แสดงทั้งหมดจากล่าสุด

หัวข้อประเด็น (Topic)

宗教勧誘

ปัญหา / ปรึกษาหารือ
#1
  • しつこくて困ってます
  • 2005/10/20 11:24

びびなびサイト内にも色々と情報が載っているようですが、去年もやっていたアズサの方で行われる、日本人留学生対象という謳い文句でやっているイベント。そのリーダー格の人からしょっちゅう電話がかかってきてちょっと困っています。
最初はオモシロそうと思って興味を示したんだけど、話を聞いていると最終的には教会とかに誘われていることが分かってきて、ちょっと怖くなってきています。べつに教会とか宗教には嫌なイメージはないのですが、あんなにがっついて誘われると・・・。
でも電話に出ないと長いメッセージが残されるし、(しかも結構何を言っているかわからないときが多い)その後も何度もかかってくる。だからと言ってハッキリやめてとも言いづらい・・・。こんな時、みなさんならどうしますか?教えてください。

#135

僕も個人的感想と言う立場で書きます。
 #111〜113ですが、それ以外のaputsukasaさんの書き込みも含めてですが、勧誘したいかしたくないかという極論で言えば、それは「したい」側でしょう。クリスチャンとして当然です。
 しかし、文面から「明らかにあわよくば勧誘できればという本音」は僕は感じられませんでした。それらは、無宗教派側である僕らが「こう考える」と同じように、クリスチャンとしての考えを書こうとしたのが主たる目的であり、「クリスチャンのものの見方」を書くことがすなわち勧誘として捉えてしまうと、そこにはもう相互理解は出来ないと思います。
 僕も何度もあちこちの教会へ行きましたし、聖書研究も数年に渡ってしましたが、未だに洗礼を受ける気にはまったくなりません。しかし、クリスチャンを理解するという点では、昔よりかなり進んだと思っています。クリスチャンに限りませんが、信仰を持つ人の言動は、その教えの核心を知らない(単なる知識だけでなく信じるここと)僕も含めた外側の人間には理解できない部分が多く、それは時に常識を逸脱した行為として目に映ることもあると思います。それを面白おかしく「狂った宗教」と称するのは簡単なことですが、少しでもそれを理解することで、物事の本心を理解することは出来、あざけ笑う必要がなくなることもあります。もちろん宗教側としても、閉鎖された内部だけではない、公での言動に於いては、外の人間にも十分理解してもらうための配慮は必要です。それを「あなたたちには分からない!」と吐き捨てるようではその教義は疑わしい。
 狂人麻原が興したような邪教は他にもいろいろありますが、少なくとも明らかな対立、混乱、危害を押し付けてくるようなものではない限り、宗教と無宗教は共存可能だと思います。
 僕らとしても「自分は宗教に興味はないが、各自が自分の自由意志でやっている分には干渉する気はない」のスタンスが理想的でしょうし、彼等もまた然りでしょう。
 今回ここに登場されたクリスチャンの皆さんの話は、まず何より第一に、度を越した勧誘によるトピ主さんへかけた迷惑に対する謝罪でした。それは礼儀正しく、謙虚だったと思います。
 ならびに僕を初め、ちょっと横道に逸れた宗教話の中で、クリスチャンへの質問もありましたので、それへの回答もして頂きました。そこまでの話であって、「あわよくば勧誘」というのはちょっと、と僕は思います。
 いずれにせよ、トピを作られたのはトピ主さんですから、彼が「イヤ!」とすればそれがすべてですね。
 また宗教というものにいろいろな思いを寄せて相互理解のための意見交換別がしたいです。そのためにはクリスチャンの皆さんの声も欲しいですが、トピ主さんに配慮し、スレを新しく作らなければいけないでしょうか?

