の駅は、バイカル湖で顔が洗えるほど近くに線路があり、近所のおばあさん達がオームリと言うバイカル湖にしか生息していない魚の燻製を売りに来ますのが、それはそれは美味であります。
当然シャワーもお風呂も付いていませんが、車掌の中には各車両に設置してある大きな湯沸かし器にホースを繋ぎ、車掌室にシャワーカーテンを付けて「シャワーの日
」をやってくれます。別料金ですが。

何方も一番心配なさるのは食事ですが、シベリアを走っている内は、食堂車のメニューはかなり豊富でどれもこれも安価で以外に美味しいんですよ。

景色は勿論単調です。(笑)

途中、車両の墓場?みたいな所を通過するのですが、初めて見るその光景は映画のワンシーンの様で幻想的でも有ります。

そして、VVO→MOWを利用する人が多いですが、MOW→VVOを乗ったことある日本人はあまりいらっしゃらないのですが、いかがですか?!

モスクワ市内にモスクワ駅が無いのはご存知ですね?
大きな街の鉄道駅は、行き先の名前が付けて有るのでモスクワに行きたい人がモスクワ駅に行くわけで、モスクワに居る人はモスクワ駅に行けないのです。

私も久々にシベリア鉄道に乗ってみたくなりました。
長々と失礼致しました。

エドッコ3さんがこの旅行に行かれて、戻られましたら、是非又ご報告下さるのをお待ちしています。

#4

porky さん、

私の友人もそのルートでヨーロッパへ行ったと聞いています。70年ですと大卒の初任給がせいぜい4万円から5万円。ドル360円固定相場でアメリカへの航空運賃が片道29万円もしましたから、ヨーロッパへも鉄道でならかなり安かったでしょうね。

ヨーロッパは予算の関係で南下ルートではなく、主要地摘み食いでの横断になるかも知れません。

JennyCorp さん、

詳しい体験談ありがとうございます。ウラジオストークまでは船で簡単に行けると思ってましたが、調べたら日本側は富山県の伏木港からだけで、しかも週に1回弱の頻度で日本海の向かいまで2泊3日もかかるらしく、海路での方法はあきらめます。万景峰号ならいいんだけど。(^^;

行けども行けども果てしない9000キロの荒野を体感したくてシベリア鉄道を選んだのですけど、ロシア号には寝台車もあるんですよね。6泊7日乗りっぱなしでは寝台車じゃないと気が狂うかも知れません。そうですか、トイレはあっても体を洗う施設は基本的にはないんですね。真夏はさけた方がよさそうですね。

逆走もアリですか。そちらの方も考えておきます。

一応、計画としては四国のお遍路が先で、その翌年でもお金の余裕があったらでの話なので、報告なんてまだまだ眼中にありません。その前にかなり体力を養っておかないと、歩きお遍路で45日も続きませんからね。まずそちらの心配のが先だな。

#5

わ! 超なつかしぃ。 s39年のあのシベリア横断鉄道は食事つきと食事なしで料金が違いましたね。 3人で行って食事つきは二人分だけ。それを3人で分けて食う、と言う計画を立てました。 私ともうひとりの友人が逮捕歴のゆえに共産圏通過許可証が外務省に拒否されてその経過は挫折したんです。 目的は当時流行し始めたフランススキースタイルの習得でした。  トニー・ザイラーに憧れたんです。

新潟から出てたナホトカ行きの船はもう無いんですか?

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