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Topic

1971年アメリカ入国

프리토크
#1
  • chichi1234
  • mail
  • 2013/08/28 18:18

このびびなび利用者は年齢的読者は少ないとも思われましたが、、、

1971年アメリカ入国者との友好を考えています。

当方は、1971年春の入国で『大阪三井商船のアルゼンチナ丸』でした。

その後、

YMCA Hollywood
New York Hotel(Little Tokyo)
Fellowship house
Cambria(? ケンブリアAdjust school)

等々に縁のある方との親睦を再現したいと願っています。

多くの方々からの連絡を待ちます。 よろしく。

#72
  • chichi1234
  • 2013/09/08 (Sun) 09:21
  • Report

女性論について脱線です。^

根っからのサユリストで『吉永小百合』が理想でしたが、、、、

その後、シルビーバルタンで『ブルーアイ』『金髪』を求めて日本脱出が私の本音でした。:-)

しかし、ロスでは意外にその2点を満たしている女性は少数であって映画の世界のみと知りました。

金髪、ブルーアイを求めてUCLAに毎日通ったんですが、アメリカ女性にはまったく歯が立たずに、その圧倒的なボリュームに唖然と立ち尽くしたのでした。

その後の世界放浪経験から知ったのは、やはり見かけだけでなく、色々な要素が絡み合っての男女関係成立とも納得しました。

国毎に評価することは公平ではありませんけれど、私的にはフィンランドの女性が一番ピッタリしたような記憶です。
(日露戦争の先輩方の功績から、ファインランドをロシアから一時解放したとの歴史から云々でファインランド人の年配者が極めて好意的でその女性は私も情熱的でした。。。。。)

#73
  • 無関係
  • 2013/09/08 (Sun) 10:59
  • Report

昔の日本人男性は金髪ブルーアイズに弱かったよねえ。
駐在でも、アメリカ人女には何にも言えず、こっちが
とばっちりくらったもんです。

#74
  • kuji
  • 2013/09/08 (Sun) 20:59
  • Report

白人に弱い。
敗戦国の運命か・・・

伯父さんが「話す前からすでに身長で負けてるんだよな」って笑ってた。

#75
  • chichi1234
  • 2013/09/08 (Sun) 21:21
  • Report

英会話と私、、、、

岐阜のYanagaseにあった会話塾に1年ほど通い、その塾生と英会話を練習する為に神戸までいったのが懐かしい。(実際はその女性塾生との旅が一番の楽しみではあったのだが、)

日米で経験してからの答えはやはり耳がよくなければならない。
後で知ったことではあるがカラオケが上手いのは英会話も確かに上達が早かったようだ。
日本のタレントでは『美空ひばり』の英語はビカ一とのこと。あの歌唱力は誰も真似ができなかったんでしょうね。
今はHitechを駆使してどんな音でも作りだせるので、カラオケに行っても結構上手いが生はたぶんそんなでもない。。。

LA上陸後も極力日本社会と遮断しようとはしたが、、、こっそりと週末にLittleTokyoへ来て『リンダリー劇場』の健さん、寅さんでは発達しようがな方ことを後悔する。
それでも数少ない日本人の友人からはその上達ぶりは褒められたのではあったのですけれど、レベルの低い仲間内でのことであった。。。。:-)

それでも糞度胸だけは自他共に認める行動力と欧米人に対する憧れ(女性のみ)から結構ブロークンな英語ではあるが一方的に喋りまくったことを思い出す。

余談ではあるが、その後、英国Cambridgeに1年ほど居た時は、私の英語が変なアメリカ訛であったことから随分、その地では馬鹿にされたのである。

最後に後輩にアドバイス、
耳と口の神経を最大限生かしきることがそのCommunication能力をレベルアップする早道ではある。。

#76
  • chichi1234
  • 2013/09/09 (Mon) 13:22
  • Report

キャンブリアSchoolで親しくなったのが、前にも書いた2名で

Osamu(同志社を1年休学して留学)がPasadenaの弁護士豪邸でスクールボーイ。

Chozo(山形、秋田?からで一番年長者)はGriffith Parkのお金持ち老人介護をしながらのホームステーであった。

両名とも$2-300ほど給料(?)を貰っていたようではあったが、私は無給。。。。(ある程度はあるのか?期待していたのではあるが、、、しかし、HouseKeeping等は何もする必要もなく、週末夜のBabySitting(小学と幼稚園児)のみで、Partyも頻繁にあり、自由に参加させていただいたことで無給については全く不満はなかったのである。

その後、人生色々ではあったがお金に関心が無い時期が思い出も多く、又有益な時間であったと振り返ってはいる。

School, HouseBoyとメイド的なものもあったようではあるが、それらの話を聞くと当時でも結構不真面目なアメリカ人、家庭もあり、虐待とまでは云わぬが、精神的に落ち込んだものもあったのである。

しかし、今の若者が利用しているHomeStayと比べれば、良い時代であったと思う。

ps;Chozo, Osamuへ
日本でこの掲示板見たら、連絡くれ。^^)

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