#136

3名のクリスチャンが続けて登場されましたね。
 なばさんは、ちょっと違いますが、直人さんとpinkerさん、お詫びとして登場されるなら、それは謙虚で潔いと思うのですが、付け足しとも思える弁解が長過ぎです。それでは僕でも「布教ですか?」と思えてしまう。

『それでも私が価値のある、愛されている存在であること、そして人間ひとりひとりが本当に価値があって愛されていること、
このゴスペル(福音)を、私たちの持つ宝として捉え、それをまずは皆様にも聞いてみてほしいと願って、一生懸命頑張っています』
★勉学や仕事も犠牲にしてまで打ち込まれること、すなわち直人さんが「真実!」として見つけられたものだと思いますが、クリスチャンの枠以外で行動される時は、少なくとも外側の人間にとってそれは「真かもしれないが、偽かもしれない」ことを前提にして頂きたい。少なくとも僕にはキリストの教えは、エゴの固まりの可能性も十分あります。それもまた真。あなたたちはまったく、極めてまったく間違っているかもしれない。「かもしれない」という感覚を忘れないで欲しい。

『皆さんにとって、『強引』って、
どれくらいの事をしたら強引と感じるんでしょうか?
『強引』と感じるような事は人それぞれです。
同じようなアピールを10人にしたら、10人ともそれに対して違う思いになるはずです。
別に普通だった、興味があった、迷惑だった、など本当に人それぞれです』
★pinkerさん、お詫びのレスの中でこんなことを書かれるとお詫びの意味が半減してしまいます。「謝ります。けれど」の「けれど」に於いて「強引もひとそれぞれ」などと書かれると、受けた側が「過敏過ぎた」と言われているようです。そのような弁解はせず、単に「相手によっては受け取り方も様々なので今後気を付けます」で、いいじゃないですか。

『相手も見ず知らずの他人ですから、どんな反応がでてくるかなんて当然分かりません』
★だから多少強引でも許して、ということはないでしょう。

『ひとつ分かって欲しいのは、皆ただ単に誘ってるだけぢゃなぃんです。
言われたからって 渡されたからって
ただ ただ やってる訳ではありません。
自分達も皆に来て欲しいから・・・
騙されたと思ってでもいいから
クリスチャンとは何か 神様とは何か
この事を少しだけでも聞くチャンスが与えられてるだけで私達は充分なんです』
★何か本音が聞けたように思えますが、例えであってもダマしてはいけません。あなたは信じ切っているかもしれませんが、その教えが正しいかどうかなどという保証はどこにもありません。あるのはあなたの信念だけ。それをダマされもいいからと押し付けられる身になって下さい。
 勧誘されるなら、ダマすなんて言語道断。大前提として「クリスチャンの勧誘活動」であることをきっちりと説明し、その上で興味のある人だけが参加できる形を執るべきです。「クリスチャンの勧誘活動」の一貫ですと、あなたは初めに言いますか?言えますか?その上でちょっとでも相手の顔色が曇ったら、「無理しなくていいですよ」と言えますか?言ってますか?

『皆さんも宗教とか関係なく、何かのためにプロモートしたり、何かを伝えたい時
必死にがんばるように、私達も必死なんです、がんばってるんです。
同じ人間ならこの努力が分かるはずです』
★そこがおかしいんです。頑張るベクトルが。ライブのチケットを売ったり、レストランの新装オープンの案内ではないんです。宗教というものは営業とは違うでしょう?「素晴らしいものだから多くの人に広めたい」という気持ちは充分に理解できますが、学生のクラブ活動や、事業のプロモーション活動とは一緒にしないで下さい。その人の一生を左右するかもしれない問題です。
 なばさんが『宗教の壁を越えて、いい友情関係が築けていることがすごくうれしかった』と言われるように、その人にとっては、仏教が相応しい場合もあります。他もまた然り。

『自分達もがんばって同じような事してて、『感じが悪い』とか『強引』とか『迷惑』って言われたらどう思いますか?
正直私は傷つきました。
知りもしないくせにそこまで言わなくていいぢゃん、って思いました』
★純粋で、真直ぐで、それは微笑ましく思えるのですが、何か履き違えています。思想をも超えた「宗教」というものの重みを考えて下さい。『知りもしないくせに...』はい、その通りです。しかし、クリスチャンになることが一番いいかどうかも、誰にも分からないのです。ただあなた方が信じているというだけで。

『周りからの偏見や一人のクリスチャンにされた事とかで
私達の事決め付けないで欲しいのです。
私達も同じ感情を抱く、皆さんとなんも変わらない人間なんです』
★無宗教者から見た「宗教」への偏見には、僕も心痛む部分があります。しかし「決めつけないで欲しい」といわれる宗教側の皆さんが柔軟にならないがために偏見が治まらないということもあると思います。
「皆さんとなんも変わらない人間」であるなら、クリスチャンにならなくても、本当の幸福はあり得るかもしれないことを理解して下さい。あなた方が間違ってるとは断言しませんが、それしかないという考え方では、相互理解は出来ません。

『Christianityは人間では想像できなぃくらぃの事が沢山つまってます』
★はい。そうでしょう。でも仏教もヒンドゥーもイスラムのユダヤも、そうかもしれませんね。無宗教からのアプローチにも可能性はあるでしょう。

#137

はぁ~・・・・

みんな長い・・・

#145

#134 Great Expectationさん
はじめまして。まずは他の方と混合してしまった事お詫びします。大変失礼致しました。

あなたの発言は非常に印象的かつ興味深かったので頭に残っていました。ちなみにそれはこの2つです。
>「このイベントに行こうかな〜って考えてる人にアドバイスを。私の友達の多くは結局はクリスチャンになりました。私にはクリスチャンにはなれない理由があったのでなりませんてしたが、軽い気持ちで日本食が食べれるからとかいう理由では行かない方が良いかもしれません。強い信念をもっていないと誘いに乗ってしまうかも。」

>「そのときあなたは、「すごくためになるお話だけど、結局最後に結論を神様にもっていくのが理解できない」と、腑に落ちないようでしたね。クリスチャンとなった今、その問題は解決されましたか?」

あなたがイベント主催者側の人だとは最初から勿論思っていません。(この点はroselandさんもしかり)もう一度読み返してみても、あなたのレスは的を得ており、かなり中立的な方だと思います。

roselandさんの発言は、最初中立的な印象を伺わせるものだったので何故かあなたとシンクロしてしまったのです。ただその後の発言で完全に中立というわけでもないように感じてきました。どこか穏健派キリスト教徒の方のスタンスと私的には被るように感じたので、程度は分かりませんが少なくとも広い意味で宗教を肯定されている方と推測しております。

ただこれもあくまでも私個人が感じたことであり、何の確証もありません。また勝手にレッテルを貼るなよとおしかりを受けそうですが、私が思う匿名掲示板における議論のあるべきスタンスの話は前に投稿したので、その内掲載されるでしょう。(というかこれの前に載りますね笑)

#144

#127 ある宗教の被害者さん
『私も他のみなさんと同じで、クリスチャンまたは他の宗教をちゃんと理解したいです。
私の妻は布教活動は一切しないので(他人に迷惑だから)、特に勧誘に熱心そうなあなたに、説明して欲しかった、というか欲しいです。
このままで終わるのでは、なんか今迄せっかくみんなでこんなに時間を掛けて討論してたのが水の泡になります』
★同感です。互いを知るということは大事だと思います。極端に宗教を嫌われていたあなたの「理解したい」という書き込みに感銘しました。

『私の妻はどちらかと言うと、私のために祈るというよりも(もちろん、それも含めてです)、自分がどこに行ったらいいのか分らなくなってしまったんじゃないのかなって推測します。
話したことがないので・・・』
『なんか気が付いたらクリスチャンになってたみたいな感覚でした。
正直言って、妻を暖かく迎えてくれた宗教に何故か知りませんが、感謝の気持ちは湧きませんでした』
★奥様としては、一番大切な存在であるあなたが、突然訪れた大病によって、どこか遠くて連れ去られてしまうような強い不安に襲われ、何かにすがりたい気持ちでクリスチャンになられたのでしょうね。
 それが良かったのか悪かったのかを問うつもりはありませんし、奥様の信仰とあなたの回復は関係ないかもしれません。
 ただ、現在のあなたと奥様の夫婦関係が分かりませんからなんともいえませんが、少なくともあなたにとって奥様が大切な存在であるなら、いきなりすべてを知るということではなくても、普段の生活の中で気付いたことを二人だけの時間の時に、話出してみるとか、聞いてみるとか、そういったコミュニケーションはできるのではないかと思います。
 特に、奥様が走った宗教にではなく、あなたが病いの床であったとき、奥様がどんな気持ちだったか、何を思われたか、何をしたのか、それを少しずつでも聞くことが出来たらいいでしょうね。肯定否定をするのではなく、ただ知りたいのだと。
 でも無理はされないで下さい。飽くまであなたに知りたいという気持ちがあればの話です。

『私は極端な現実主義で、神様のお告げはおろか、人の話も、よっぽど信用した人以外、聞きません。
自分の目で確かめないと納得できないのです。
特にアメリカに来てからは、情報がいいかげんな事が多いので、もっとひどくなりました。
変人ですよね』
★もちろん、変人ではありませんよ。目で見るというか、自分が納得できないものは信じられないですから。逆に、人の話を聞いて、安易に信じてしまう人が多いから、宗教による被害者も多いのでしょうね。もっと落ち着いて常識的に考えれば、そんなことはしないだろうにと思えることに引き込まれてゆく人が信じられません。

『でもその性格のお陰で、逆にストレスはあまりないですね。
だから、神様、お化け、宇宙人、超能力者のたぐいは、私にとっては信じる以前の次元です。
だから、そんなもんに惑わされてるひとがキライなんでしょうね。
まして、そういう人に勧誘なんかされたら、煩わしくてたまらなくなります』
★なら、あなたにとって、僕は大嫌いな人間ですよ。「神様、お化け、宇宙人、超能力者」みんな信じてますから。いえ、信じているというのは「必ずいる!」というのではなく、「いるかもしれない。だから敢えて否定はしない」程度ですが。とりあえずどれひとつとってもお目にかかったことはありませんが、「そんなもんない!」とシャッターを閉めた部屋の中で暮らすよりも、「とりあえず窓は開けておこうかな?」ってかんじです。

『死後の世界についても、そんなもんある訳が無い。って子供の頃から信じてないですね。
実際、手術の時、実は一回失敗して、2回続けて受けました。その間たぶん生命維持装置に繋がれてたはずで、半分死んでた状態だったのです。
その間に見たものは”無”です。
やっぱり、自分は正しかったって思いました。本当に死んでないのだから100%ではありませんが、自信がつきました』
★信じることと、認識することは違うと思うんです。死後の世界についても、人はいろんなことをいいますが、「死んだら天国がある!」と盲信するのではなく、「死んだらたぶん無になるんだろう。でも死後の世界があるという人もいたなぁ、」程度でいいでしょう。いつかご自分が亡くなられる時、万一自分の亡骸を見ている自分に気が付かれたら、「あ!これがそういうことか」と理解できれば便利でしょう?「こんなのあるはずがない!オレはまだ生きている!」などと混乱することもないかもしれません。だから「火事は絶対ない」ではなく、「火事なんてきっとないけれど、もしあったら、そうだ、消化器を使えばいいんだな」というような予備知識として、いろんなことを知っておくのは良いかもしれません。
 自分がこうだと信じていることは99%正しいでしょう。今までそうやって生きてきたわけだし。それを覆す必要なんてないですが、ただ1%、非常口の場所を知っておくのも良いかと思います。
 僕はそんな感じです。だからいつか死ぬなら、その時、テレビのスイッチを切るように意識は真っ暗になってしまうのか、それとも魂は残ってどこかへ行くのか、いずれにしても「どうなるんだろう?自分で納得したい!」と思ってます。だからどの宗教の教えも信じません。しかし知識としてはいろいろ頂いてます。その点ではあなたと同じじゃないですか?
 僕を信じないで下さいね。そんなことを言ってた男がいた、そんな感じでお願いします。

สิ้นสุดระยะเวลาสำหรับการเขียนลงเว็บ สำหรับ“ 宗教勧誘 ” 
ในกรณีที่ต้องการทำหัวข้อเดียวกันต่อไป กรุณาสร้างหัวข้อใหม่